来し方を想ふ |
引揚げてきて、生まれて初めて入った職場が生命保険会社 だったけど、一年もいたかどうか・・。 つらつら考えてみたら、解約係だったにもかかわらず、 勧誘というノルマがあったらしいことを思い出した。 そこを辞めて、前に書いた速記学校に入ったんだったわ。 子供のころから、軽快な人付き合いが苦手な私が、どうして 保険の勧誘などができましょうか。 |
ある日、女学校で仲良しだったKさんが熊本に用事で来る というので、どこかのバス停で待ち合わせた。 引揚げ以来の対面だった。 台北の料亭の娘だった彼女は、銘仙かなにかだと思うが、 襟元をきっちり詰めた着物で、羽織も着ていたと思う。 バスから降りた彼女と抱き合って再会を喜んだのだけど、 あの時代に着物を着て来たのには驚いた。 我が引揚寮に案内して、窓辺で歌を唄ったっけ・・・。 オー・ソレミオ うるわしの日は差しきぬ 嵐やみて晴れた空♪ さわやかにそよ風ふき うるわしき日は差しきぬ♪ いとし日のなつかし わが日かげ わが日よ♪ おおわが日かげ なつかしとわの日♪ 十数年前、私に初めて同窓会の案内がきて、名簿が 送られてきたので、早速Kさんに電話をした。 懐かしい、いい声だった。 わくわくして私が話す、あの熊本でのことを、彼女は なにも覚えていないと言った。 “いままで孫がいてね。いま帰ったところなのよ。 私は狭心症持っていて、ニトロを枕元に置いて寝てる ありさまでね。もう、お化粧もせんと、マックロケな 顔してるの。” ------------------ 女学校時代に、一度だけあのしっとりとした料亭に 遊びにいったことがある。 綺麗に打ち水された飛び石の奥に彼女の部屋があった。 “うちの母ね、胃下垂なの。だから少しずつ何回も 食べるのよ” 私が初めて知った胃下垂という病名だった。 (へぇ〜、あの綺麗なおかあさんが・・・) 頑健じゃないということが、とてもロマンティックに 思えたものだった。 ------------------- 「孫がね・・・・・お化粧もせんとマックロケな顔・」 ・・・・・・・ “お体を大事になさってね”私はそっと受話器を置いた。 (H.18.7.10) |