顔というもの |
人の顔というものは、この世に生を享けてからその生を閉じるまで 常に変わり続けているものだ。 赤ん坊(赤い顔して生まれるから赤ん坊というらしい)がひたすら 乳首を捜している時は、みな似たような顔をしている。 産院の新生児室を覗いてご覧なさい、どれが我が子かすぐ分かりま すか? だんだん知恵がついてきて生意気を言うようになると、顔も親の どっちかに似てくる。小さい子は会う度に顔が変わって楽しいものだ が、今のところ、なかなか孫にも逢えない。離れているし、まだ幼い し、それぞれ生活のパターンも違うし・・・仕方がない。 |
さて、波乱のない穏やかな生活を送っている人は、実に穏やかな顔 をしておられるものだ。 私は、そういう顔になりたいとずっと憧れてきた。 環境以前に自分の性格を先ず改善しなければならない。 しかし、「習い性となる」の諺どおり、日常の生活、心の葛藤などが 顔を作るのも確かなようだ。 おっとりとしていられない多忙の中で、人間関係の難しさも味わい、 時には、胸の中を荒々しく掴み出されるような言葉を浴び、それを 堪える苦しさは並大抵ではない。 そういう時期の私の顔はどんな顔だったろう。 写真は実に正直だ。 折々の顔は、生きてきた私の歴史をみるようだ。 毎日が日曜日となった今、もう歯を喰いしばる必要もないし、気楽に やりたいことをやれる時間はたっぷりある。 しかしこうなるとどうも時間だけがたっぷりあって意欲のほうが・・・ 漸く本来の私の性格に戻ったようだ! ≪ナ・マ・ケ・モ・ノ≫で〜す。あ〜あ、しんどかったわ〜。 |