あの公園は今 |
久しぶりに次男の車で房総に行ってきた。 動作の不自由な父親の面倒をみた息子はご苦労さんだった。 海ほたるでトイレ休憩をしたので、いそいで海を撮った。 海が遠くに見える宿にはなんとなく南国風な植物が見られた。 |
折角ここまで来たのだからと、息子は子供の頃暮らした 場所に向った。えぇっ?あんなところまで? “大丈夫、すぐだよ”とこともなげに息子は答えた。 “ほら、あの公園!”あらら、ぅわ〜懐かしい!、だけど なんだか余計な建物が建って、随分と狭くなっている。 昔は、ここで盆踊りしたのよね。やぐらも立てて・・・。 あ〜此処ね( ̄。 ̄;)赤旗が立ち、塀に檄文が貼られたっけ。 兵どもが夢の跡だわ。 |
この電話、電話!昔と同じ場所にあった。 母から呼び出し電話が掛かり、“私ねガンだって”と 落ち着いた声だった。“仕方がないよ、度胸きめたよ。” 聞いた私は、全身が震えてどうやって家まで帰ったか・。 度胸きめた母は30数年後、95歳の天寿を全うした。 息子達が“ばふん饅頭くださ〜い”と言ったので、店の 主人が目を白黒させたそうだ。(笑)茶饅頭だったのね。 シャッターが下りているが健在かな? あ〜、あの電信柱!!位置も家並みもすっかり変ったけど 夕方になると、子供達の喚声が聞こえたものだ。 ♪あ〜ずき、あずき煮えたかどうだか食べてみよ♪ ♪うしろの正面だ〜れ♪ |
長男がピカピカの一年生になるというので、日本橋三越で 入学の服を買った。ついでに次男にも新しい服を買った。 三越で次男が見えなくなり、親が店内放送で呼び出されて しまった。青くなって駆けつけたら、ニヤニヤした次男が そこに居た。まったく(>_<) 息子達が高学年になったら、銭湯も二人で少し離れた所に 行ったらしい。私はここには行ったことはない。 銭湯を出た所に、焼き鳥の屋台があって、白焼きが美味 かったのなんのと、今でも会うと兄弟で話している。 |
“あれっ、もうないよ〜北京亭!”可哀想に潰れたのかねぇ。 “ここの味噌ラーメンは最高だったよねぇ” 女相撲の大関がいたけど、もう年取っただろうねぇ・・とか 言いながら、界隈をぐるぐる回っていた・・・・・・ あった!! 北京亭ここに来たんだ〜!!立派になってェ。 歳月は街をすっかり変えていた。 そして、車の中から思い出を探す私達も変った。(平18.6.18記) |