来し方を想ふ |
父の仕事の関係で、本屋さんというのか、何か書籍を 扱う人と繋がりがあったことがある。 熊本時代だから、私まだ十八・九歳だった。 後々、我が家の狭い暮しに本の山を作った原因となった 人だが。 この人の会社が盛んだった頃、会社で前進座の公演が あるからと、招待を受けた。 一番前の所謂かぶりつきに座った。 それほど広い部屋ではなかったので、役者さんの息遣い が聞こえるようだった。 ああいう赤毛ものを観たのが、私が芝居というものを 観る最初だったので、芝居というのは舞台上で絶えず 動くものなんだと感動した。 ぼーっと突っ立っている役者は一人もいなかった。 立っているだけだのに、隣の男となにか喋っているかの ような演技をしている。 シャイロックが迫真の演技をするとき、衣装は風を起こ し、その風は、かぶりつきの私の鼻先をかすめた。 |
本物の芝居を観て、私はすっかりその気になった。 前後の経緯などは覚えていないが、YWCAに入り、 演劇部で、輪読だなんてことを経験したのはご愛嬌。 |
なにが原因だったのか、この本屋さんが倒産して相当 数の本が我が家に積まれることになった。 戦後間もない時代の本は、紙質も悪かったと思うが、 モーパッサン、ドストエフスキー、トルストイ、 ヘルマン・ヘッセなどなど、面白そうなものだけ拾い 読みしたものだ。 私は精読ができなくて、斜め読みばかりだから、きち んとした記憶がない。 ついでに言うと、記憶力も悪いし、方向音痴だし、よく この歳まで生きて来られたと我ながら感心している。 (H.18.7.28記) |