七  日曜、優しくそして儚く


「相沢祐一、頼みがある。……僕の言うことを聞いて欲しい」
 そういうと、その男は、祐一と真正面に向き合った。
「まず、僕の名前は、ゆきや。名字なんてありゃしない。もともと、僕にとって、名前は自分と解る呼び方があれば良かったからね、名字なんて意味がなかったんだよ」
「あぁ……そういえば、真琴……俺のところに来た、お前の同族だ……も、昔俺が好きだった娘の名前を使ってたよ」
 祐一のその話を聞くと、ゆきやは、僕ららしいね、と微笑んだ。
「頼みというのは、他でもない、みしおのことなんだ」
「……それしかないだろうな。で?」
「みしおと、今日一日、一緒に過ごさせて欲しい」
 祐一は、やっぱりか、とため息を一つ付いた。だが、ゆきやが次に告げる言葉は、空気を一瞬で凍らせるようなものだった。
「僕は今日だけ……二十四時間限りなんだ」
「?」
「これが終われば、僕は『消滅』する」
「……どういう、ことだ?」
 祐一が先を促すと、ゆきやはただ、微笑みながら言葉を続けた。
「人間への転生は、記憶と命が必要だけど、それを行ったあと、魂になってからもう一度転生するには、それ以上のリスクが必要なんだ。僕にとってのそれは『消滅』。僕は、あと少しで消えて無くなるんだよ。それこそ、綺麗さっぱりとね」
「……天野が、お前のことを忘れてしまうってことか?」
「それは『忘却』でしょ? 僕が言ってるのは『消滅』だよ、相沢祐一」
 ゆきやは一呼吸おいて続ける。
「記憶なんてのは、ほんの一例に過ぎない。みしおの記憶から消えるなんてのは当たり前で、あたかも『僕は最初からいなかった』ことになるんだ。例えば、僕の両親も、僕というものがいた、なんて事実は無くなる。写真なんかで僕を写していてもそこがすっぽり抜け落ちるし、それになんら違和感を持たない。『無』が一番近い表現かな?」
「……どうして」
「ん?」
「どうして、そんな馬鹿なことをしてまで、天野に会いに来たんだ?」
 すると、いかにも僕は考えてます、という仕草をする。
「僕にとっての、贖罪、ってとこかな?」
「何?」
「狐の寿命は短いんだ。よくて十年、普通なら六〜七年といったところなんだよ。僕じゃ、君らが言う妖弧になるほどの資質がなかった。みしおに人間として会うには、四季を繰り返して力を蓄えるしかなかったんだんだけど、長く厳しい冬が続くこの地域では、寿命があっという間に近づいていく。そして、僕じゃ次の冬を越えられる可能性が低くなってしまったとき、妖弧である長老様の力を借りて、寿命が尽きる前に、会いに行こうとしたんだ。きっと、君のところに訪れた狐も、そういう経緯があったから、冬に会いに来たんだと思う」
「……」
「そして、僕はみしおに会い、僕の思いは成就した。でも、失念していたことがあったんだ」
「?」
「僕はそれで思い残すことは無かったんだけど、残されたみしおのことをすっかり忘れていたんだよ。みしおは、僕がものみの丘の狐ということを知ってから、毎日のようにものみの丘に来ていたんだ。そして、いつも言うんだ。ゆきや君に会わせてください、お願いします、って。僕の行動が、みしおにそれほどの十字架を背負わせることになろうとは思いもよらなかった。僕は、なんてことをしたんだろう、って思ったよ」
「……」
「そして思いついた。それなら、僕のことなんて、すっかり無くしてしまえばいいって。そうすれば、みしおが苦しまなくって済む。そうすれば……」
「本当に馬鹿だな、お前」
 今まで黙って聞いていた祐一だったが、その言葉を聞いたとたん、ギッ、とゆきやを睨み付ける。
「?」
「無くした方がいいだって? そんなことがあるわけがないだろ。お前はそれでいいかも知れないけどな、天野は違う。お前に出会えたことが、天野の今までの生き方になった。お前のことを失うことは、生きてきた過去をなくすということなんだ。それは、人間にとってひどく恐ろしいんだよ」
「……」
「俺だって、七年前、この街で起こった出来事をすっかり忘れちまってる。それだけでも怖いんだ。それがたった半月の出来事だったとしても。……天野は、俺のレベルとは比べものにならないほどの記憶の空間ができちまう。そんな恐怖に、耐えられる人間なんて、いやしない。お前は、人として許せないことをしようとしてる。解ってるのか?」
「よく、解らない。……たとえそうだとしても、もう手遅れだよ。もうカウントダウンは始まってしまったんだ。それに……」
 一つ区切ると、彼は笑った。
 どこまでも冷たく、どこまでも儚げに。
「僕は狐だから。人間の道理は通じないよ、相沢祐一」


第八章 日曜、それはやはりあの日のように

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