来し方を想ふ


(7) 峠の茶屋


「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。
向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊るされて、
屈託気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり
並んで、そばに五輪銭と文久銭が散らばっている。


ご存知「草枕」に出てくるこの「峠の茶屋」に行ったことがある。
友達と文庫本を持って、この山に登ったんだけど、相当きつか
ったように記憶している。
峠の茶屋と板に書かれていたと思う。
踏みしめられた土間は覚えているが、あとの茶屋の様子は
まるで覚えていない。
漱石の文章のように作られていたかも知れない。

この日の私のいでたちは、臙脂のビロードのジャンバーに同じ色
のベレーを被り、お手製の黒のスラックスを履いていた。
スラックスは、父のズボンを直したものよ。
靴は黒い布の靴で自分で赤い布で縁取りをしたものだった。
まだ19歳の夢多き乙女だったわ。


熊本には、水前寺公園がある。
水前寺清子という歌手がいるけど彼女も熊本の人なのね。
公園にも、当然行ったことはあるけど、大名が、金に飽かせて
造った贅沢なところだなあという気持ちしか起きなかった。


やはり熊本には、中村汀女という女流俳人がおられた。
私は、この方の
「あはれ子の夜寒の床の引けば寄る」
の句が大好きだ。子を思う母の愛情がしみじみ伝わってくる。

汀女さんが逝かれてもうどれほどの歳月が流れただろうか。
台所俳句ともいわれたが、女性らしい感性の句が素晴らしい。
(H.18.7.21記)


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