来し方を想ふ |
文化書道は、尋常小学校書き方手本 をお書きになった、 西脇呉石先生が始められた流派だ。 その美しく気品のある書に、私は心酔した。 まだ練習を始めて間が無いころだった。 ある日、一字だけを夢中で書いているうちに、ふっと、 なにかを感じた。その字の心とでもいうものだっただろう か。 その文字の魂に触れたような気がした。 毎月、級が上がっていったが、証書が届いた日の夜には、 必ず亡父が夢に出てきた。不思議なことだったが、多分 喜んでくれていたのだろう。 そうこうする内に三段になり、師範の免状が届いた。 師範になれば、子供相手の寺子屋は開かれる。 あんな狭い家で、私は図々しくも寺子屋を始めた。 恥ずかしかったけど背に腹は変えられない内職だもの。 かなりの子供さんが来てくれた。有り難かった。 通信教育は続けて受けていたがだんだん難しくなってきた。 六段までなんとか辿り着いたのだが、そこで行き詰った。 形式とか技術は大体習得したが、それから先が見えない。 通信教育の限界だった。 ある日、浅草で師範以上の書道展があった。 私は「一切空」と横額を書いて出したのだが、生意気にも 般若心経の心を書いたとの自負は見事に打ち砕かれた。 世田谷の経堂にお住まいだった、ある先生の一言だった。 (H.19.1.23記) |