来し方を想ふ


(12) 尾頭付き?


古臭い昔の話ばかり書いているので、あまり楽しくない。
でも、私の半生の中で最も書きたい部分は、正直いって
そのまま書くわけにはいかない。

私にとっては、もう過去の話であり、心の中で総括済み
ではあるけれど、結婚生活の曲折であり、茶碗の中の嵐
に過ぎなくても、非常に辛い話だからだ。


というわけで、気を取り直してまた古い話をしよう。

宮崎で父母と妹と弟と私の五人で自転車屋の二階に間借り
したことがある。
間借りといっても、この二階には縁側があり、そこに七輪
を置いて母は食事を作っていた。

後に私の夫になったKが、“将を射んとすれば先ず馬を
射よ”とばかりに、しょっちゅう来ては、父と碁を打った
のもこの部屋だ。
父としては相当いまいましかった筈だが、好きな碁の相手
をしてくれるのだから、複雑な心境だっただろう。


間もなく親たちは大分県に移ったが、私は仕事の関係で
少しの間、この部屋に残った。一間だけ借りて下宿した。

下宿人の私を含めて六人くらいの所帯を賄うオバサンは、
食べ物の手に入りにくいあの時代に、大変だったろう。
ある夜、食卓に大きな鰯が一匹づつ並んだ。
「尾頭付きだ!!」
あとは、黄色い沢庵と、大鍋に大根の味噌汁が七輪で
滾っていた。 素晴らしいご馳走だった。 

十数年前にこの懐かしい自転車屋さんの前を通ったことが
ある。白いマンション風の建物で一階が自転車屋になって
いた。(H.18.11.25記)

次へ→


トップへ戻る