来し方を想ふ |
記憶力の悪い私だのに、歳をとって益々おぼろげになった 記憶を辿って書いているので、話の時期が多少ずれている かもしれない。 誰にも関心のない話を書いているわけで、息子達が仮に 読んだとしても、昭和何年とか、どこで誰がなんてどうで もいいことなので、このままうろ覚えを書いていこう。 |
どういうコネがあったのか、私は保険会社に就職した。 解約係だった。薄っぺらな社報か何かに、生意気に小説 みたいなものを書いた。忘れもしない「せんべい布団」と いう題名だった。引揚寮の庭の椅子に座って、いっぱし ぶって無い頭をしぼったものだ(笑) どうも時期がはっきりしないのだけど、速記の学校にも 行ったのよね。 父と兄が、兄の旧制高校時代の友人と一緒に、雑誌を出し た。私も労働基準監督署の偉いさんのところに取材に行った りして。 速記を少しぐらい勉強したといったって、実戦では屁の役 にもたちゃしない。要約筆記よね。 「正論」だなんて、理屈っぽいこんな雑誌が売れるわけも なく、五号で廃刊!! 当たり前よねぇ。(笑) |
ある日、母が珍しくプンプンしていた。 なんだか父が浮かれているというのだ。“なんでぇ??” まだまだ子供の私にはよくわからない世界だけれど、 寮のMさんというおばさんと、“夕方になると楽しそうに表 で喋ってるのよォ。みっともないッ” Mさんは未亡人で、ぽっちゃりした女だったからねぇ。(^.^) そういえば、母はまだ四十代の女盛りだったもの。 焼餅の一つも妬くわよ。(H.18.7.6) |