来し方を想ふ |
旧制高等学校の生徒は、皆バンカラみたいなイメージが あるけど、そうじゃない人もいた。 兄は柔道部のバンカラだったが、兄の友達のKさんは 違った。 「ごめんくださ〜い」明るい若々しい声が聞こえると、 誰よりも先に玄関にすっとんで出た私だった。 (Kさんだ・・・) “いらっしゃいませ” 「お兄さんいらっしゃいますか」 霜降りの詰襟の学生服でにっこり微笑んでいる。 “はい、おります。ちょっとお待ちくださいませ” それだけのことだったが。 ある日、兄の部屋ですきやきをやった。 Kさんが肉を持参し、Oさんはバナナを沢山持って来た。 どうしてバナナだったのか今でも分からない。 私は、いそいそと野菜や調味料などを運んだ。 兄が何をしていたのか全然覚えていない。 Kさんが私に「お肉が煮えたよ」といって小皿に取って くれた。私はメンバーでもないのに、この優しさ!! 女学生のちっちゃな女の子のハートは震えた。 |
最近、兄に電話をしたとき冗談でKさんのことを話したら 「あ、そうか〜 ハハハハハ。あいつは今でも乗馬やって るよ」 “え?あの人乗馬部だったの?そォ〜” こんど、母の古いアルバムを探してみようかなァ 兄の学生時代の写真があるかも・・・・・・ 戦況が厳しくなり、兄が入隊する頃、兄の友人達も次々に 入隊した。 「落下傘部隊に入ります!」とにこやかに笑って報告に 来られた青年、後に特攻隊員になられた方。 柔道部の主将だったTさんは、特攻隊で出動しながら 何故か三度も戻ってこられた。 数年前に亡くなられたそうだが、遂に一生重荷を背負って 生きられたとか。自分だけ生還したという・・重荷・・。 大正の終わりに生まれた兄は、電話口でちょっと息切れし ていた。まだまだ元気でいてね。(H.18.7.14記) |