六 日曜、それはあの日のように

「やっぱり……」
 悪い予想が当たってしまった。
 駅にある時計の針はもう十時二十分をさしていた。私からすればもう三十分も待っていることになる。
 目覚めは良い方、と聞いたから、たぶん寝坊とかそういうことじゃないとは思うけど……それならなおさら遅刻の理由がない。
 こういうときは、どれくらい待っていればいいのかな?
 十分? 二十分? 三十分?
 ……でも、もしかしたら急に何かしらの都合が出来たのかもしれない。相沢さんは約束をたがえることはしないと思うし……とりあえず十時半くらいまでは待ってみよう。それで来なければ、一度電話してみようかな。

「みしお……」

 ……え?
 誰か、私を呼んだ?
 相沢さんにしては声がちょっと違う……。それに美汐、とは呼ばないはず……。
「みしお!」

 トスン!

 ……え?
 何が起きたんだろう?
 周りを見渡すまもなく前が真っ暗になる。何かに背中から押しつけられているみたいだけど、それがよく解らない。それになんだか、息がしにくかった。
「会いたかった……ずっと会いたかったよ!」
 上から……声が聞こえる……?
 なんだか……どこかで聞いたことがある声……それに、とても懐かしい……。
 それに……なんだか心臓みたいな音が、さっきから聞こえる……。
「みしお……? どうしたの?」
 そんなことを言われても……私も何が起きたか解っていない。
「もしかして、僕のことを、忘れちゃったの?」
 この……声……まさか!
 私は、慌てて腕を隙間から滑り込ませ、ドン、と突き放す。
「わ……?」
 私のその行動が意外だったのか、前に立ちふさがっていた『もの』は、二、三歩後ろによろめいた。
 私は、どうやらずっと抱きしめられていたらしい。
「ふぅ……危なかったぁ」
 年齢を幼く感じさせる、可愛らしい少年のような顔立ち。身長は私よりも二十センチくらいは高く、どちらかというと細身の身体。
「やっと会えたね……みしお」
 その少年は、突然抱きしめた罪悪感なんかはこれっぽっちもないような笑顔でそう言った。
「――ぁ……っ」
 その顔は、間違いなく見覚えがあった。
「あなたは……もしかして……」

 ――蘇ってくる

『指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます♪ 指切った! それじゃあ、また明日っ!』
『こ、こんなのでごめんね……でも、贈りたかったんだ……』
『みしおは、春が来て、ずっと春だったらいいと思わない?』

 思い出になろうとしていたものが、今――
 ……息を呑んだ。
 目の前のそれは、あまりに非常識すぎて、眩暈がする。
 もしかしたら、昨日の思い出を回帰するような白昼夢を見ているのだろうか。
「ゆきや……君?」
 その不安に流されそうになりながら、目の前にいる彼の名を呼んだ。
 もしかしたら、蜃気楼のように、すうっ、と消えてしまうのではないだろうか?
 でも、その考えは杞憂だった。彼はその存在を証明するように、
「うん! そうだよみしお!」
 と力強く答えてくれた。
 名前を呼んだためか、彼は、本当に嬉しそうな顔をした。
「ゆきや……くん? ほんと……に、ゆきやくん……?」
「? 何言ってるの? ホントにホントだって……うわっ!」
 さわれる! 本物だ! 夢じゃない!
 ホントに、ホントに、ホントに、ゆきや君だ!
「く、苦しいよ、みしお……」
「え? ……!」
 その言葉で我に返った。少し冷静になって自分の状況を把握してみると、私は彼の胸に飛び込み、思い切り抱きしめていた。それがひどく恥ずかしくて、すぐに離れてしまう。
「僕のこと、忘れてなかったんだね」
 忘れるわけがない……、私はそれを明確に伝えられるよう、思い切り首を横に振った。
 それに対し、彼はなぜか曖昧に微笑んだように見えた。
「でも、どうして? どうして戻って来れたの?」
「あぁ。う〜んとね……どこから説明すればいいのかな……?」
 そうすると、彼はう〜ん、と考える仕草をする。
 そして、ぽん、と良い考えが浮かんだように手を打った。
「みしお、今から僕とデートしよ?」
「えっ……?」
 それは答えではなく、とんでもない提案だった。
 あまりにストレートな誘い方に、心臓がどくん、と跳ね上がってしまう。
「僕、行きたいところがあるんだ。みしおも一緒に行こう? その間に説明するよ」
「で、でも……あっ?」
 そこで、私は思い出した。
 そもそも、私がここにいる理由を。
 私は、相沢さんと花見に行くためにここで待ち合わせている最中だったんだ。
「ご、ごめんなさい……今はダメ。私は……」
「大丈夫だよ、みしお」
 でも彼は、私の言葉を遮ると、とても無邪気ににっこり笑って、私の心臓をさらに跳ね上げる言葉を発した。
「心配しなくても、相沢祐一はここに来ないから」



「♪〜」
「……」
 さも楽しそうに歩くゆきや君と、それとまるで対照的な私。
『相沢祐一はここに来ないから』
 その言葉通り、相沢さんは十時半になっても駅前に来なかった。
 その後、相沢さんの家に電話をかけると、十時前には出かけた、という返事。
 相沢さんの家から駅までは、多く見積もっても二十分程度。とうに着いていてもおかしくない。
 それなら、相沢さんはどこに行ったのだろう?
 ……そもそも、ゆきや君はどうして、相沢さんのこととか、彼と待ち合わせていたことを知っていたのだろうか。
 それに、私が家にいるならともかく、家から相当離れた駅前にいることを、どうして知っていたのだろうか?
「♪〜♪〜〜」
 私がこうやって悩んでいるのに比べ、彼は脳天気に鼻歌を歌いながら歩みを進めていく。行き先もまだ解っていない私はそのまま彼についていくしかなかった。……疑問は尽きないままに。
 あ……いっそのこと彼にその辺りを聞いてみた方が手っ取り早い、かな?
 そう思って、前にずんずん歩いていく彼に声をかけた。
「あの……ゆきや君?」
「ん? どうしたのみしお? あ、そうか!」
 ひらめいた、というアクションをしながら、ごめんごめん、と言う。
「そう言えば、さっき聞かれたことに答えてなかったよね。どうやって戻って来れたか、だったよね?」
「え? あ……、う、うん」
 今聞きたいことはそれじゃなかったけど、つられて首を縦に振ってしまった。
「僕みたいに、何かに転生を果たした末、肉体が消滅すると、魂がものみの丘の長老様のところへ瞬間的に移動するんだ。長老様の力は偉大で、僕みたいに年端も行かないのに、人間に転生するときは、長老様の力無くしては出来ない……長老様は、僕らにとって絶対な存在なんだ」
 子供のころよりもむしろ流暢に言葉を話すゆきや君。
 しかも、以前と違い、何もかも……それこそ、狐のころから、私と会ったときのこと、そしてその後の記憶を全て覚えたままであることは間違いない。
『それらが人間へ転生するには、記憶と命と引き替えにする必要がある』
 私が立てた説は、間違っていたのだろうか?
 今の彼を見ると、そうとしか思えない。
「そして、魂になってしまった僕は長老様にお願いした。『もう一度、みしおに会わせてください』って。そうしたら、叶えてくれたんだ。叶うまで相当時間が掛かったけどね」
「……な」
 なんて、単純……。
 成就するまで時間が掛かるとはいえ、そんなにあっさりと、生命の復活が許されるものなのだろうか。

 にこにこにこにこ

 屈託もなく笑ってる彼を見ていると、その辺りを考えることのほうが馬鹿みたいに思える。
「春は、ものみの狐にとって、妖の力が最も増す季節なんだ。草木が息吹くときに湧き出る『生きる』力を少しずつ分けて貰って、妖の力を蓄えたり、短いはずの術効果をさらに持続することが出来る。春という季節を何度も繰り返すことによって、僕らはより強い力を蓄え、より高度な術を成立させることが出来るわけ」
「……?」
「そして、僕はここに来ることが出来た。みしおに会うことが出来たんだ」
 なんだろう。
 彼の言葉には、何かおかしな点があったような気がした。
 ……あ。
「それならどうして以前 、冬に転生してしまったの?」
 それなら、力の溢れる春に転生すれば、長生きが出来、その方がいい気がする。極めて当たり前の道理だと思う。
 ……でも、いたずらっぽく笑って言った返事は、またも拍子抜けする答えだった。
「僕はね、せっかちだったんだよ」



 ……ゆきや君は歩を進めていく。
 方向的には私の家の方だけど、家なら途中で左のところをまっすぐに向かっていってるからそれも違う。出歩かないとはいえ、近所のことくらいは私も知っているつもりだけど、どうもゆきや君が行こうとしている場所が把握できない。
「みしお、ずっと持っていてくれたんだね」
 そんなことを考えていると、突然、ゆきや君は私を見ないでそう言った。
「何を?」
「僕が贈った指輪」
「あ……」
「おもちゃだったし、もうなくしちゃったり、捨てちゃったりしたのかと思ったけど……」
 その言葉に、私は強く首を振る。あんな思い出の品を捨てられるわけがない。
 ……? でも、どうしてそのことを知っているのだろうか?
「それが、僕のみちしるべになったんだ」
「……みち、しるべ?」
 思わず言葉を繰り返してしまう。
「僕は……いや、きっと他の狐たちもそうだと思うけど、目的とする人間が身につけているだろうものをみちしるべとすることで、その人間を見つけることがやりやすくなるんだ。この場合、指輪が、その役目を果たしてくれたんだよ」
 そういえば、真琴が相沢さんのところを最初に訪れたときにも、何かをみちしるべにして辿って来た、と相沢さんが言っていたことを思い出す。
 あっ! そうだ、相沢さん……!
「ゆきや君。そういえば、相沢さんは?」
「……ん? ああ、相沢祐一?」
 ゆきや君は少し考える素振りを見せたあと、また、先ほどと同じ、いたずらっぽい笑みを見せる。
「相沢祐一にはね、少し暗示をかけたんだ。駅に来た目的は、隣町に買い物へ行くためだってね。だから、今頃隣の町へ行って、何を買い物しに来たか考えてる途中じゃない?」
「……そう」
 最悪、事故にあった可能性も視野に入れていた私は、多少ながらほっとした。
 ……でも、暗示がかけられるなんて。少し、羨ましい。
「あ、ほら、見えてきたよ」
「――!」
 ……綺麗……。
 誰もが、これを前にしたら、自分に正直になって、思わず言ってしまうことだろう。
 私は思わず駆け出し、それを見上げてしまう。
 そこは公園で、その外周をぐるりと囲むように何十もの桜の木々があった。
 それらは互いに競い合い、より美しさの極みへと上り詰めていったような、自然の芸術と言うべき花びらをびっしりとつけて、私たちを迎えてくれた。
「みしお、ここがどこだか覚えてる?」
「……!」
 あぁ……そういうことだったのか。
 あの日あの時までの記憶が、また思い出された。
 ここは、そう……ゆきや君と別れ、その日以来行くことはなかった、私たちが出会った公園。
 確かに近所だったけど、あれ以来来ることはなく、付け加えるとだいぶ周りが変化していて、歩いていても全く気が付かなかった。
「みしおと会ったら、絶対にここに来ようって思ってたんだ」
 ゆきや君は言う。
 そして、笑った。
 その笑みは、桜の相乗効果もあったのか……くらり、と来てしまうほどの威力があった。
「……あ! みしお! あれ!」
「あれ?」
 私がそんな余韻に浸っていることを知らないで、びっ、と指さす先。
 それは、露店がずらりと並んでいて、その中のたこやき屋を示していた。
「あれ、食べよ?」
「……」
 どうやら、ゆきや君は花より団子を地でいくタイプのようだった。



 そして、私たちは、あのころを思い出しながら、公園内外をくまなく歩いた。
 もごもごと何かしらを口に入れながら話すゆきや君。
 その一言一句から、あのころの思い出が次々に沸き上がってくる。
 かくれんぼをしたとき、私がゆきや君を見つけることが出来ないでいたとき、わざと見えるところに来てくれたこととか(それでも見つけられなかったけど)、雪だるまを作ったとき、乗っけてみると頭の方が僅かに大きくなったため、腹部の方に目と口を付け、逆立ちだるまにしたこと、私がボールをけ飛ばしたら、ゆきや君の顔面に直撃し、泣いてしまったこと……。そんな、懐かしいものからあんまり思い出したくないものまで、ずっとずっと話し続けた。きっと、最近の一年間より、今日の方が、口数は多いと思うくらいに。
 そして、そのまま、日が暮れるまで、ずっとずっと、一緒にいた。



「あ、そろそろ帰らないと……」
 気が付くとずいぶんと日が傾いていたので、腕時計を見たところ、もう六時を回っていた。
「……そっか、じゃあ仕方がないね。僕も戻らないといけないし」
 ゆきや君は、そう言うと名残惜しそうに微笑んだ。
「また、会える?」
 私は、そう言った。
 きっと、とてもいい表情をしていたと思う。
「……うん、会えるよ」
 彼は、答えた。
 そして、とろけるような微笑みを見せた。
「じゃあ、今日はお別れだね」
「……そうだね」
 そして、私は言った。
「それじゃ、またね」
 そして、彼は言った。
「うん……。それじゃあ、さよなら」



 私は、ゆきや君と別れ、そのまま帰路についた。
 今日は、なんて充実した日だったんだろう……そんなことを、考えながら。
 そして、そのときは今日外出した本当の理由も忘れてしまっていた。
 家の前に辿り着くまで。
「?」
 自宅の玄関前。
 そこに、誰かが立っていた。
 暗がりの中、腕組みをし、難しそうな顔をして。
「よぉ」
 そして、私に気が付くと、気軽に声をかけてきた。
「相沢さん?」
 そこにいたのは、相沢さんだった。
 私の家の場所は確かに知っているはずだけど、来たのは今日が初めてだ。
 どうしたんだろう? 確か、今日の目的は、ゆきや君の暗示によってすり替えられていたはずなのに。
「どうしたんですか、突然?」
「……天野」
 改めて私を正面に見据える相沢さん。そして難しそうな顔をしながら、彼の口から言うはずもない台詞が飛び出した。
「今日は……ゆきやと楽しく過ごせたか?」


第七章 日曜、優しく、そして儚く

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