Yoshihiko Kannari           

  神成芳彦 プロフィール   粋人列伝    BRUNDY(ゴールデン・リトリーバー)

 

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1943年 10月12日 樺太(現在・サハリン)生まれ

1964年 東京電子専門学校卒業後 東映動画に勤務

1965年 アオイスタジオにサウンドエンジニアとして入社

     アシスタントを数年経験

1969年 TBM 今田 勝「NOW」を録音

     ステレオサウンド誌にて録音[金賞]受賞

1974年 TBM 山本 剛「ミスティ」にてスイングジャーナル誌にて

     ジャズ・ディスク大賞 国内「録音賞」受賞

1974年 財団法人ヤマハ音楽振興会 [エピキュラス・スタジオ]に移籍

     POPCON・世界歌謡祭・JOC(ジュニアオリジナルコンサート)を全て録音担当

1978年 ロンドン(オリンピック・スタジオ)にて中本マリ(ビクター)

     「アフロディテの祈り」録音に参加、チーフミキサー・・キースグラント

1979年 モントルージャズフェスティバル JAPAN TODAYのLIVE録音

     アルバム製作に参加

1981年 米国 LA(Wally Heider Studio)にて Inner Galaxy Orchestra

     「Mystic Solar Dance」のアルバム録音に参加

1984年 財)ヤマハ音楽振興会 ヤマハ音楽院 ミキサー科講師 

      後進の育成に当たる     

1999年 ヤマハ退職 フリーランスになる

2000年 4月 栃木県那須にプライベートスタジオ「スタジオ雷庵」を開設

2001年 2月 TBM 8年振りの新録音 加藤嵩之「ギター・スタンダード」

      スタジオ雷庵初のアナログ・ダイレクト2チャンネル録音

 

 

     

Audio Accessory 92 SPRINGより

 平成11年4月1日発行

    

                                                取材・構成 小林洋一 氏

     

TBMレーベルの名盤がリマスタリングされXRCDとなり、今、再評価されている。録音を担当した神成さんの、自然で、けれん味のない大胆な仕事が、優れたデジタルサウンドとして蘇ったのだ。        

家の近くに、借りた野菜畑が2面あって、朝、早起きして、まず出掛けるところがその畑。             

夏場だったら、トマトやキュウリやナスをもぐことから一日が始まるという。肥料は生ゴミをEM菌で発酵させて作る。市販の化学肥料は使わない。                                  

仕事に出るのは、こんな畑の作業が終わってからだ。「何といっても、第一次産業ですよ」と、対談の間に何度かおつしやる。話の前後へこれが繋がらず、少し戸惑ったが、畑の話を本当に嬉しそうに語る表情から、繋がりは簡単に解明したものの、何だかもっと意味がありそうだった。「レコーディングは、何といつてもミキシングが一番大事です。川でいえば山の上の源流ね」。                                

この人の仕事のセンスは、この人の生き方のセンスそのものなんだなと、このことばから、もうひとつ深く分かったような気がする。 休日には、海へ出て、釣り三昧で過ごすことも多いそうだ。                                               

油井正一さんがTBMの藤井さんに推薦してくれた

スタートは映画からなんです。中学校でも高校でも、音響に興味があったので放送研究会に入ってました。専門学校を出てから、放送局へ入るつもりだったんですが、入社したのは東映動画。「狼少年ケン」なんかのマンガ映画の音声の仕事をやってました。                                    

その後、アオイスタジオへ行って、ここには10年くらいいたかな。入社した頃はちょうど東京オリンピックの記録映画の海外向けバージョンを製作してました。 新藤兼人さの作品は、ずいぶん手掛けましたよ。 アオイヘ入って1年間くらいはね、「お2階さん」て呼ばれてたんです。映写室が2階にあったからですが、後輩が入って来ると、その人と交代になって、下の階の音響のアシスタン卜になれる。 でも私は、映画のミキシングより音楽の方をやりたかったから、希望を出して音楽スタジオの方へ回してもらいました。                                   

グループサウンズ全盛の頃でね、テンプターズ、ジャガーズ、ゴールデンカップスなんかが頻繁に出入りしてましたね。 まあ、ずうつとアシスタントとしてやってたんですが、ある時にね、ビクターのジャズレーベルの仕事が入ってまして、本来の担当者であるミキサーが来れなくなってしまつたんです。               

仕方なくアシスタントの私に、その役目が回ってきちゃつた。それが宮沢昭さんの「いわな」(ビクター音産・1960年代の終わり、日本ジャズ史に残る傑作アルバム)でして、油井正一さんが監修されてました。 この音がきつと油井さんの印象に残っていたんでしょうね。藤井武さん(TBMのプロデューサー)がレコードやりたいということになった時にアオイスタジオに神成というのがいるから使ってみたら……」となったらしいの。     

TBMの仕事を手掛けるようになったのは、だから油井さんのおかげなんです。 実はそれまで、ジャズの世界はほとんど知らなかったんですよ。仕事としては決して初めてでは無いですけれどね。それ以来、TBMのレコーディングはずうっとやらしてもらってます。                                 

他人の録音を参考にしないで何でもやってみる

皆が出せない音を出そう、という気でやりました。とにかく楽器の中へ入っていこう、楽器が持っているダイナミックスをギリギのところまで引き出してやろう、ということで、マイクロホンを突っ込んでいく。 ベースのコマにマイクを仕込んでみたり、ものすごいオンマイクです。人がどう録っているかは気にしないし、参考にもしない。とにかくほしい音を録るためには、何でもやってみるんです。                     

レコード会社なんかだと、こういうことしちやダメ、なんてね、変なことするとおこられちやうんでしょうけど、私の場合、そうやって 怒る人もいなかったの、幸か不幸かね。                                                        

多少歪みっぼい音でも、それがかえつてジャズ的な表現に結び付くんじやないかと思って……。 要するにキレイキレイをやるんじゃなくて、ここだというところでガーツといく。ピークとかはあまり気にしないんです。その分、カッティングマンが、ものすごく大変だったみたいですが。 今ではみんな圧縮されてるけど、その頃はもう、そんなことなしにそれなりに、ということね。   例えば「ブローアップ」(鈴木勲トリオ+1、TBM−XROO15)なんて片面15分くらいしかないんですよ。アナログディスクで普通25分くらい切るところを、15分くらいで目一杯切っちやう。音溝と音溝の幅があるから振幅も十分にとれます。 リミッターとかコンプレッサーを使ってると、どうしても音が抑ぇられてる感じになるんですね。全体的なレベルは上がるかもしれないけど。                                                             

マイクもね、ピアノはコンデンサーでなきやと言われてたけど、「ミスティー」(山本剛トリオ、TBM・XR−0030)では、エレクトロボイスのダイナミック型を使っています。                                                        

                 

押すだけ押したら引いてみようか

今ではね、録り方もずいぶん変わってきてますよ。マイクを楽器に突っ込んでいくのも限界がありまして。アオイからヤマハへ移った頃、ホールでクラシックもポップスも、仕込みを変えないで録る仕事がありましてね、要するにマイクセットを変えられない。                                   

両方の録音に対応するにはどうしょうかと考えました。マイクを突っ込んでいくだけじやなくて、逆に引いてみようかなと。 引いてみたら、音楽の場の空気感が、ものすごくよく出てくる。スタジオ録音ではそういうこと無理だけど、ホールでだったら出せる。                                  

ホールだったら、ジャズでもクラシックでも、だいたい同じマイクセッティングでいけちやいます。       

つまり、それぞれの楽器にもマイクを立てて、アンビエンスも録って、両者をミックスすればいい。そのミキシングこそが私の仕事だと思うようになったんですね。                                                             

録音エンジニアというより、ズバリ、ミキシング・エンジニアなんです。そのミキシングにこそ、感性が集中すべきだと考えてます。                                        

川でいえば源流がすべてで、そこにいい感性が入っていれば、その情報をいい状態に保っていく限り、下流の水も源流の水とそう変わらない状態で流れてくれるわけ。                                                             

ミキシングがすべて、という考えでいくと、デジタル調整卓は実にいいもんですよ。              

ワンポイント的なマイクセットとONマイクセットがありますね。両者の間に距離がある。その時間差を、ワンポイントに合わせるんですが、デジタル・ディレイで簡単にやれるんです。                                                 

ワンポイントの音のクオリティとか広がりに、ONの音を足していくんです。距離感を合わして足していくから音が濁らない。                                           

ジャズでもクラシックでも、ミキシングのバランスで、どういう対応もできます。だからこそ試されるのがミキサーの感性なんですよ。                                      

空気を録るようになってからは、マイクにも少しこだわるようになってきましたね。                

空気を録るには、やっぱりB&Kですよ。これにかなうものはない。                        

要するにB&Kというのは、空気と一緒に録った時でも、耳で聴く音に近い音で録れるのね。ほとんど色が付かない。 でも、こういうふうに音が出てこないと気持ち悪い、ということがあるから、そういうふうに作ってしまう。やっぱりミキシングね。これにはどうしてもこだわりますよ。                    

ワンポイントマイクだけでやろうとしたら、そのワンポイントを探すのに1日中かかるかもしれないし、一日かけても探せないかもしれないでしょう。                                  

ONとOFFのミキシングをやることによって、音楽の現場の音場を作ってしまう。                               

私のやり方はこれなんです。 だから仕事は早いですよ。時間に対するギャラだったら合わないですよね(笑)。               

 自然がいい…やりたいようにやる 

なんだかね、やりたいようにやってきたんで、そう、努力とか苦労をしてないみたいね。                           

自然にやってきたんですよ。何でもありだと思って。でも、機材を壊したりスピーカーをトバしたりとかはやってませんよ、ほんとに。 壊さない限り、何でもやってみるといいんです。                                                 

XrCdはね、確かに情報量は多いと思います。アナログマスターを20ビットに変換して、最終的には16ビットにしてるんだけど、聴感上は普通の16ビットより情報量が多いのね。                                                   

周りの景色のモヤモヤが入っている。空気感が出てくる。                                         

自然農法で畑もやってるけど、小さい時から釣りが大好きで、石巻にいた頃なんか、学校から帰ると、カバンを家に置いてすぐ釣りに出て行っちやうの。要するに「とる」ことが好きなのかな。                                              

ブラックバスなんかはやらないですよ、食べられる魚でないとね。何でも自然に、やりたいようにやっていきたいんです。 次の仕事が一番いい仕事だと、いつも思いながら。                                                     

 

Audio Accessory 平成11年4月1日発行第23巻通巻92号 より

 

 

 

BRUNDY   (スタジオ雷庵 番犬?)2008年8月29日亡くなりました 8年間有難うございました

ブーちゃん安らかに眠りなさい・・・・合掌

  ゴールデン・リトリーバー オス  

2000年04月13日生まれ      

 

 

 

 

 

 

 

ブランディー            

       はやく散歩に連れてってくれよ

 

 

 

 

 

 

 なんかまぶしいな〜眠くなってきたよ 永遠にお休み

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