大浴場

************ ж 11 ж 寺の湯 中の湯 むじなの湯 ************

 東北本線は宇都宮までは平凡な風景で遠くに筑波や日光連山が目を楽しませてくれる程度。しかし、宇都宮を出て那須野に入ると鬼怒川を隔てた高原山が水墨画のように見えてくる……。
 上野から5時間。そこから以前は悪い道を行くバスしかなかったが、今は途中までの鉄路ができたので、それで一時間半。東京からも大して不便を感じない。
 終点からバスに乗り換えるが、そこからの2q程は歩いた方がよい。洞門や滝など谷の眺めが素晴らしいからである。

 と、書にある温泉へ行ってみた。そこへは我が家から車で2時間程。
 えっ?当方はそんな東北の山奥なのかって?
 いやいや、そんな事はない。読んだ資料が古すぎるのである。
 田山花袋著「温泉めぐり」。もう100年も前の話だ。
 かつてはほぼ1日かがりだった行程も今は東京から新幹線とバスで約2時間という近さになっている。
 ちなみに引用にあるバスは本文では乗合馬車であり、軌道とは1912(明治45)年から1935(昭和10)年まで西那須野〜塩原口(現がま石園地)を結んでいた塩原軌道の事である。

 という事で今回は栃木県の塩原温泉。
 ただし箱根7湯と同じく塩原温泉という名の温泉はなく、この辺り温泉の総称であり、それは塩原温泉郷とか塩原11湯と呼ばれている。
 それらの特徴をあげるならば

大網温泉
箒川沿い一番下流にある一軒宿温泉。平安時代からとも言われ、魚がたくさん獲れたのでこの名が付いたらしい。

福渡温泉
文人に愛された温泉街。岩の湯・不動の湯という露天風呂もある。

塩の湯温泉
箒川支流の鹿股川の上流にある。一番塩分が強い。

塩釜温泉
かつては岩塩が採掘され、高温の温泉熱を利用して釜で精製がおこなわれていたらしい。

畑下(はたおり)温泉
「金色夜叉」ゆかりの温泉

門前温泉
ぼたん祭りが行われる妙雲寺の門前町

古町温泉
塩原温泉の中心地でトテ馬車などの観光の拠点

中塩原温泉
天然記念物の逆杉や木の葉化石園、箱の森プレイパーク等の観光地はあるが温泉という形には乏しい。

上塩原温泉
温泉街から離れた尾頭峠へ向かう国道沿い。

新湯(あらゆ)温泉
日塩もみじライン沿い。背後に爆裂火口があり、他の湯場とは異なる雰囲気。

元湯温泉
元湯千軒といわれた塩原温泉発祥の地ではあるが1659年の地震で壊滅。現在は3軒の宿しかないが、湯としては魅力的。

 各温泉の泉質等は

温泉名 泉温 源泉数 泉質 効能
硫酸塩泉 塩化物泉 炭酸水素塩泉 単純温泉 単純酸性硫黄泉 硫黄泉
大網温泉 42〜63℃ 5 きりきず・やけど・慢性皮膚病・動脈硬化症
福渡温泉 47〜63℃ 17 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
塩の湯温泉 40〜57℃ 12 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
塩釜温泉 50〜70℃ 8 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病・動脈硬化症
畑下温泉 52〜76℃ 10 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
門前温泉 55〜74℃ 16 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
古町温泉 40〜69℃ 28 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
中塩原温泉 42〜51℃ 12 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
上塩原温泉 42〜51℃ 11 きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
新湯温泉 59〜95℃ 5 きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・高血圧症・動脈硬化症・糖尿病
元湯温泉 40〜60℃ 9 きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・高血圧症・動脈硬化症・糖尿病

という具合で、ほとんどがおとなしい湯であるが、新湯は手ごたえを感じる湯となっている。
 温泉街の中心となる畑下、門前、古町はなぜ別名になっているのか不思議なほど至近距離にあり、典型的な好景気対応型温泉宿が林立し、昔温泉客を里から運んでいたことに由来する観光トテ馬車もトテトテと音を立てずに走っているが、それゆえ多くの人がここだけを訪れて、塩原温泉郷には行った事がある、としているのは少々もったいなくもある。
 また、塩原温泉郷では浴衣にタオルをひっかけて下駄でカラコロ外湯めぐりというのも難しい。共同浴場という形のものがないからである。
 ただし露天風呂という形のものはいくつか箒川沿いにあるが、いずれも女性はもとより、男性でも人前ではちょっと、という人の入浴は難しい環境となっている。

 歴史的には、7世紀末頃に八塩之里の中に塩原の地名が見られるようになり、由来としては岩塩が採れたからとか、地形に由来するとかの説があるようだ。
 温泉そのものの歴史は806年の元湯温泉発見に始まり、最近開湯1300年を迎えた。
 元湯は発展を続け、それにつれて箒川沿いの現在の中心地も開湯されていったようだが、1659年と1683年の地震により壊滅してしまい、そこの人たちが現中心地へ移転開業したので、そちらはますます栄えていった。
 更にこの地震により会津西街道が通行不能になり塩原を通る尾頭峠越えルートが会津脇街道として整備されるとそれに伴い更なる繁盛を見たが、1848年に会津西街道が復活すると利用客も減っていってしまった。
 明治期には山一つ隔てた滝(鬼怒川)温泉とともにひなびた山中の温泉であったが、大正時代に鬼怒川温泉への鉄道が開業すると彼方は東京の奥座敷として発展する一方で、当方は日塩もみじラインの開通(1972年)によりどんずまりは解消されたものの、観光バスの運転手が嫌がるような狭隘国道400号が唯一のルートと言ってもよい時代が長く続いたのである。
 なお、国道400号は1988年の尾頭トンネルの開通(1988)により南会津への短絡ルートとなったが、2006年には那須をかすめる国道289号甲子トンネル開通により、またしても会津への第1ルートから外れてしまった。
 それでも長さ県内第三位のがまいしトンネルを筆頭にバイパス工事が進んで通行はかなり楽になり、全線が開通すれば荒天時の通行規制も過去のものとなる。
 なお、温泉郷という言葉を最初に用いたのが田山花袋であるらしい。

 そんな塩原温泉を初めて訪れたのはもう30年近くも前の事である。
 団体旅行で、入った湯は古町温泉、泊ったのは巨大ホテル。
 この頃の大きな温泉街は客をホテル内で遊ばせ外には出さないという方向にあり、街そのものは寂れている事が多かった。
 この時もその例にもれず、街をそぞろ歩く事もなく、ワーッと温泉に入り、ドヒャヒャと宴会をやって、ニヒヒヒと二次会三次会。翌日はモーローとした状態で源三窟や逆杉を眺めただけで塩原を後にしてしまったので印象は薄い。いや、薄いどころではない。温泉も無色透明で明るく広く大賑わいの浴場に魅力はあまり感じられず、塩原はつまらない場所という印象を持ってしまった。
 それ以来この街は通過地点に過ぎないものとなり、温泉街散策や名所探訪も行っていないので実を言うと塩原温泉についてを語る事はできない。がらっと雰囲気が違うであろう元湯も大変魅力的ではあるがいまだ訪問の機を得ていないので語れない。せいぜいが福渡温泉にある岩の湯だけである。
 岩の湯は福渡温泉の箒川対岸に湧く露天風呂で、国道400号が山峡の細道から町中の細道に変わってすぐの所にある。山中であれば崖を削るなり、川へ張り出すなりして道を広げる事が出来るのであろうが、なまじ温泉街が形成されている町中の方が拡幅は難しかった様で、福渡温泉地内で国道は上下線別一方通行の2本に別れている。
 かような狭い土地故駐車場は離れた温泉街の先にしか無く、元は対面通行だった中途半端な広さの駐車禁止の国道に皆路上駐車。そんな車たちの間にある細道を下れば箒川沿いに出てつり橋があり、その対岸に岩の湯はある。
 つり橋のたもとに料金所の小屋があるが、これはつり橋通行料ではなく、入浴料徴収ブース。だった様な気がする。(こちらももう20年以上前の訪問で記憶が定かではない)
 そこで(たぶん)入浴料100円也を支払って渡河。(現在は入浴料200円らしい)
 渡ってすぐの所に脱衣場と湯船。
 少し濁りのある熱めの湯につかれば目線のすぐ下が川面。目線を上げれば対岸の旅館や多くのハイカーが渡るつり橋。つまりあちらから丸見え。前述の通り、女性は無論、ちょっとシャイな男性でもこの開放感を堪能する事には躊躇してしまうであろう。
 もっとも、解放しすぎもダメなようで、少し逆上せた感があったので、川の水にでも触れてみようかと裸で川の流れに近づいたら対岸の小屋の監視人から「みっともないものをさらすな」と注意されてしまった。(実のところは危険な為。河原は傾斜ある一枚岩で滑りやすく流れも太く強い。)

 そんな塩原温泉郷にあって1湯だけ幾度か足を運んだ湯がある。
 それは新湯。
 ここは箒川沿いのどちらかと言うと羽目を外す方向にある湯場と違って、湯こそ目的、という雰囲気にあるのがよい。
 そしてその湯が、なぜこんな河原から湯が出るのだろう?、ではなくその根源がいかにもと納得できるビジュアルにあるのがよい。
 更にちゃんとした共同浴場があるのがよい。
 という訳で出かけついでや主目的として訪問している。

 塩原から日塩もみじラインへ入る。
 次第に高度を上げる人気のない林間の道を進むといきなりポカッと建物群が現われ、硫黄の匂いが漂う。
 そこが新湯温泉。日塩もみじラインは有料道路ではあるが、料金所は新湯の先にあるので塩原側からならば無料で行く事が出来る。
 道路すぐの山側には共同浴場の「寺の湯」があり、その背後は箱根の大涌谷を小さくしたような噴煙あげる荒涼とした山肌を望むロケーション。
 寺の湯の一段上には公衆トイレがあり、その前が駐車場となっているが、どうもそこは隣接する宿の駐車場のようで、車で来た立ち寄り客はやはり路上駐車。そのあたりだけ道幅が広くなっているので、少々の車が停められても通行の支障にはならないが、混雑時にはバス停や(かつては鬼怒川温泉までの路線バスがあった)、向かいの湯の花を売る土産物屋の前に駐車などと迷惑状態も発生する。
 さて、寺の湯。建物は道路から階段で上った所にある木造のちっぽけなもの。形だけ男女別になっている脱衣所から入れば中は混浴。友人グループでの鶏頭山スキーの帰りにだまくらかして混浴を楽しもうとしたが、ばれたのか、外観の汚さゆえか女性陣は近くの旅館へ立ち寄り湯と逃げられてしまった事もある。
 湯は白濁して硫黄臭がする温泉らしさ満点なもの。温度は訪ねる度に違っていて、定まらない。

 新湯温泉ではその手っ取り早さゆえ寺の湯ばかりを利用しているが、共同浴場は他にもう2つある。
 その1つが「中の湯」。こちらは男女別。saiさんが混浴を忌避したので利用した。
 場所は寺の湯の先から山手へと少し坂を上った所。やはり木造ではあるが、寺の湯よりは少しこぎれいに見える。
 それでは、とsaiさんはすっと女湯へ消えていったのだが、男湯は戸が開かず入れない。建てつけが悪いのかとガタガタやっていたら中から「今女房が着替えているのでちょっと待ってください」の声。
 ?
 しばし後鍵を開ける音とともに戸が開き、「すみません。女湯が水だったもので男湯を使わせて頂いていました」。
 ご夫婦と入れ替わりに入って脱衣所で服を脱いでいたら隣から「冷たくて入れな〜い」の声。
 どうも雪のせいで配管がずれたのか何かで女湯はキンキンに冷えているようであった。
 そこで、前例を見習って仲良く男湯で入浴。幸い私たちが入浴中に次の客が来る事は無かった。
 こちらの湯も白濁硫黄臭で少し熱めの適温。

 共同浴場残り一つは「むじなの湯」。こちらを訪れたのはもう5年も前の10月末。同行はsaiさんと中学生だったハリー。
 当初の計画では塩原温泉街の箒川沿いを散策してそこいらの露天風呂にでも入ろうというものであった。
 渋滞を懸念して朝5時出発。しかし、全くその気配はなく7時には県営駐車場に着いてしまった。
 なおかつ、山の上の方は色づいているものの、通ってきた箒川沿いもまだ紅葉狩りには少し早いという状態。
 そこで、計画を変更してシラン沢沿いを少し歩いて登ってみようという事になった。
 箒川端の道を少し遡り橋を渡って県道266号線へ。
 この辺りは渓谷が売りの塩原にあって異色の開けた土地で水田も見られ、温泉という雰囲気は無く、のどかな山間の農村である。
 11湯名では中塩原温泉となるが宿もなくなぜ温泉郷に数えられているのかが疑問に思える。
 そんな人気もない早朝の道を歩いていると、田んぼの中に小さなモルタルの小屋。地区の集会場にも見えるが、水路へと出された管から湯気が出ている。
 これは住民専用の共同浴場で観光客が利用する事はできない。また、この辺りでは温泉の集中管理が行われていて、各家庭に湯が送られている。つまりここは真の温泉郷なのである。
 田んぼが尽きると道の勾配がきつくなる。が、家々が尽きる事は無い。
 やがて道は二股に分かれる。直進は県道であるが、この先通行止めの表示がある。右へ逸れる道には「箱の森プレイパーク」の看板。
 直進方向に目を向けるとかなりの山の高みに羊腸の道筋が見える。これは幻となってしまった塩那スカイライン。とてつもなく素晴らしい眺めの道路であったようだが、とてつもなくその維持が大変で結局廃棄されることになった道である。
 スカイラインを通行可能部分終端まで行けば素晴らしい紅葉狩りができそうだが、ここまでの坂ですら息が切れ気味だったのにそれより更にきつさを見せつける道様に即座に挫折。足を右へと向ける。
 全く人気のない車道を進むと道端に入園料徴収小屋(当時200円。現在は入園無料)。しかし、まだ8時前。係員は不在でゲートでも閉められている事もない。そのまま無断侵入。
 紅葉は沢遊び用に整備されたツル沢沿いが少し見られる程度。静冷なるパーク内を進むと木の葉化石園方面へ降りられる小道があったが「マムシ注意」の看板があったので元来た道を引き返すことにする。
 その頃になると出勤してきた人たちの車とすれ違うようになり、料金所で出園料を取られるのではないかと危惧したがそれには及ばず坂道をだらだらと下る。
 駐車場まで戻るとトテ馬車がもう客待ち。ぼちぼち町も動き出したようだ。
 ハリーが木の葉化石園へ行きたと言うので車で同じ道を戻り、かつて私も経験した早出団体客と一緒にひとめぐり。
 そうこうしているうちにすっかり体が冷えてしまい早々に温泉へとなったが、ひっそりとしてはいても観光施設を訪れたり、団体客に遭遇しているうちに、町中の温泉ではやはりちょっと、という気分になり、結局新湯を目指すこととなった。
 日塩もみじラインで高度を稼ぐと次第に赤色明度が高くなってきたが、あと少しという所で新湯到着。すでに幾台も停められている車の隙間へ路上駐車。こちらもぼちぼちにぎわい始めているようだが、やっはりほっこりとした気分になれる場所である。
 寺の湯、中の湯は道路より上にあるが、むじなの湯は土産物屋脇の階段を降りる。
 建物の脇まで降りて来たら少し開けられた窓から男湯の中が見えた。結構多くの人が入っていて洗い場がいっぱだ。(とは言っても5〜6人程度でいっぱいになってしまう広さではある)
 中に入りよく見るとそれはちょっと異様な光景であった。確かにいっぱいではあるが体を洗っている人はおらず座り込んで談笑しているだけ。そして混雑に相対して湯船に浸かっている人は誰もいない。
 地元の人の裸の集会場のような雰囲気に少しひるんだが、服を脱ぎ浴場へと進めばすかざず声がかかる。
 「子供には無理だよー」
 ?
 「47℃だから」
 !
 試しに手を入れてみると脳が熱いと感じる前に脊髄が手を引っ込めた。
 「まずは足にお湯をかけるんだよ。なん杯もね。そうやって慣らすんだ」
 レクチャーを受けてやってみる。
 グワッ!
 冷気の中を歩いて来てかじかんだ足に熱さではなく激痛。かかった湯を払いのけるようにさすってしまう。
 ハリーは一発で断念。
 「ごめんなー。うめると効果が薄まっちゃうんだよ」
 と、バケツに湯と水を入れ適温にしたものを提供してくれた。
 結局彼はそれに足を突っ込んだり掛け湯にしたりしただけで早々に退散。しかし、私はそうはいかない。せっかく来たんだし、ここで逃げ帰っては親としてのメンツが……。
 「とにかく掛け続けるんだ。湯はいくらでも出てくるから」
 と、言われ責め苦を続けるうちに慣れたのか麻痺したのかさほど熱さを感じなくなってきた。
 そうこうしている間にたまに「どれっ」と座っていた人がクゥ〜とか声を上げながら入る。そして1分ほどで出る。
 私も意を決して湯船へ。
 腰掛けるようにしてそっと足を入れる。思いの外スッと足を入れる事が出来る……はずもなく即座に引き上げそうになったが、応援の声と「行けるのか」の好奇心の目が私に注がれている。じっと我慢。
 しばしのストップモーションの後、次の一歩。湯船の底に足をつけじわじわと体を沈めていく。
 なんとか肩まで浸かる。全身を刺すような熱さ。思わず「クゥ〜」と声が出てしまう。
 が、少しするとやはりさほど熱さを感じなくなる。これなら結構いけるかも、と少しくつろぎ体勢へと移行しようと体を動かしたらまた刺熱攻撃。
 湯は奥の岩盤からじわじわと湧いているそうで、そのじわじわのおかげで湯に流れがなく体にまとわりついている湯が体温で冷まされてそのままになるので動かずにいれば耐えられるのであろう。だからちょっとでも動けば……。湧き出し口へ行ってみたいと思ったがとても無理。
 傍に温度計が浮かんでいたのでそろそろと手を伸ばしつまみあげて見てみれば赤い筋の先端が47の少し上。いや、48と言ってもいいくらいだ。
 そこまでで限界。しかし、上がろうと体を動かせばまた刺熱。さてどうする。入った時のようにゆっくりゆっくり出てその時間熱に耐えるか、それとも一気に出て激熱渦巻に巻き込まれるか。(なので、他の人が入っている時の飛び出しは大迷惑となるであろう)
 結局腰辺りまではじわじわだったが、耐えられなくなり飛び出すという事に。
 すぐにでも水をかぶりたいような衝動を抑えて平然としたそぶりで洗い場にぺたりと座りこむ。「頑張った、頑張った」と讃えられ晴れて集会の仲間となったが、聞けばみな地元の人ではなく、いくらか成人病のけがある常連さん。
 「寺の湯よりこっちの方が効くからねー。」
 どうも、あちらは混浴という事や、観光客が多いという事から、おおらかさがあり、入りやすいように加水してもいいよという雰囲気があるようだ。以前連れの若者が掛け湯もせずに飛び込んでそれをたしなめた事があったが、そのようにいきなり入っても大丈夫な温度にしてあるのであろう。一方むじなの湯は頑として加水を許さないという硬派の湯なのであった。(後にsaiさんに聞くと女湯では入った時先客がうめるうめないですったもんだの最中だったらしい)
 もう少し長居をしたかったが、脱衣場でハリーが凍えている。そろそろ切り上げてやらねば。
 とどめにもう一度入浴。初めよりはすんなりとそれでもじわじわと入る。
 「手を湯から出していると楽だよ」と知恵を授かる。おお、確かに。
 その効もあって少々長めに浸かり、おかげで帰りの寒気降り下る階段登りでは汗が出るほど。
 そろそろ昼だし、ハリーも冷え切っているので山を降りてラーメンといく事にする。
 が、下山途中ペダルを踏む足に違和感。何だろう。ヒリヒリする。
 塩原から下りきった所にある益子焼共販センター塩原店で(もうありません)名物すり鉢ラーメン。
 その名の通りすり鉢に入っている特大ラーメンで、それを各々がかっこんでいる家族の姿は異様だったのであろう。ちょうど昼食に入ってきた団体客の注目の的となってしまった。
 ラーメンを食べている時もヒリヒリ感は続いていたが、ふと思いついた。これは日焼けの時と同じ痛みである。
 そう、48度にも届こうかという湯に軽いやけどをしていたのである。
 車に戻ると、体を拭いたタオルや、体そのものから発したのであろう、車内は硫黄の匂いに満ちていた。  

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