来し方を想ふ |
平成十八年の秋の始まり。いつもこの部屋にいて 任天堂DSの「脳を鍛える大人のトレーニング」 を着実に毎日欠かすことなくやって、トレーニング 終了のハンコを毎日貰っている夫。 「要支援」の体になってからは、外を歩くことも 無く、この部屋で健康器具を使って、これも毎日、 同じ時間に、同じ回数、きっちりこなしている。 「任天堂DS」のこのトレーニングのチップは、 何時の間にかレベルアップして、もう三個も使って いる。 これに疲れると、うとうとまどろむ。 目覚めると本などを読んでいるが、またDSを 始める。一日にこなす量を決めているのだろう。 このDSのトレーニングはいろんなジャンルがあり 結構難しい。 記憶物や数字物は夫の得意中の得意だが、私には 苦手中の苦手だ。頭がパニックになってしまう。 終戦時、海軍の学校の生徒だった夫は、いつも細身 の紺色のズボンを履き、洗い晒しの白いワイシャツ を着ていた。 あばたも笑窪とやら・・神経質そうな細い指まで 素適に見えちゃって・・・(^.^) ある夜、パイオリニストの岩本真理さんの演奏会に 行った。深紅のドレスに深紅の靴を履いた彼女は とても美しかった。 ロマンティックな気分も抜けやらぬまま、会場を出 て生垣の根元に腰を下ろした私に、 この「あばたも笑窪」が囁いた。 「僕と一緒になってください。僕は生活をエンジョイ することだけは自信があります」 ある日、この話をしたら、彼は「覚えていない」と ぬかした。そうでしょう、そうでしょう・・・・・。 エンジョイしたのは結局、己ひとりだけだものね。 (H.18.9.24記) |