来し方を想ふ


(14) お清書の日


都営住宅に住んでいた私達一家四人だったが、夫の会社
まで、些か遠すぎた。
乗り換えを入れて、片道2時間、帰りの遅い仕事で
往復4時間はさぞ辛かったことだろう。

思い切って、会社の家族寮に引っ越した。
職住接近で夫の体はうんと楽になったと思う。

年子の息子達は2・3歳か、3・4歳だったと思う。
当時は女房達の内職が大流行だった。皆、安月給だった
し、社員家族寮では誰も気取る人などいなかったから。

私は、家で子供を見ながらする仕事はないかと考えた。
子供が学校へ行きだしてからも、母親は家にいなくては
いけない。家にいてやれる仕事はなんだろう。

大阪で習字教室をやっていた私の父が、お前もやったら
どうだと言っていたし、母も「女もなにか資格を持ってた
方がいいよ」と、盛んに言っていた。

よし!決めた!。
当時流行っていた文化書道の通信教育を受け始めた。
毎日二時間、きっちり、私は休むことなく書き続けた。
私が練習する時間は、子供達は表に出さなかった。
目が届かないからだ。

一ヶ月に一回、提出しなければいけない。
「今日はお清書だからね」と子供達にいうと、
息子達は「ハイ。おセイショだよ。」と二人で実に静か
に遊んでくれた。
声まで潜めて・・・・。思い出しても涙が出る。

こうして毎月、級が上がっていった。(H19.1.22記)


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