来し方を想ふ


(1) 熊本城


戦後、熊本のある職場で、私のデスクにコスモスの一枝が飾られ
た。どうしてそこにあったのかは覚えていない。
美しく、頼りなげなピンクの花は一枝に五・六輪は付いていただ
ろう。そのしなやかな美しさに私は見惚れた。

私のいる総務課にSさんという六・七歳年上の青年がいた。
桜の季節に、上品で物静かなその人が、突然話しかけてきた。
「お花が綺麗に咲いてるよ」覗き込む優しい笑顔に私がどぎまぎ
していると、彼はそれだけ言ってさっさと室に入っていった。

或る日、東京出張から帰った彼が、また唐突に声を掛けてきた。
「出張のお土産を上げたいから、お花見かたがたお城に行かない
?」
Sさんを憎からず想っている私だもの、二つ返事で付いて行った。

熊本城の石垣の上に広場があって、ベンチになるような石がいく
つもあり、そこで彼からお土産を頂いた。それは薊の絵が描かれ
た扇子だった。
彼は、自分が傷病兵であり、体があまり丈夫じゃないというよう
な話をした・・・と思う。また、東京に転勤になるとも言ってい
た。

職場の帰りなので私を家まで送ると言う。
困った!!
彼は私がどんな家に住んでいるか知らないだろう。

家に着いた。案の定、彼は息を呑んだ!!・・ようだった。
二部屋のボロボロの引揚者住宅から、よれよれの浴衣を着た父が
顔を出し挨拶をした。返事もそこそこに彼は急いで立ち去った。

後日、転勤した彼から手紙が来た。
やっぱり彼は私のことを誤解していたらしい。
当時引揚者には、ララ物資といってアメリカから古着などが
支給されていて、それらは結構洒落た物もあったのだ。
私はアメリカの古着を着ていたのだけど、彼はそのことを知ら
なかったらしい。

着る物とか、家の構えなどで人間の価値を決める男なんて、
こっちが願い下げだ。(H.18.7.1)


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