八  日曜、それはやはりあの日のように

 私は相沢さん話を聞くやいなや、彼をおいて走り出していた。
 あとどれくらい時間は残されているのか、それすら解らないのに、とにかく走った。
 もしかしたら……ううん、まだ私の中にはゆきや君がはっきりと残っている。まだいるはず。
 そして、いる場所はきっと、ものみの丘。
 でも、私は、走って、もし会えたとしても、何をするつもりなんだろう?
 ……わからない。けど会わないといけないと思った。



 私の家からものみの丘まで、歩いて三十分程度。
 最初は走っていたけど、日頃の運動不足がたたってしまい、いつもの歩くペースよりも落ちたため、歩いたときと殆ど変わらない時間をかけてしまった。
 春のものみの丘は、私の身長と同じくらいの高さを持った雑草が、鬱そうと茂っていた。
 ここのどこかにいることには違いないとは思う。けれど、これでは探しようがない。
「……っ!」
 でも、諦めきれなかった。
 唯一の外出着だけれど仕方がない。服も草で切れちゃって使い物にならなくなるだろうけど、これをかき分けて進むことにしよう。
「おい、天野」
「!」
 突然呼ばれたため、後ろを振り向く。すると、相沢さんが立っていた。
「まったく。そんないい服、勿体ないだろ? それにな、こういうときは男がかき分けていくもんだ。俺についてこい! なんてな」
 相沢さんはなぜか照れながら、きょろきょろと周りを見渡した。
「……たぶん、いるぜ。あそこだけ草が伸びてない。きっとあそこだ」
 相沢さんはせいいっぱい背伸びして草を見下ろすと、そこに目星をつける。そして、その方向にまっすぐ、草をかき分け、踏みつけながら進んでくれた。草も不自然なくらい起きあがってこなくて、ずいぶん歩きやすい。……もしかしたら、ものみの丘も、彼に会うことを願っているのかもしれない……そんな都合がいいことも考えながら。
 ……案の定、そこにいたゆきや君。
 彼は、草をベッドに寝転がり、ぼぅ、と空を見上げていた。
「来ちゃったんだ。みしお。そして、相沢祐一」
 空を見上げたままに、ゆきや君は、言葉を綴った。
「こういうのを、後悔先に立たず、っていうのかな? 消えることは覚悟していたつもりだけど、後悔の念を残しちゃうと、決心も鈍るなぁ……こういうときって自縛霊になるんだっけ? ……あ。でも僕は全て消えちゃうんだから、霊にもなれないのか」
 ゆきや君は自嘲気味に薄笑いを浮かべる。そして、目を閉じた。
「僕は……さっきまで幸せだったんだよ」
 独り言を呟くように、彼はぽつぽつと話し始めた。
「みしおと遊んで、僕は楽しかった。みしおも楽しそうだった。それを見て、僕はもっと楽しくなった。それは、とても満ち足りていたんだ。楽しいままに消えることができるなんて、最高の幸せだと思わない?」
 そこで区切ると、ゆきや君は、ゆるやかに目を開ける。
「でも、相沢祐一は言った。僕がみしおの中から消えることが、みしおにとって最悪のことなんだって。その意味が、ここに来るまで解らなかったんだ。でも、ここに来て寝転がってから、それを考えはじめてしまった。僕がもし、みしおのことを全部忘れてしまったらどれほど恐ろしいか……そう考えていたら、なんとなく相沢祐一が言ったことが解ってしまったんだ」
「……」
「僕は、悲しくなった。最後の最後で、みしおにこれほどの災禍を与えてしまうなんて。まさしく僕は、この土地で語り継がれる『ものみの丘の妖弧』そのままのことをしてしまいそうだなんて……」
「……」
「ごめんね、みしお……ごめんね……。こんなことになるなんて、思わなかったんだよ……」
 ゆきや君は、泣いていた。ぽろぽろと泣いていた。
 でも、彼に何の言葉もかけられない……そんな自分に、腹が立った。
「……相沢祐一」
「なんだ?」
「よろしくね」
「……何をだ?」
「僕にも解らない。ただ、言いたかっただけ」
 解らないはずなのに、相沢さんは、なぜか、こくりと頷いた。どうも、彼らで通じ合った何かがあったらしい。
 ゆきや君は、相沢さんの返事に満足げに微笑むと、ゆっくりと、空を見上げた。すると、はっ、と何かに気が付いたような表情を見せる。
「あぁ、もう、すぐだ……」
 そんな、つぶやきとともに。
「みしお。星空、今日は本当に綺麗だよね……。そう思わない?」
 そう言うゆきや君の言葉につられるように空を見上げる。
 いつの間にかとっぷりと日が暮れ、空にいくつかの星が瞬きはじめた。
 雲一つない、星空になることだろう。





 じゃあ。
 ……さよなら……






「……?」
 ……ところで、私はどうして、ここで空を見上げているんだろう?
 ……。思い出せない。
「天野?」
「相沢さん?」
「俺たち、ってどうしてここにいたんだっけ?」
「……わかりません」
「? ……天野、お前……どうして泣いてるんだ?」
「え……?」
 慌てて目をこすってみる。
 すると確かに、私は泣いているようだった。
「あ……あ……れ?」
 止まらない。
 悲しいわけでもない、悔しいわけでもない。それなのに、涙が止まらなかった。
「天野……」
「はい? ……あっ……」
 彼は、私の腕をひっぱると、半ば強引に抱き寄せられた。
 ……でも、どうしてだろう、それが心地いい。彼の心音を聞くだけで、なにもかもが暖まってくるような、そんな気さえした。
「泣きたいときは、泣くもんだ」
 相沢さんは、そう言ってくれた。
 ……だから、私はそのまま泣き続けた。
 ずっと、ずっと。
 ずっと、ずっと……。



どれくらい、経ったのだろう。
泣きやむことが出来た私は、ようやく相沢さんのもとから離れる。
「……?」
すると遠くから、目の錯覚だろうか……
青白い光を纏ったように見える狐が、こちらをじいっ、と見ていた。
何を思って立っているのだろう?
『……』
「う……ぁ」
「?」
相沢さんが突然、妙な声を上げ出す。
「……鍵……机……引き出し……」
「鍵? 机? 引き出し?」
何のことなんだろう……。
……! あ、あぁ……。
「ああああっ!!」
雄叫びにも似た声を発して、私は走り出す。
訳なんか分からない。けど、早くしなくちゃいけない!
そこには……何が入っているか忘れてしまったけど、
私の半身とも云えるものがある!
それだけは覚えてる!
それを見れば、何か思い出すかも知れない!



『……』
それを見届けた、青白き狐……ものみの丘を司る妖弧は、呟いた。
『……伝説に、終止符を……』


第祝章 そして、ある日の午後

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