来し方を想ふ |
「おい」と声を掛けたが返事がない。 軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。 向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊るされて、 屈託気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり 並んで、そばに五輪銭と文久銭が散らばっている。 |
ご存知「草枕」に出てくるこの「峠の茶屋」に行ったことがある。 友達と文庫本を持って、この山に登ったんだけど、相当きつか ったように記憶している。 峠の茶屋と板に書かれていたと思う。 踏みしめられた土間は覚えているが、あとの茶屋の様子は まるで覚えていない。 漱石の文章のように作られていたかも知れない。 この日の私のいでたちは、臙脂のビロードのジャンバーに同じ色 のベレーを被り、お手製の黒のスラックスを履いていた。 スラックスは、父のズボンを直したものよ。 靴は黒い布の靴で自分で赤い布で縁取りをしたものだった。 まだ19歳の夢多き乙女だったわ。 熊本には、水前寺公園がある。 水前寺清子という歌手がいるけど彼女も熊本の人なのね。 公園にも、当然行ったことはあるけど、大名が、金に飽かせて 造った贅沢なところだなあという気持ちしか起きなかった。 やはり熊本には、中村汀女という女流俳人がおられた。 私は、この方の 「あはれ子の夜寒の床の引けば寄る」 の句が大好きだ。子を思う母の愛情がしみじみ伝わってくる。 汀女さんが逝かれてもうどれほどの歳月が流れただろうか。 台所俳句ともいわれたが、女性らしい感性の句が素晴らしい。 (H.18.7.21記) |