三 あの、思い出

 出会ったあの日は、そう……冬の初めで、まだ根雪も張り出さないようなころ。
 その日は、とても寒かったことを覚えている。
 寒いだけでなく、広い公園で、私は一緒に来ていた両親とはぐれてしまったんだ。
 良く知っている公園のはずだけど、大木がたくさん立っていて、それだけでも私の不安をますますかきたてていった。
「おとぅさん……おかぁさん……どこぉ?」
 今思えば私の方が歩き回らなければよかったんだけど、両親も私もお互いを探し会っていたために、すれ違いばかりが続いていた。
 きょろきょろ周りを見渡しても、広い広い公園に一人きり。心に広がる不安は膨らむばかり。
 彼と出会ったのは、そんな時だった。
「寒くないの?」
 突然聞こえてくる声。
 びっくりして振り向くと、可愛らしい顔立ちの男の子がにこにこしながら立っていた。
 その質問に、
「えっ? 君は……だれ?」
 と、答えじゃない答えを返した。でも、
「それよりもあそこにいる人、誰かを探しているようだけど、知ってる人?」
 と、これもまた答えではない答えを返してきた。
 でも、これは質問の答えを出すことになった。
 お父さん、お母さんに抱かれて、とても、とても、暖かかくなったから。

「僕はゆきや。君は?」
「……みしお」
「みしおちゃん。よければ、僕と友達になってくれない? 僕、最近このあたりに引っ越してきて、友達が一人もいないんだ」
 そういうと、人なつっこい笑みを浮かべた。
 悪い人ではなさそう。直感でそう思った。
「うん……いいよ」
 私は素直に返事をした。
「それじゃあさ、この公園に明日、またこの時間あたりに会ってくれない?」
「……学校があるから」
「あ、そうかぁ。僕は引っ越したばかりでまだ無いから。それじゃ放課後ならいい?」
 私は無言で頷いた。
「それじゃ決まりだね」
 そう言うと、右手を出してくる。
「指切り、しよ?」
 私は素直に小指を出した。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます♪ 指切った! それじゃあ、また明日っ!」
 そう言うとゆきや君は、すごい勢いで公園の奥に消えていった。
 思えば、それが不自然なことに、そのときは気がつかなかった。
 奥に出口はないのだから。

 私たちは、およそ子供が公園でやるようなことは、すべてやった。
 缶蹴り、鬼ごっこ、ボールを蹴飛ばしたり、雪が積もったら、雪だるま、雪合戦、雪ウサギを作ったり、三日かけて雪の小山を作り橇(ソリ)もやった。
 ただひたすらに楽しい時間が過ぎた。
 いつも雪にまみれて、帰った後、風邪を引かないよう、急いでお風呂に入れてもらうのも習慣になっていった。
 そして、十二月六日を迎えた。
 いつものように公園で待ち合わせると、ゆきや君は、もじもじとしながら、後ろに何か隠していた。
 どうしたの、と聞くと、赤い顔をしながら、ばっ、と後ろから何かを突きだした。
 見ると、手には良く露店などで見かける、おもちゃの指輪が握られていた。
「今日……誕生日だよね。おめでとう。……こ、これ、プレゼント、なんだけど」
 目をぎっちりと閉じながら、手がブルブルと震えている。
 私は、意外な展開に、顔をかあっ、と赤らめてしまった。
 でもそれを、目をつぶっていたから気づかなかったらしく、受け取ってくれないと思ったのか、
「こ、こんなのでごめんね……でも、贈りたかったんだ……」
 と言う。
 私は、ドキドキしながら、それを受け取った。
 ゆきや君も手を震わせていたけど、私はきっとそれ以上だと思う。
「ありがとう、ゆきや君……これ、大切にするよ」
 そういうと、ゆきや君は、満面の笑みを浮かべた。
 その満面の笑みが、私にとって最高のバースディプレゼントだった。
 ……思えば、そのときからだろうか。
 私は、ゆきや君に特別な感情を抱くようになってきたのは。
 今まで何とも思っていなかったのに、手を触れただけで胸がどきどきしたり、目と目があったくらいでも顔が少し火照ってきたりと今までにない自分にどぎまぎしてしまった。
 間違いなく、あれが、初恋というものなんだ、と思う。

 そんな感情を喜びながら、でも、その気持ちをもてあましていた、ある日のこと。
「みしおは、春が来て、ずっと春だったらいいとおもわない?」
 ゆきや君は唐突にそんなことを言った。
「春が来れば、みしおとずっと一緒にいられる。そんな気がするんだ」
 私にはその意味がよく解らなかった。
 それは裏返せばそのままだとずっといられない、ということになる。
 でも、どういう意味? と聞いたら、僕にも解らない、と微笑っていた。
今振り返れば……もしかしたら、それは、自分の生命と引き替えに取り戻していく、記憶のあらわれだったのかもしれない。
 その言葉を聞いた次の日。
 いつものように放課後、遊ぼうとしたときに、あの子の顔が真っ青になっていた。
 額に手を当てると、手が焦げるような熱さを持っていたんだ。
 こんな高熱で立ってるのも辛いのに来てくれたことは嬉しかったけど、その日はあの子に家に帰るよう促した。でも、なぜか、駄々をこねるように、いくら諭しても帰ることをいやがった。私は心配するあまり、つい感情的になり、そこで初めて喧嘩をしてしまった。そしてその日はゆきや君をおいて帰ってしまった。
 そして、その後から。
 あの子は次々に、何も出来なくなっていった。
 しまいには、私や、自分自身の名前さえ忘れてしまう始末……。
 私はそれに苛立ちを覚え、責め立てるようになっていった。
 でも、それもつかの間。
 子供ながらにゆきや君の様子がおかしいことを覚ったんだろう、当時の私がどれだけ理解できていたかどうか忘れてしまったけど、とにかくあの子から離れるのが怖くなった。
 そしてその日から自然と公園に足が向き、なるべくずっと二人でいるようになった。
 そして、図らずもついにそのときはやってきた。

 その日は、昨日までの天気が嘘のように、空には綺麗な青色が広がっていた。
 そんな中で、私たちはあの出会った公園の中央にある、雪を取り除いたベンチで、二人、寄り添うように座っていた。
「……」
「ゆきや君?」
 何度も何度も目を閉じようとするあの子に、こうやって、目を閉じることを阻止し続けていた。
 もう、あの子の身体は限界だったのが、なんとなく解っていた。
 でも、こうやって……もしかしたら、私のために……頑張っていてくれている。
 ……ごめんね。
 そう思いながらも、私は、こうやるしか出来なかった。
 でも、それもいつしか限界がやってくる。
「……」
「ゆきや君?」
「……」
「ゆきや君っ! あっ……?」
 座っていた身体がゆらり、と私に寄りかかってくる。
 私は、ゆきや君を抱きかかえて、左手で彼の右手を握りしめ、右手で躰を支え、ゆさゆさと揺すった。
 それで、ようやく目を開けると、口を開いた。
「……」
 ゆきや君は、何かを一生懸命私に何かを伝えようとしていた。
 かろうじて動く目が、公園の奥をじっと見つめている。
「公園の奥に何かあるの?」
 私がそう言ったとき。

 にこり……

 あのバースデープレゼントのときの様な、満面の笑みを浮かべ……そのまま、ゆっくりと目を閉じた。
 ゆっくりと、彼の身体に微弱な光が帯びてくる。
 ……なんて、ふしぎな、こと、なんだろう……と思ったのも一瞬のこと。
 私の左手から、彼の右手が、ふぅっ、と消えた。
 私の右手からも、彼の躰が、ふぅっ、と消えた。
 彼の躰から蛍のような儚げな光が空に舞っていく。
 それもまた空に溶けるかのように消えていった。
 私は、全て消えて無くなるのを止めることも出来ず、ただ、呆然とその儚い様子を見つめていた。
 そして全て消えた後、私は振りきるように公園の奥に入っていった。

 公園の奥の道をひた走る。なにもかも、真っ白だった。冷たい色だった。
 その中で、雪の中に今にも消えようとしていたが、あまりに不自然に入り口だけが掘り起こされている掃除用具を片づける小屋を見つけた。鍵はかかっていなかった。
 きぃ……。
 ゆっくりと扉を開く。
 わずかに入る雪に反射された光が照らすところ。そこには、ボロボロの紙で幼稚園児が描いた思われる絵があった。
 絵には、雪だるまと、人みたいな形をしたものと、ゆきやこんこん、と覚えたてのひらがなが描かれていた。
 そして、絵の裏には「あまのみしお」
 それで全てを理解した。
 私は、こみ上げてくるものをこらえようと努めた。
 ここで認めたら、絶対に戻ってこない気がしたから。
 でも、結局、止められなかった。
「う、ああ……わあぁぁっっ!」
 堰を切ったように、大声を上げて、私は泣いた。ただひたすら泣いた。

 怪我をして倒れていた。
 手当をした。
 餌をあげた。
 毛布をまいて、暖めて……
 元気になったあと山に帰してあげた……キツネ……
 
 私の記憶に閉まってあったもの。二度と思い出したくない気持ち。
 私はその絵を抱きしめた。
 ずっとずっと泣き続けて、日が暮れるまで動かなかった。
 そしてそのまま、その想い出とともに殻に閉じこもってしまった。
 自ら招き入れた災禍を、ずっと抱きしめたままに。
 ……相沢さんと、そして、真琴に会うまでは。

第四章 土曜、午後十一時

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