来し方を想ふ |
(8)ヴェニスの商人 の熊本時代から数年経過して再び 私は熊本で少しの間暮らした。 (この間の経過した数年というのは、父親の仕事の関係で 宮崎、大分で暮らしたのだったが。) 熊本の話のついでに再びの熊本時代を思い出してみよう。 親達は大分県のある市にいたが、私だけ熊本の母の妹の家 に世話になって市内のデパートに就職した。 ![]() デパートといっても売り子ではなく、宣伝課という言わば 裏方さんだ。 華やかな店内からは想像も出来ない大変な仕事場だった。 今頃のデパートはそんなことはないだろうが、あの時代だ もの。 店内放送のアナウンス、ショーウィンドーの飾りつけ、 電通の職員の出入り、催し物の案内をラジオで流す為の 原稿書き・・・などなど。 なんだかとても雑然とした雰囲気だったように思う。 記憶に残っているのはラジオで流す文を書かされたことだ。 雛人形の売り出しのコマーシャルだったと思う。 ちょっと嬉しかったなぁ。 出入りする電通の人がちょいといい男で長谷川一夫みたい な雰囲気だった。(言うことが古いネ)(笑) その人に、ある時奥さんから電話が入った。 彼は「えっ、カレーライス?そう〜嬉しいなぁ〜」と 少しトーンの上がった声で返事をしている。 カレーライス位でこんなに喜ぶ男がいるのかと、少々驚い た。子供じゃあるまいし・・・・・。 (はは〜ん、華やかなデパートに出入りしているので、 奥さんに時々締められてるな?ゴマ擂ってるんだ〜。) (ふふふ・・(笑)下司の勘ぐりだね。(笑)) ショーウィンドーの飾りつけを変える時は大変だけど 楽しかった〜。ちょっと置き方を変えるだけでぐんと見栄 えがするんだもの。 専門の人が居て、ああでもない、こうでもないと ためつすがめつ眺めてやっと決定する。 ![]() 今でも私はデパートのショーウィンドーを見ると、 「う〜ん巧いなぁ」と、飾りつけをした人たちのご苦労 を思ってしまう。(H.18.9.12記) |