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横尾龍彦 作
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1999年横尾龍彦氏の個展が京橋の画廊で開かれた初日、中央右側にでんと展示されていた『神鳴り・雷(神成)』という題名の作品があった。題名からして、我が家に来る事になっていたのでしょう。この絵画が我が家に来て、玄関脇の、窮屈そうな狭い場所に飾られていました。何故か痩せた龍の様にも見えました。数週間経ったある日、横尾先生と再会した際、『先生、「神鳴り」の絵、我が家に来ましたが、飾る所がなくて・・・』と云いましたら、『大丈夫、そのうち丁度良い場所が与えられますから』とおっしゃったのです。実は所沢の我が家は、建築してから22年に成るし、建物事態そんなに痛んで無かったので、1年前に、600万もかけてリフォームしたばかりなのに、そんな気休めみたいな事を云って・・・と思っていたら、それから、というもの私達の身の廻りの世界がどんどん回転し出したのです。そして6月15日心身共にズタズタの状態で、始めて那須に来ました。那須高原のホテル・エピナールに一泊し、心身ともに癒され、那須と云う所はこんなにも良い所なのかと思いました。次の日、たまたまハーブの店”花薄荷”に立ち寄り、お店の御夫婦と色々話しをしている内に、私達も那須に住めるかも知れないと思い、その足で不動産会社に飛び込み、色々と土地を見せてもらいました。気に入った土地が見つかったので、その日の夕方に手付け金を払い、那須にもう一泊して翌日早朝、所沢に帰りました。次の週仮契約が有るので、意気揚々と又那須に来ました。その前にちょっと”花薄荷”に寄り、先週の出来事を話しながら、「これから不動産会社に行くんですよ」と話したら、「その不動産会社は?」「那須××です」「えっ、・・その会社・・止めた方がいいよ!トラブルが多く訴訟問題になったりしているから・・・」いきなりそんな事を聞いて吃驚です。もちろんその問題の不動産会社には行きませんでした。手付け金もパーです。何と云う事か!・・・・
その後、とんでもない展開に成りました。・・・「その夫婦が10年前に那須に来て大変お世話になった不動産会社(社長を那須の母と呼んでいる)に紹介してあげるからと、早速電話してくれました。その会社は「大那商事」と云い、私達もその後大変お世話になり、有り難うございました。やっと、神成(神鳴り・雷)の落ち着き先が見つかりました。横尾先生の言葉が、いよいよ現実のモノとなって来ました。そして8月24日には地鎮祭です。雷の棲む「いおり」と云う事で「雷庵」と命名しました。以前痩せて見えた龍は、今では、ふっくらした龍や馬の様にも見えます。
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雷庵が初ギャラリーとしての試み。 音響効果も他のギャラリーには真似の出来ない空間です。BGMがスゴイ・・・
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間近で観る生命(いのち)、広大な花園を望むことで観えてくる生命
一人の写真家が奏でる花をテーマにした地球交響曲
2001年5月11日(土)〜19(日)11:00〜18:00
オープニングレセプションとスライドは11日(土)18:00〜
今回の写真展では、額も含めて一つの作品、という発想に立ち、一枚、一枚の写真に、
ベストマッチする額を ムク材選びからデザイン、そして今では珍しくなった額職人が
巧の技で製作しました。木の素材は、イチイ、エンジュ、サクラ、キハダ、イスノキ
作品は、数百年の耐久性をもつといわれている英国インフォード社のCBプリントを使用し、
作者自身がプリントをしています。作品には、制作ナンバーと直筆サインが入ります。
二回目のギャラリー開催
プロフィール堀江秦平(ほりえしんぺい) |
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昭和16年 3月10日 満州生、その後東京、大阪、ミューヨーク、広島、那須に在住。 昭和38年 三井物産入社、食料、審査部門を経験。 平成 6年 木下物産入社、那須高原の旅館「山楽」の支配人となり今日に至る。
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その間、独学で水彩画に染手。那須高原の、四季折々の変化に魅せられ、中でも花々の可憐さ、律儀さ或いはその逞しさに何時の間にか虜になってしまった。又来年咲いてくれるまでの間、画用紙にその姿をとどめておければ、との思いを込めている。
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