来し方を想ふ


(5) 初恋かなぁ


旧制高等学校の生徒は、皆バンカラみたいなイメージが
あるけど、そうじゃない人もいた。
兄は柔道部のバンカラだったが、兄の友達のKさんは
違った。

「ごめんくださ〜い」明るい若々しい声が聞こえると、
誰よりも先に玄関にすっとんで出た私だった。
(Kさんだ・・・)
“いらっしゃいませ”
「お兄さんいらっしゃいますか」
霜降りの詰襟の学生服でにっこり微笑んでいる。
“はい、おります。ちょっとお待ちくださいませ”
それだけのことだったが。

ある日、兄の部屋ですきやきをやった。
Kさんが肉を持参し、Oさんはバナナを沢山持って来た。
どうしてバナナだったのか今でも分からない。

私は、いそいそと野菜や調味料などを運んだ。
兄が何をしていたのか全然覚えていない。
Kさんが私に「お肉が煮えたよ」といって小皿に取って
くれた。私はメンバーでもないのに、この優しさ!!
女学生のちっちゃな女の子のハートは震えた。



最近、兄に電話をしたとき冗談でKさんのことを話したら
「あ、そうか〜 ハハハハハ。あいつは今でも乗馬やって
るよ」
“え?あの人乗馬部だったの?そォ〜”

こんど、母の古いアルバムを探してみようかなァ
兄の学生時代の写真があるかも・・・・・・


戦況が厳しくなり、兄が入隊する頃、兄の友人達も次々に
入隊した。
「落下傘部隊に入ります!」とにこやかに笑って報告に
来られた青年、後に特攻隊員になられた方。

柔道部の主将だったTさんは、特攻隊で出動しながら
何故か三度も戻ってこられた。
数年前に亡くなられたそうだが、遂に一生重荷を背負って
生きられたとか。自分だけ生還したという・・重荷・・。


大正の終わりに生まれた兄は、電話口でちょっと息切れし
ていた。まだまだ元気でいてね。(H.18.7.14記)


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