来し方を想ふ


(4) メランコリー


引揚げてきて、生まれて初めて入った職場が生命保険会社
だったけど、一年もいたかどうか・・。
つらつら考えてみたら、解約係だったにもかかわらず、
勧誘というノルマがあったらしいことを思い出した。
そこを辞めて、前に書いた速記学校に入ったんだったわ。

子供のころから、軽快な人付き合いが苦手な私が、どうして
保険の勧誘などができましょうか。


ある日、女学校で仲良しだったKさんが熊本に用事で来る
というので、どこかのバス停で待ち合わせた。
引揚げ以来の対面だった。
台北の料亭の娘だった彼女は、銘仙かなにかだと思うが、
襟元をきっちり詰めた着物で、羽織も着ていたと思う。

バスから降りた彼女と抱き合って再会を喜んだのだけど、
あの時代に着物を着て来たのには驚いた。
我が引揚寮に案内して、窓辺で歌を唄ったっけ・・・。

      オー・ソレミオ
うるわしの日は差しきぬ 嵐やみて晴れた空♪
さわやかにそよ風ふき  うるわしき日は差しきぬ♪
いとし日のなつかし  わが日かげ わが日よ♪
おおわが日かげ なつかしとわの日♪

十数年前、私に初めて同窓会の案内がきて、名簿が
送られてきたので、早速Kさんに電話をした。
懐かしい、いい声だった。
わくわくして私が話す、あの熊本でのことを、彼女は
なにも覚えていないと言った。
“いままで孫がいてね。いま帰ったところなのよ。
私は狭心症持っていて、ニトロを枕元に置いて寝てる
ありさまでね。もう、お化粧もせんと、マックロケな
顔してるの。”

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女学校時代に、一度だけあのしっとりとした料亭に
遊びにいったことがある。

綺麗に打ち水された飛び石の奥に彼女の部屋があった。
“うちの母ね、胃下垂なの。だから少しずつ何回も
食べるのよ”
私が初めて知った胃下垂という病名だった。
(へぇ〜、あの綺麗なおかあさんが・・・)
頑健じゃないということが、とてもロマンティックに
思えたものだった。

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「孫がね・・・・・お化粧もせんとマックロケな顔・」
・・・・・・・
“お体を大事になさってね”私はそっと受話器を置いた。
(H.18.7.10)


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