ふり返れば


(その一)

     早いもので、今年の八月十五日は五十七回目だそうですね。
    毎年、忘れたことのない八月ですが、戦後の私の星霜があまり
    にも変化が激しくて、数えることもありませんでした。
    言われて初めて、ああもうそんなに・・と、改めて感慨しきりです。
           熊本市の元兵舎だった引揚寮の一室に、親子六人、ろくな
    食べ物も無く、母親はどんなに苦労したことでしようね。
    お芋の買出しには、私も行きましたが、
    引揚者は余計者ですから、それはそれは冷たいあしらいを受け
    ました。

     ある朝、熊本に大雪が降ったのです。
    台湾で育った母親が、生まれて初めて見る雪に大層興奮して、
    “まあ〜綺麗だねえ〜”と感極まった声を発していましたっけ。

    悲惨な寮生活の中でも、まだ10代の私には、それなりに
    楽しみもありました。
    洋舞踊です。同じ寮の中で教えてくださる方がいて、そうですね
    私が唯一全曲踊ったのは“ダニューブの漣”だったと思います。

    同時に、速記の勉強もやりました 一応ね。
    早稲田式です。寺子屋みたいな学校にも行きましたけど、ついに
    ものにはなりませんでした。
    速記をやって、身についたものは、字を書くスピードが速くなった
    分、些か乱暴な文字になったということでしょうか。
    (えっ、それはお前の性格だ?速記の所為じゃない?)
           どうも済みません m(__)m

    ダンスは、子供の頃から好きでしたが、父親の反対でその道には
    進めませんでした。
    速記を勉強して、雑誌記者になるつもりでいましたが・・・・。
     ♪ああ〜誰か夢なき〜〜♪


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