来し方を想ふ |
古臭い昔の話ばかり書いているので、あまり楽しくない。 でも、私の半生の中で最も書きたい部分は、正直いって そのまま書くわけにはいかない。 私にとっては、もう過去の話であり、心の中で総括済み ではあるけれど、結婚生活の曲折であり、茶碗の中の嵐 に過ぎなくても、非常に辛い話だからだ。 |
というわけで、気を取り直してまた古い話をしよう。 宮崎で父母と妹と弟と私の五人で自転車屋の二階に間借り したことがある。 間借りといっても、この二階には縁側があり、そこに七輪 を置いて母は食事を作っていた。 後に私の夫になったKが、“将を射んとすれば先ず馬を 射よ”とばかりに、しょっちゅう来ては、父と碁を打った のもこの部屋だ。 父としては相当いまいましかった筈だが、好きな碁の相手 をしてくれるのだから、複雑な心境だっただろう。 |
間もなく親たちは大分県に移ったが、私は仕事の関係で 少しの間、この部屋に残った。一間だけ借りて下宿した。 下宿人の私を含めて六人くらいの所帯を賄うオバサンは、 食べ物の手に入りにくいあの時代に、大変だったろう。 ある夜、食卓に大きな鰯が一匹づつ並んだ。 「尾頭付きだ!!」 あとは、黄色い沢庵と、大鍋に大根の味噌汁が七輪で 滾っていた。 素晴らしいご馳走だった。 十数年前にこの懐かしい自転車屋さんの前を通ったことが ある。白いマンション風の建物で一階が自転車屋になって いた。(H.18.11.25記) |