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少年優良武道団体表彰状と受賞記念写真
日本武道館出版局発行 月刊武道 2000年3月号 掲載 随筆
青少年を指導する者として思う事
昨年暮れに私の近辺にいじめを苦にしたと見られる原因で自殺をはかった少年がいた。ご両親ともに大事な子を失った悲しみは察するに余りある。私は事件を通して、一つ大きな疑問と同時に、こういう事件に際し私達青少年を指導する立場の者の役割について考えさせられてしまった。それはいじめた側の中心的な生徒の父親は地元小学校のスポーツ少年団野球チームの指導員であり、その子も父親から野球の指導を受けていたようである。そんな意味では私も少林寺拳法を息子に教えているので道は違えども同じ立場にある。そのあたりを考えたとき、私はその父親が野球を通じて、いったい何を子供に教えていたのであろうかと思ってしまうのである。
私の指導する支部にも多くの少年拳士が通っている。どのようなスポーツや武道団体でも責任者に子供への指導を託す父兄は真剣そのものである。それぞれに入会に際しての第一の希望は、特に武道においては、多くの父兄はいじめに遭わないようにしてほしいとか、躾をお願いしたいとか等などでほとんどが共通している。球技などのスポーツ少年団などでの子供達の入会の動機の多くは最初は遊び感覚である。が、実際に入団してみると、週数回の練習と休日ごとに組まれる試合などで、家族を巻き込み、子供たちには休まる暇もないのが現実のようだ。 前述の父親も野球を通じての子供たちの健全育成という高い理想は持っていたと思う。しかし野球の最終目標は試合に勝つことある。成績を上げれば指導者の鼻も高くなる。名誉もついてくる。試合に勝つためには人格よりも技の巧拙をもって人を選び、また入賞のためであれば少々の素行の悪さは目をつむっていたのかもしれないと思うのである。
本来のスポーツ少年団活動を通しての心身ともなる健全な青少年の育成などは勝負を競うスポーツでは多くが何処かに置き忘れられた感がある。少林寺拳法でもやや年季が入ってくると、大会に入賞したいとか、全国大会出場などと欲が出てくる。そうなると拳禅一如の教えもどこへやら、少年たちをあたかもロボットの如き演武を指導し、心の指導はなおざりになってくる傾向があると思うのである。確かに技の巧拙を競うことも技術の向上を図るにはプラスの面も多くある。しかし、目標を捉え違えると本末転倒となってくる。
いずれの武道、スポーツでも我々指導者は集う子供達にその指導の仕方によっては影響を及ぼすところ大である。開祖がご指摘のように、指導者の指し示す方向によって、後より続く者はどのようにでも変わるということを我々は再認識しなければと思うのである。およそいじめを始め、少年犯罪に走った子供たちも最初から悪ではなかったはずである。多くが良き指導者に巡り会わなかっただけかもしれないのである。少年を指導する私たちの責任は重大であると改めて思うこのごろである。
平成10年度(1998年)少年優良武道団体表彰に際し
月刊武道9月号に掲載された特集記事 地元紙の下野新聞にも掲載
@ 指導者 舩生雅秀
A 設立 昭和59(1984年)年5月
B 支部の方針
青少年の心無き言動に無関心が蔓延している昨今、他人に叱られることも知らずに育つ子が多いと聞きますが、少林寺拳法の指導を通じて最低限の社会的規範、常識を指導し、肉体的強さも秘めた上で、人の心を傷つけることの無い思いやりの心を持った人間の育成を目指す。
C 今後の抱負
あ時期がきて親に学習塾通いを強いられた子が、自分で勉強するから少林寺拳法 をやめないとしっかり親に言える子を育てたい。
あ
平成10年度少年武道優良団体表彰状