来し方を想ふ |
「九十を過ぎた頃からかねぇ、ちょっと歳とったなと感じ始めた のは」 九十五歳で人生を閉じた母は、よくこんなことを言っていた。 考えてみると、母にとって無駄なものは何一つ無かったように思う。 母はよくこう言っていた。 「この頃の母親はおかずを自分の分まできちんと作るけど、 私は、みんなの残り物でまにあったよ。」 そういえば、例えば父は、煮魚の骨のないところを食べ、 母は骨の辺りや、魚の脳みそ、目玉などを綺麗に食べると、残りに お湯を注いで美味しそうに飲んでいた。 これは、今思うと、母は一番美味しくて栄養のあるところを食べて いたことになる。 私が今でも真似しているのは、西瓜の白い部分の漬物だ。 家族が赤い美味しいところをがぶがぶと食べた後、 歯が当たった所を包丁で綺麗に取り、皮を剥く。 残った白い部分を短冊に切って軽く塩をして冷やして置く。 その日の夕飯の私のお漬物は、この美味しい西瓜だ。 母は食べ物に限らず、着物や洋服の切れ端にいたるまで、最後 まで使い切っていたように思う。 晩年、私が仏様の前に座る座布団を作ってと頼んだことがある。 外側の袋の布は私が持っていったのだが、中の袋が何で出来て いるのか知らなかった。 ある日、中を見て私は吃驚仰天、息を呑んだ。 色とりどりの端切れを綺麗に三角に切り揃え、見事なパッチワーク に仕上げていた。 思い出の柄が沢山入っていた。 物を粗末にしないで、どんな物でも、その命をまっとうさせた 母は、与えられた自分の一生を完璧にまっとうしたと 私は思っている。母の遺伝子は私には?(H.18.7.18記) |