五 日曜、それぞれの朝


「……えっ?」
 何かに呼ばれた、と思って目を覚ました。
 きょろきょろと周りを見渡してみたけど、周りには誰もいない。
「ふぅ……どうしたんだろう? 今までこんなこと、無かったのに」
 夢を見た気がしたけれど、覚えていない。でも、あまりいい夢ではなかった、と思う。気分的にすっきりとしていない。
 目覚ましを見ると、七時半にセットしておいた時計が鳴る直前あたりだったから、スイッチを切っておく。
 柔らかな日差しが、カーテンの隙間から、動きにあわせてゆらゆらと波打っている。勢いよくカーテンを開けると、昨日僅かに降った雨が嘘のように晴れ渡っていた。
 これ以上を望むのは酷なくらい、絶好の散歩日和。
「……ん〜っ!」
 夢は夢。
 そう考えることにして、せいいっぱいの伸び。微睡みはそれで醒める。
 とりあえず寝間着から部屋着に着替え、朝ご飯を食べにダイニングへ向かった。



「それじゃ、行ってきます」
「い、いってらっしゃい。……気を付けてね」
 お母さんに見送られ、家をあとにする。
「……」
 今日は出かけるから。
 唯一の外出着を着込んでそう言ったときの両親の様子は、あまりにも解りやすすぎて、ちょっと怒りが込み上げてくるものだった。
 お母さんは洗っていた食器を滑り落とし、お父さんは飲んでいたコーヒーを霧吹きのように吹き出していた。
 いくらなんでも、少し失礼だと思う。
「九時、十五分、か」
 お母さんから借りた腕時計を見る。
 駅まで、歩いて三十分ちょっと。きっちりと間に合う時間に出ることが出来た。これで相沢さんを待たせることはないと思う。
 でも、相沢さんは、十時に来るだろうか……。
「……」
 少し、寒い風が吹いた気がした。


「んぁ……? んー……」
 寝ぼけた様子で、目覚まし時計を見る。
「今何時だ……? あぁ、九時五十分か……。ふぁ〜ぁ……ん? ……ぐはっ!」
 時間を確認したあと、まるでピンポン玉が弾け飛んだような勢いでベッドから跳ね起きた。

 どたどたどたどた!

「やばい! 二度寝しちまった! 完全に遅刻だっ!」
 祐一は美汐が危惧したとおりのことをそのまま実行していた。
 駅まで二十分程度。百メートルを七秒で走ればまだ余裕だが、日本記録で走ってしまうとギリギリ間に合うかどうか、という程度になりつつあった。
「エクセレント着替え! ワンダフル歯磨き! ゴールデン髪梳き! ハイパー洗顔! そしてトドメのウルトラトイレーッ!」
 猛然と、でも意味が理解しにくい技名を叫びながら全てをこなす。しかし効果は無く、むしろ時間は遅くなっていった。
「秋子さん、ちょっと出かけてきます!」
「あら? どちらへ?」
「散歩です!」
 玄関口でたまたますれ違った秋子にそう言い残し、ドアを勢いよく閉め、出ていった。
「……ずいぶんと慌ただしい散歩、ですね」
 嵐が過ぎ去った玄関を眺めながら、秋子は落ち着いた様子でそう呟いた。

「くそっ! 自分で誘っておいて遅刻とはいい根性してるぜ!」
 自分自身をそう貶しながら、全速で駅に向かって走る。
 あまり言いたくはないが、三年になってからも殆ど毎朝、名雪とともに走ってばかりいるので、走力、体力、持久力ともに望むべくもなく鍛え上げられてしまった。
 喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、であるが、この場合に限り助かってしまっていた。
「く〜っ! 名雪に感謝すべきなのかっ?」
 時間には間に合いそうにもないが、水瀬家から駅までの最短時間更新はほぼ確定になりそうだった。

 ……果たして、駅まであと数百メートルのところまで辿り着く。
「はぁ、はぁ、はぁ……あと少し……よし、そのカーブ、もらったぁ!」
 祐一は一人盛り上がり、最後の右直角カーブをセオリーどおりのアウトインアウトで曲がりきるため、わずか左に寄った、そのとき。
「相沢祐一!」
「なっ!」

 キキーーーーーッ!

「たっ、とっ、とっ……」
 誰からかわからないが、自分が呼ばれたため、祐一は急ブレーキをかける。
「だ、誰だ! 危ないだろ!」
「やっと来た……」
 声をした方に向く。そこには、見たことがない男が、にっこりと笑いながら立っていた。
 歳は同じくらい、もしくは年下。いかにも穏和そうで、子供がそのまま大きくなったような可愛らしい顔立ち。身長は祐一と同じくらいで、ひ弱そうな身体。
「はじめまして、相沢祐一」
 そして、彼は気味が悪いほど好意的に挨拶をしてくる。
「誰だ、お前……?」
 それでも祐一は不思議と落ち着いた様子で、そう聞き返した。悪意がまるで感じられない、あまりに純粋すぎる瞳がそうさせたのかもしれない。
「解らない?」
「なんだって?」
 その答えに思わず祐一は首をひねる。
 そもそも、相手がはじめまして、と言っているのに、解るも解らないもない……はずだった。
「……!」
 でも、気が付いてしまう。
 彼が何者かが、何の根拠もないのにはっきりと解ってしまったのだ。
 きっと、天野と俺が出会ったときに、真琴を見ていたときも、こんな風に勘づいたのだろうか。
 そう、祐一は感じた。
「気が付いた? 僕のこと」
「お前……まさか」
 祐一の言葉に、にっこりとしながら、こくり、と頷いた。
「相沢祐一、頼みがある。……僕の言うことを聞いて欲しい」


第六章 日曜、それはあの日のように

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