来し方を想ふ


(6)母の遺伝子は?


「九十を過ぎた頃からかねぇ、ちょっと歳とったなと感じ始めた
のは」
九十五歳で人生を閉じた母は、よくこんなことを言っていた。

考えてみると、母にとって無駄なものは何一つ無かったように思う。
母はよくこう言っていた。
「この頃の母親はおかずを自分の分まできちんと作るけど、
私は、みんなの残り物でまにあったよ。」

そういえば、例えば父は、煮魚の骨のないところを食べ、
母は骨の辺りや、魚の脳みそ、目玉などを綺麗に食べると、残りに
お湯を注いで美味しそうに飲んでいた。
これは、今思うと、母は一番美味しくて栄養のあるところを食べて
いたことになる。

私が今でも真似しているのは、西瓜の白い部分の漬物だ。
家族が赤い美味しいところをがぶがぶと食べた後、
歯が当たった所を包丁で綺麗に取り、皮を剥く。
残った白い部分を短冊に切って軽く塩をして冷やして置く。
その日の夕飯の私のお漬物は、この美味しい西瓜だ。



母は食べ物に限らず、着物や洋服の切れ端にいたるまで、最後
まで使い切っていたように思う。

晩年、私が仏様の前に座る座布団を作ってと頼んだことがある。
外側の袋の布は私が持っていったのだが、中の袋が何で出来て
いるのか知らなかった。
ある日、中を見て私は吃驚仰天、息を呑んだ。

色とりどりの端切れを綺麗に三角に切り揃え、見事なパッチワーク
に仕上げていた。
思い出の柄が沢山入っていた。

物を粗末にしないで、どんな物でも、その命をまっとうさせた
母は、与えられた自分の一生を完璧にまっとうしたと
私は思っている。母の遺伝子は私には?(H.18.7.18記)


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