月の初めに想う


(76) 老婆の戯言

これから書くことは、少々脳の状態も怪しくなった八十一歳の老婆の戯言です。

六月末に亡くなった夫の遺品を整理していたところ、吃驚仰天とんでもない物が
出てきました。
ざっと六十年も昔に、私が彼に宛てた手紙の束が一塊り。二年半分それも日付順
にきちんと纏められているじゃありませんか。

なにしろ三日置き位に出しているので、一体何を書いているのかと、我ながら不
思議に思いながら読んでみましたよ。

六十年分の湿気を吸って固まっている封書は、まだ結婚前の私が、食うや食わず
で東京で苦学していた彼を励ましたり健康を心配したり、それはそれはいじらし
いものでしたねぇ。

自分の仕事のこと、世話になってる叔母夫婦の揉め事などまで、自分はどう考え
ているかとか、そんなことを細かく報告しているのですね。

彼は筆不精の上、忙しくて返事も碌に無かったらしいのね。
それでも、若干二十二・三のうら若き乙女の私は、
「いいのよいいのよ、貴方はお仕事とお勉強でお忙しいのですから、私へのお返事
なんてまったく気になさらないで。でもお体には充分気をつけてくださいね」・・
などと、殊勝なことを綿々と書き連ねておりました。

なにより面白かったのは全部、歴史的仮名遣いと旧漢字だったの。
時代を感じましたねぇ。

あれだけ引っ越しを重ねてきたのに、どうやってこの手紙の束を私にバレないよう
に荷物に潜ませたのかと、それが不思議でなりません。
私は今回発見するまで、自分がこんなに手紙を出していたことすら忘れていました
。ハハハ♪

二十年前のまだ若々しい彼は、いつも悪戯っぽく私を見て笑っています。

若しかしたらあの手紙束のこと、彼はとっくに忘れていたのかもしれない。
大事に取ってあったわけじゃないのかも知れない。

でもあの大発見以来、私はとても幸せです。
この上もない幸福感に満たされています。(H.23.9.1記)


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