来し方を想ふ


(16) 奥様は観音さま


私が自己満足をして持っていった「一切空」の横額の前に
A先生が立たれた。
「一切が空ということは、何も無いということです。
一切空という言葉も無いのですよ本来はね。」(えっ?)
(そんなこと言われたって、文字で書けば一切空でしょ)

口髭を蓄えた小柄な先生は微笑みながらじっと見ておら
れたが、「一の字をもっと力強くしっかりお書きなさい」
と仰った。
嬉しかった〜。生の指導を受けたのは初めてだったから。

仏教的というか、哲学的というか、こんなことを話して
くださる先生に指導して頂きたいと、私は身震いしながら
お願いした。

先生のご自宅、世田谷の経堂まで、片道2時間かかったが
週一回、息子達が学校に行ってる時間帯にお邪魔すること
になった。
自然のままのこんもりとした植木の中の、小さな二階建
のお宅だった。古い静まり返ったそのお宅は、うっかり
すると見落とすほど簡素なものだった。

小さなお稽古部屋には、立派な教室を持ったベテランの
師範達が指導を受けたり、和やかに話などをしていた。
先生の左側に床の間があり、小さな観音様が居られた。
奥様のお顔にそっくりだった。

茶道をなさる奥様は実に物静かな方だった。
「家内にそっくりだったので買ってきました」
先生はちょっと照れたように笑っておられたが・・・。

奥様のお部屋は階段の下の狭いスペースだった。(H.19.1.30記)


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