来し方を想ふ |
私が自己満足をして持っていった「一切空」の横額の前に A先生が立たれた。 「一切が空ということは、何も無いということです。 一切空という言葉も無いのですよ本来はね。」(えっ?) (そんなこと言われたって、文字で書けば一切空でしょ) 口髭を蓄えた小柄な先生は微笑みながらじっと見ておら れたが、「一の字をもっと力強くしっかりお書きなさい」 と仰った。 嬉しかった〜。生の指導を受けたのは初めてだったから。 仏教的というか、哲学的というか、こんなことを話して くださる先生に指導して頂きたいと、私は身震いしながら お願いした。 先生のご自宅、世田谷の経堂まで、片道2時間かかったが 週一回、息子達が学校に行ってる時間帯にお邪魔すること になった。 自然のままのこんもりとした植木の中の、小さな二階建 のお宅だった。古い静まり返ったそのお宅は、うっかり すると見落とすほど簡素なものだった。 小さなお稽古部屋には、立派な教室を持ったベテランの 師範達が指導を受けたり、和やかに話などをしていた。 先生の左側に床の間があり、小さな観音様が居られた。 奥様のお顔にそっくりだった。 茶道をなさる奥様は実に物静かな方だった。 「家内にそっくりだったので買ってきました」 先生はちょっと照れたように笑っておられたが・・・。 奥様のお部屋は階段の下の狭いスペースだった。(H.19.1.30記) |