来し方を想ふ |
都営住宅に住んでいた私達一家四人だったが、夫の会社 まで、些か遠すぎた。 乗り換えを入れて、片道2時間、帰りの遅い仕事で 往復4時間はさぞ辛かったことだろう。 思い切って、会社の家族寮に引っ越した。 職住接近で夫の体はうんと楽になったと思う。 年子の息子達は2・3歳か、3・4歳だったと思う。 当時は女房達の内職が大流行だった。皆、安月給だった し、社員家族寮では誰も気取る人などいなかったから。 私は、家で子供を見ながらする仕事はないかと考えた。 子供が学校へ行きだしてからも、母親は家にいなくては いけない。家にいてやれる仕事はなんだろう。 大阪で習字教室をやっていた私の父が、お前もやったら どうだと言っていたし、母も「女もなにか資格を持ってた 方がいいよ」と、盛んに言っていた。 よし!決めた!。 当時流行っていた文化書道の通信教育を受け始めた。 毎日二時間、きっちり、私は休むことなく書き続けた。 私が練習する時間は、子供達は表に出さなかった。 目が届かないからだ。 一ヶ月に一回、提出しなければいけない。 「今日はお清書だからね」と子供達にいうと、 息子達は「ハイ。おセイショだよ。」と二人で実に静か に遊んでくれた。 声まで潜めて・・・・。思い出しても涙が出る。 こうして毎月、級が上がっていった。(H19.1.22記) |