太い梁

(その十三)


テレビを見ていたら、昔の蔵を改造した部屋が映っていた。
昔ながらの古い農家などでも見られるものだけど、天井に
立派な太い梁があった。
私は、“あれが落ちてきたら大変よねぇ”と家人に話しなが
ら、ふっと、こんなことを思い出していた。

戦時中、慰問袋を作って前線の兵隊さんに送ったものだが、
何か手作りのものを入れたいと、一生懸命考えた。
十三・四歳の少女が考えたもの。それは・・・
侍人形だった。

軍国少女は、兵隊さんを励ますつもりで、頑張って作った
積もりだったけど、受け取られた方はどう思われただろう。
それは、厳つい「藤田東湖」の人形だったんだもの。




水戸の弘道館の正面玄関を入って広い廊下を左に曲がった
直ぐの壁に東湖さんの肖像画やら書などが展示されている。

もう二十年も前になるだろうか。水戸偕楽園の梅を観に
行って、ついでに徳川一色の感のある水戸を見て廻った。
西山荘にも行った。ふくよかな光圀さんにも会って、かの
大日本史が積まれていた書棚を見て感動したものだった。

軍国少女の私は、東湖さんのこの大きな詩に感動した。

      天地 正大の気、
      粋然として 神州に鍾まる。
      秀でては 不二の岳と為り、
      巍巍として 千秋に聳ゆ。(一部分)

多感な少女の心を最も捉えて離さなかったものは、

≪  安政の大地震に老母を救おう
      とし梁木に圧せられて死んだ。 ≫

である。(15・7・4記)


次へ→


トップへ戻る