展望ラウンジ

************ ж 10 ж 46歳からの乗り歩き(2) ************
オレンジ電車と斜め駅

201系
 1979年国鉄に画期的な電車が登場した。
 201系電車。
 国鉄としては破格の大サービスの通勤型電車なのに空気ばねとに新技術のチョッパ制御を備えてオレンジのボディーに黒マスクといういで立ちで中央線に降り立ったのだ。
 以来約30年。東京と高尾の間とちょっと青梅方面へを毎日毎日頑張って来た電車である。
 正直を言うとこの電車にさほどの思い入れは無い。いや、思い入れが無いどころか、大月までその勢力を伸ばした事は車窓が大いに楽しめる中央本線においてその楽しみを半減させるような憎くもある車両であった。
 ところが、ついにその牙城が崩れすでに首都圏の主な路線を制覇していた薄っぺらな電車に置き換わるというニュースを聞いたとたんなんだか得体のしれない物が体の中にむくむくと湧きあがって来た。
 以来日ごとにその数が減って行く情報を眺めながら悶々とした日々を送る事となった。
 と、私の人生における重大な出来事のプロローグみたいな書き出しになってしまったが、つまるところは話題に流され、一度くらいはちゃんと乗っておけばよかったなー、という程度の話である。

 2007年10月23日午前8時東京駅3階ホーム。実を言うとこのホームを利用するのは初めてで、まるで東北新幹線のホームの様に私の感覚の東京駅には似合わないその姿と2分間隔で踵を返す電車にちょっと目を回していた。
 手にしていたのは甲府までの1枚の切符、ではなく1枚のSuica。これから乗るのが通勤型電車というのに加えてピークを過ぎたとはいえラッシュ時間。全然旅立ちの感動が無い。なおかつその数が絶滅に近いと言われていたオレンジ電車がかなりまめにやって来て、もしかすると目的の電車はその少ないオレンジを他に使ってしまって銀色が来るのではないかという不安すらある。
 8時30分。1番線が空くと表示が「8時34分快速大月行」となる。はたしてやって来るのはオレンジか銀か。ドキドキの一時を過ぎて後ろから二両目のモハ201-109の客となる。
 電車は「忙しいんだからいちいち付き合っていられないよ」とでも言うように感慨に浸る間もなく発車。その割には加速減速を繰り返して連結器をギギギと鳴らしながらぎくしゃく進む。
 思いの外空席の目立つ車内に車端に陣取った体をグイッと斜めにして外を見やる。生憎の曇天。その空を隠すように総武線が寄り添ってきて御茶ノ水着。
 御茶ノ水を出れば快速の本領発揮。ガーッと気持ちよく走ってくれるのだが、通勤電車としての本領も発揮されてかなりの乗車率になったのできちんと前を向いて座り首だけをグイッと曲げて神田川と外堀を眺める。この辺りはその水辺のおかげで目の前に建物が無く良い景色に感じられる。
 四谷を過ぎトンネルをくぐるとビルが迫ってきて視界は悪くなるがすぐに新宿御苑の緑が目を癒してくれる。
 その緑はすぐに尽きてビルがクチャッという感じからドォンになると新宿。
 新宿で大量の乗客が降りると通勤電車の雰囲気は薄らいでひと昔前から登場しているロングシート郊外電車の様相を呈してきた。車窓はまだまだ高い建物ばかりだがやはり新宿を出ると旅立ち観がある。
 快速区間は中野まで。ここから先は各駅に停まる。実はこの旅の計画が浮かび上がって来た当初は特別快速に乗ろうと思っていた。中央線の201系と言えばやはり特別快速であろう。しかし、特別快速の大月行きはこの1時間後となり甲府着が昼過ぎとなってしまい、目的地には午前中着を良しとする私の感覚に合わない。そこで東京発大月行きでは始発となるこの列車を選んだ訳だが、少々残念でもある。だが停車駅が多い分この車両の特徴の一つである加減速時の『ムミィーー』という音もその分多く聞く事が出来るという利点もある。
 この様に計画段階ではなんやらかんやら葛藤のある車両ではあったがいざ乗ってみるとそんな思いはどこかへ飛んでしまった。
 中央線の沿線はこんなだったのか、と。
  更に『実は』を重ねると、以前私は神奈川県東部に住んでいたため中央本線は八王子から、もしくは、まで、の利用が主で、数少ない新宿発の列車もほとんどが夜行列車。つまりこの辺の景色はじっくり堪能した事が無いに等しく、あたかも初乗車の如くなのである。
 車内はだんだん空いてきた。また体を斜めにしてじっくりと車窓鑑賞。
 中野を過ぎ、高円寺からは高架という事も相まってこちらを見下ろす建物は減り見降ろす屋根ばかりとなり天気が良ければ北関東の山々も見えそうだ。緑も増えてきた。ただし森などではなく直線的に続く高い木々。街路樹である。早くからきちんと開発された住宅街の並木は大木となり家々の倍以上の高さとなっている。荻窪でいったん地平に降りてまた高架の西荻窪。ホームには大勢の遠足らしき幼稚園児。だが乗って来る様子は見られない。この後の青梅行きを利用するのであろう。曇天の下甍ばかりの風景が続くが高い建物が出てくると駅のパターンが何度か繰り返される。三鷹から高架工事中。東小金井などで半分切り取られ不気味ながらんどうとなった跨線橋を見やり、国分寺から地平に降りると風景に変化が表れ、木々の形が街路樹から雑木林の残り風となり、家々が上に見えたり下に見えたり。切通しと高架で多摩丘陵を進み西国分寺でドカドカ乗って来た人々がどっと降りた立川を出れば多摩川鉄橋。いくらか切れ目の見えてきた雲の下には秩父連山。八王子では今までの駅では見られなかった風貌のそれらを目指すのであろう人々が散見されたがやはり乗っては来ない。家々の背後の丘が建物ではなく木々に覆われてくると天狗様に出迎えられて高尾着。東京からの1時間少々があっという間であった。
 高尾では5分程停車。その間に先程の山屋さんたちを乗せているのであろう特急に追い越される。
 高尾からはここに書くまでもなくスパッと変わる見慣れた風景。と言っては語弊があるであろう。楽しみでいつもしっかり見ている風景と言っておこう。
 乗客は10人程にとガラガラになってしまい、5分も停まっていたので直通列車ではなく高尾発の別列車の様な感じがする。
 スタートダッシュを得意とする通勤型電車には酷にも思える高速登山。周辺とは浮いた眺めの圏央道ジャンクションを過ぎればトンネルにガムシャラなモーター音が響かせ、抜ければレールをきしませながらカーブでバンクを切る。
 ながーい小仏トンネルをくぐって更にいくつかのトンネルをくぐれば中央道の橋脚そびえる山間の駅相模湖。反対のホームには山から下って来た電車。その向こうを特急がすり抜ける。まるで単線山中の交換駅の様だ。
 相模湖を出れば桂川と名前を変えた相模川に沿った笹子峠までの登り一方となる。高尾は多摩川水系でこの先は相模川水系。水系が変われば大なり小なりの峠越えが有る訳で、峠越えをすれば登りがあって次に降りがある。高尾〜相模湖間では風景の激変に気を取られてそれに気付きづらく、今回もそんな事はすっかり忘れて山々を見入ってしまった。そして相模湖駅から先もやはり風景ばかりに気をとられて登り勾配の事など忘れてしまう。この勾配を体で感じたいのであれば夜の上り列車、つまり下り坂がいい。それも進行方向に背を向けて座っていると笹子峠からたんたんと降って来る様がひしひしと背中に感じられる。
 相模湖の次は藤野。この2駅は神奈川県で駅前には黄色い神奈川中央交通バスが停まっている。知識的にはよく知っている事なのだが通るたびに何となく違和感の様なものを感じる。橋本から国道を通って津久井湖経由で来るとその感覚は無いので不思議なものである。しかも相模原市だというのだから……。
 山梨県に入るとすぐに上野原。乗ってくるのはポツリポツリ。一方降りる人パラパラ。ついにこの車両の乗客は片手を切った。連続カーブで先頭車まで見える事がちょくちょく。しかしそれはカーブがきつい以上に編成が長いからだ。この10両に一体何人の乗客がいるのであろう。車両だけでなく雰囲気もふた昔前。国鉄時代には各地でこの様な空気輸送が見られた。
 座席に胡坐をかくように座り、横向きになって外を眺める。もうロングシートである事など全く気にならなくなった。窓を、それでも15メートルくらい離れたところにいる乗客に気を使って、少し開けた。いつの間にか晴れ渡った山々の気持ち良い風が吹き込んでくる。新型の車両ではこれは出来ない。しかも色つきガラスなので総天然色は見られない事になる。
 鳥沢を出るとすぐ長高の鳥沢鉄橋で桂川を渡る。かつては橋ではなく桂川に沿ったグネグネルートで猿橋に向かっていたが複線化により橋とトンネルでゆるーく結ばれた。それにより風景が失われてしまった事を嘆く人も多いが、私はこの橋からの眺めが大好きである。大きくカーブを切って流れる深くて広い桂川とその背後の山々がスパーンと見渡せる。中央本線白眉風景の1つだと思っている。まぁ、昔の風景を知らないから言えるのであろうが。
 トンネルを抜ければ猿橋。右に岩肌をさらしたちょっと変わった山が見える。岩殿山と言い、城跡でもあるらしい。一度登ってみたいとも思っている。
 猿橋を出るとグイッと進行方向を変えてその山に向かう。右に見えていた山が前方へと移りその裾で左にカーブして右側に見上げるようにしてかわせば終点大月。今回の主目的1時間50分の旅は終りである。空いていたという事も大きく関与しているだろうが、思っていた以上に、いや思っていたのとは逆に十分に楽しめる電車旅であった。
 大月でほんの一息入れただけでオレンジ電車は特快として東京へと舞い戻る。すがすがしい山の空気ばかりをいっぱいに詰め込んで。

乗って来た列車と
第2ランナー115系

 さてここからはオプションとも言える旅である。初めにも書いたが特に行き先の定まった切符をもっている訳ではないのでどこで終わりにしてもよいのだが、ここまで来たからにはやはり笹子峠は越えたい。とりあえず予定通り甲府まで一気に歩を進めながら、帰りに途中下車してみたい駅を物色しようと思う。
 二番手は20分程の待ち合わせで大月発甲府行き、色こそ違えど昔ながらの中央本線鈍行電車。乗客はパラパラでゆったりとボックス席を占領する。やっぱりこの電車はいいわー。
 ところが走り出して驚いた。先程のオレンジ電車に比べてなんと乗り心地が悪いのであろうかと。
 座席はボコボコと固くて、ガクガクとよく揺れる。同じ線を走っているとは思えない。確かに車齢的には倍近い年の開きがあるのでそれは仕方のない事であろう。それよりも不思議なのはこんなくたびれた車両よりも乗り心地と経済性に優れているオレンジ電車を先に壊してしまうJRの考え方である。個人的な好みではこの古い電車を残していてくれる事は嬉しいのだが。
 富士急行の元国鉄デラックス急行を見送って山登りはますますきつくなってくる。ボコボコ・ガクガクにもすぐに慣れてまったりと山岳風景を堪能。
 大月の次は初狩。前と横に傾いて停まった電車の下の方に引き込み線が見える。
 続いて笹子。いよいよ山を昇りつめた雰囲気の山間の小駅。左側一段高いところには信号などがぞろぞろ。昔のスイッチバック跡を利用した訓練施設らしい。スイッチバックとはナの字の様に線路が敷かれているもので、勾配途中(ナの縦棒)に駅を設けようとした場合昔の列車は勾配に弱かった為本線から分岐して水平になるように(ナの横棒)敷いた線路上に駅を設け、列車は前進したりバックしたりしながら駅に発着したのである。
 笹子駅にはもう1つ笹子餅という名物が有る。これは駅で降りなくとも車内販売で買える。
 発車して細く細くなってしまった桂川を渡ると笹子トンネルに突入、明治時代に開通してもう百年も頑張っているとは思えない白い壁が延々と続く。
 笹子餅売りが来たら1つ所望しようと思っていたのだがその気配がないまま列車の音が軽やかになり減速するとスカッと日の光の下に躍り出て甲斐大和というなじみの薄い駅に着く。笹子トンネルは1902年に笹子村と初鹿野村の間にある笹子峠に掘られたトンネルである。そう、甲斐大和は最近まで初鹿野と名乗っていたのだ。初鹿野という響きは好きであった。ところが、昨今の駅名改称ブームで甲斐大和になってしまったのは残念である。
 と、いうのとはちょっと違うようだ。
 甲斐大和駅に到着すると「そば切り発祥の地 大和村」と「武田家終えんの郷」の大看板が迎えてくれる。現在の様な蕎麦は、栖雲寺への参詣人向けにそれまではそばがきとして食べられていたものを切ってゆでて出したのが始まりとされ、この寺のあたりが武田家終えんの地の天目山。武田家とその家臣の冥福を祈って徳川家康が建てた景徳院もある。
   笹子トンネルが開通した当時、初鹿野駅の所在地は初鹿野村であったが、1941年に鶴瀬村・日影村・田野村・木賊村と合併して大和村の初鹿野地区が所在地となったのである。ところが、栖雲寺と天目山は木賊地区、景徳院は田野地区で大和村代表駅ではあるが一地区名の初鹿野をもってそれらを大々的にうたう事はせっかく大和と名付けたのにゴタゴタの原因にもなりかねずやりにくかったであろう。
 念願かなって初鹿野駅が大和と改称されたのは町が誕生してから52年たった1993年。しかし、大和駅はすでに神奈川県の大和市(1891年誕生、当時は大和村)に使われてしまっている(1926年開業)。そこで甲斐大和。これにて万々歳。問題と言えば、木賊地区と隣の勝沼町の間の一部の境界未確定地区くらいかな、となった。
 しかし、幸せは長くは続かず、平成の大合併(2005年)により問題の未確定地区はそのまま勝沼町とともに塩山市に寄り添うようにして甲州市になってしまったのである。
 百年以上の歴史を持ちながらも自治体名でいられたのはわずか12年という甲斐大和駅は大変興味深くはあったのだが、大看板は、気持ちは解るが、「風林火山ゆかりの」と書かれてしまってはちょっといただけない。国鉄時代様式の「名所案内」だけであれば、もっとググッと来たのであろうが。
 発車すればトンネルの上で交差した中央高速が左側に見える。国道20号はトンネル同士で交差して右に移っているがグニッとすぐ左に移っている。そしてしばらくは仲良く谷を降って行く。谷の出口が見えてきたあたりで長いトンネルに入り、それを抜けるとパッと風景が開けて甲府盆地を見下ろす絶景となる。
 はずだったが、ありゃリゃ。線路際の木々が大きくなりすぎて見通しが利かない。ちらりちらりとその風景を少しイライラしながら見ているうちに勝沼到着。いや勝沼ぶどう郷だ。
 いやらしい改名である。かつては勝沼と言えばぶどう。ぶどうと言えば勝沼であったが、駅名に付けてまで宣伝しなければならないほど衰退してしまったのであろうか。さぁ、今がチャンス。東青梅を勝沼に改称してしまおう。青梅鉄道公園は勝沼にある。
 勝沼ぶどう郷を出ても木々が大きい。それが切れても目の前にぶどうの丘が立ちはだかっている。丘が後方に去ってやっと広々とした風景が見られるが高度はずいぶんと下がってしまっている。しかも、盆地を囲む山々はかすんでしまっていてはっきりしない。う〜む、物足りない。
 一気に町の高さまで降って塩山。またしても風林火山の幟がパタパタ。
 立て込んできた家々と果樹園の間からは切りこんできた谷とぶどうの丘がずいぶんと高い所に見える。
 頭を山の上に出した富士山がおぼろに見える東山梨は塩山連合と袂を分け牧丘町と三富村を吸収した山梨市に属している。
 次はその総本山の山梨市だが、すぐに笛吹市に入って春日居町。おっ?!
 笛吹市も新しくてそして大きい。もう二つの市を通過してきているというのにその前の大月市と接している。もう訳が解らん。まぁ、線路がぐるっと大廻りをしているせいでもあるが。
 で、その中心が石和。でも駅名は石和温泉。もう何も言わん。
 甲府市に入って最初の駅が酒折。次が終点甲府ではあるがそうでもない。
 酒折を出ると左手から身延線が近づいてくる。そのくっつく直前の高架の上にある小さな駅が甲斐善光寺駅ではなく善光寺駅。定額山浄智院善光寺、別名甲斐善光寺の最寄り駅である。面白いたたずまいの善光寺駅と善光寺は訪れてみたいのだが今回はちょっと時間的に苦しそうだ。
 次も一緒に並んで走っている身延線だけに設けられた、やはり通るたびに気になる金手駅。そして城を見上げて11:36甲府到着。なんのかんの言っても楽しくあっという間の1時間であった。

金手駅
 Suicaですいっと改札を抜けてさてと時刻表を見上げる。幸いすぐに出る列車が有るので急いでSuicaを使って切符を買いホームへ。Suicaをもっているのにわざわざ切符を買ったのは目的駅でややこしい事になりそうだったからだ。
 そう、見上げていたのは身延線の時刻表で目的駅は先程ちらりと姿を見た金手。JR東海の駅であり、無人駅なので車内精算となるが、Suicaで甲府駅改札を通った場合はどの様になるのか興味もあったがやはり面倒は避けたい。
 階段を下りてちょっと奥まったホームに停まっていたのは東京で使い古されたボロボロの電車。というのはもう30年も昔の話。ピカピカのステンレス2両編成の電車がワンマン・鰍沢口の表示を出している。その電車のまばらな客の一人となって日だまりの様なボックス席に腰を下ろす。すぐに下車するので、と手に持ったままの切符をよく見るとJR東日本とある。あれっ、これでよかったのかな、JR東海用の券売機が有ったのかな、と思案しているうちに11:58となり発車。
 するすると走って停まって難なく金手下車。カーブした狭いホームの中ほどに無人の小さな駅舎。駅前に広場などは無く10段程の階段を下りればいきなり道路だ。ホームは立派な石垣の上にある。駅すぐ横の踏切が鳴ったのでまたホームへ上がると1つ向こう、真ん中の線路を特急あずさがグイッと車体を傾けて通過して行った。
 たまに踏切を通る車がガタカダと音を響かせる以外は静かな静かな金手駅。カーブしている線路は遠心力で列車が倒れない様に外側のレールが高くしてある。そんなカーブにある踏切なので渡る車がボックン、ボックン、ボックンと揺れながら中央本線の2本の線路と身延線の計三つの山を越えていく。
 轟音と共に青とクリームの普通電車が通過して行くのを見届けてから甲府駅へ向けて歩き出す。特に目的は無いのでとりあえず踏切から続く道をぶらぶらと歩く。すぐに国道411号線に合流。交通量ほどほど。勝沼行きの山梨交通バスなども通る。
 時刻的には昼時。なにか美味しそうなものは無いかなと、通り沿いの店を物色していたら印伝屋なる店があった。食べ物の店ではない。店頭には鞄や小物入れが並んでいる。小物入れに信玄袋を1つ買おうと思っていたので、ちょうどいいや、と店に入ろうとして二の足を踏んだ。ショウウィンドウに飾られた商品の値段、あれ、一桁違うぞ。
 私が所望していた信玄袋は布製で安くてちょっと丈夫な物で、値段通り安っぽくてもいいや、であったのだが、この店の品物はそんな代物ではなくなんとも艶っぽいいかにも高級ものであった。店名にもなっている印伝、甲州印伝である。
 印伝とは鹿革に漆を施したものでこの地に伝わる伝統工芸品。古くには武具に使われたり、江戸時代には江戸っ子好みの粋な小物として人気だったらしい。
 気持ち的には大いに魅かれるものがあったが、懐が許してくれそうもない。思い切って入ってしまえばそれなりに適度な値段の物もあるのであろうが、以前気軽な気持ちで入った北海道のミンク屋で懇切丁寧な対応をしていただいたのに小さなキーホルダーしか買えず気まずい思いをした事が有りそれがトラウマとなっている。焼き物の店ならば入って何も買わずに出る事が平気なのだけどなー。
舞鶴城
 大衆食堂に毛の生えたようなほうとう屋でもあればと思っていたのだが、だんだんビルが増えてきてそのような店が望めそうもないので大通りから細い道を右へと入ってみた。しかしするりと入ってもいいや、という店は無い。そのうちに見上げるような石垣に突き当たってしまった。手前には堀が有り左手にかかった橋のたもとには舞鶴城公園とある。
 舞鶴城、本当は甲府城、は豊臣系の城として完成したものの関ヶ原以後は徳川系の城となり直轄地という事もあって大変立派な城だったらしいが火事や明治以降廃城により他の施設や県庁が出来たり中央本線が真ん中を突っ切ったりして現在残っているのは石垣のみ。そのてっぺんには巨大なロケットみたいな塔が建っているが城とは関係ないようだ。
 遊亀橋を渡って間近に見上げる石垣は、うわーあそこまで登るのは大変だなー、とうんざりするような高さなのに吸い寄せられるように足が進み、ジグザグぐるりと登って天守台に立つ。少々息切れ。
 天主台からの眺めはあっぱれであった。盆地をぐるりと一望。囲む山々と富士山は霞んだままであったが大いに満足できる景色。電車もよく見える。小さな城の様な物も見える。
 天主台から降りてその城に行ってみると甲斐府中城なる横断幕がかかっている。これは甲府城の中に府中城があるという事ではなく、甲斐府中城も甲府城の別名。建っているのは復元稲荷櫓で中は資料館。入館無料なのでそそくさと入ってフムフムと歴史のお勉強。でもそれより気になるのは真下を通る中央本線と身延線の電車。展示物そっちのけで窓の外ばかり見て歩いているとどすの利いた自動放送の案内が流れたりするのでドッキリする。
 城でのんびりしすぎてしまったのでもう午後1時だ。昼食は駅弁の煮貝すしにでもするか。舞鶴城から甲府駅はすぐ。2階に昇ってすぐの土産物屋をさらっと物色してからまたしてもSuicaを券売機に突っ込んでわざわざ切符を買う。切符の行き先は横浜線十日市場。JR東日本同士なのでSuicaでそのままでも何ら問題は無いのだが、帰りはいくつかの駅で途中下車しようと思っているのでSuicaだとその度に精算されてしまい不経済。目的駅までは100q以上あるので切符を買えば途中下車が自由に出来て出費を抑えられる。
 だが、券売機からピュロッと出てきた切符を見て驚いた。有るはずのない1文が印刷されていたからである。
「下車前途無効」
 え?!なんで?途中下車可能は200q以上だっけ?いや、そんなはずはない!Suicaで買ったから?……券売機の設定ミスに違いない!!
 改札にいた駅員に問いただす。
「100q以上あるのに途中下車出来ないんですか?」 (フフフ、ミスを発見してやったぜ 強気)
「はい。東京近郊区間ですので」 (にこやか)
「はぁ〜あ?」 (何言ってんだこの駅員 強気)
「こちらをご覧ください」 (にこやか)
ガラスに東京近郊区間の地図が貼ってある。見れば甲府の先の韮崎までがその区間。大月までじゃなかったっけ。
「あの〜、途中何駅かで途中下車したいのですが、この切符ではできませんよね」 (は〜、なんてこった、私が間違っていたのか、払い戻してSuicaで刻んでいくしかないのか すっかり弱気)
「それでしたらあちらの窓口で金手駅発に変更してください」 (にこやか)
「はいぃ?」 (え〜と、どういう事? 頭真っ白)
「金手発ですと東京近郊区間内発着になりませんので途中下車が出来ます」 (にこやか)(ちょっと調べて) 「料金も変わりません」 (にこやか)
 教えられたのは改札向かいにある有人切符売り場。この窓口が混んでいた。
 並びながら考えた。金手駅はJR東海だから金手―甲府の分を切符を売ったJR東日本がいくらか渡す事になるはずである。料金が変わらないのだから損な訳だ。しかも切符の変更という手間までかけて(1回は無料で変更できる)。それなのにいちゃもん客に近い私に終始にこやかで親切な対応。見事である。
 考え終わった。しかし列はいくらも進んでいない。指定券などを発行する窓口なので一人一人に時間がかかる。券売機で切符を買って余裕で乗れるはずだった列車はとうに甲府を後にしている。このペースでは次の列車も危うい。見ているとどの人も一万円札や五千円札を出して2〜3枚の切符を手にしている。やっと私の番が来た。変更を頼むと慣れた手つきですっと発券。他の人に比べてかなり短時間で手続き終了。そして金を出さずに切符を手にしたのも私だけ。
 ホームに降りたのはもう発車間際であった。駅弁を探している余裕はない。売店で缶ビールを一本仕入れるのがせいぜいであった。
 13:41甲府駅発。改めて切符をしげしげと見ているうちに金手駅をかすめる。何気なく2時間ほど前に訪れてそして図らずもその駅発の切符を手にしている。なんとも妙な気分である。
霞む富士をつまみに
 甲府から10分で第一の途中下車駅、春日居町。私の中にある中央東線で最もその存在感がない駅だ。かつては別田という名で一部列車のみ停車の小駅であったらしい。今でも小駅なのは変わりないが、そんな駅に途中下車する気になったのは行きに面白そうなものを見つけたからだ。
 降り立ったホームは待合室もない簡素な造り。当然駅舎もなく車掌が切符を回収するのかと思っていたらそのそぶりもなく電車は走り去った。
 Suica改札機を素通りして階段を降りれば一般道の踏切。渡って松本方面ホーム入り口を通り過ぎてすぐがお目当て春日居町足湯。列車からもよく見える大看板には入浴料無料とも書いてある。
 円形とそれに続く細長い浴槽に先客7〜8人。お年寄りから乳飲み子を抱いた若いお母さんまでみんな地元の人の様で賑やかに円形部分で談笑中。そんな中に割り込んでいくのは気がひけたので細長いほうの中ほどにそそくさと入浴。そして甲府駅で買ったビールを即座にプシュッ、グビグビ。すると即座に管理人さんが出てきて「中では飲まないでください」と注意されてしまった。見れば入浴中飲食禁止の文字。そこで御坂山地の上に霞む富士山を眺めながらじっくりと足を温めてから3歩前へ出てベンチでまた山々を堪能しながらビールを堪能。幸せな一時。また浴槽へ戻り温まっていたら下り電車が春日居町駅到着。乗客のほとんどがこちらを見ている。
 温泉の湧出温度は約28℃。湧出場所と駅の住所が違うので引き湯、加温の様だ。営業は12月30日〜1月1日を除く10時から17時まで(4〜9月は18時まで)。
 温泉と富士山というベストカップルを味わって14:29、次の下車駅を目指す。
ぶどうの丘
 なんのかんのと文句を言っていた勝沼ぶどう郷着14:51。ここで途中下車したのは行きに電車内からはよく甲府盆地が見られなかったから。駅前からでもぶどうの丘が邪魔になる事は解っていたので、ならばそこまで行ってみようか、と考えていた。
 出発する列車を見送ってから階段を降りて改札口へ。勝沼ぶどう郷駅は立派な駅舎はあるが、またしてもSuica改札機のみが頑張る無人駅。取り出しかけていた切符をしまう。
 駅舎を出ればやはり風景の大部分をぶどうの丘が占めている。しからばと駅前広場を抜けて道路に出でみて驚いた。丘というくらいだから甲府盆地へと降る斜面の一部がちょっと盛り上がっているだけ。少しの降り登りをすればたやすく頂上にと思っていたのだが、現実の丘の麓はかなり降ったところ。しかも急勾配。直線距離ならばいくらもないのだがこれではちょっと行ってみようかは無理。ガードレールに手をつき溜息をつくばかりであった。
 それでも丘の肩越しに見える風景をしばし眺め、かつてのスイッチバク駅跡を利用した工事中の勝沼鉄道遺産記念公園にちょいと立ち寄ってから駅に戻る。
 駅自体は無人でも駅舎内の売店は健在で特産のワインがずらりと並んでいる。客もそこそこいて隣の店でワインを傾けている人もいる。私も一杯と思ったが、ここであまり長居をする訳にもいかないので土産用のワインと車内のお伴用カップ入りワインを買ってホームに上がる。
 わずかな待ち時間にホームを散策。各駅までの所要時間案内に懐かしいと思えるほどには普及せずいつの間にか見られなくなったE電の文字があった。
 列車に乗っているとさほどでもないのに歩いてみるとかなりの勾配の駅である事が実感させられる。やがてその坂を列車が駆け上って来た。ホーム東京方はカーブしているので列車は前後左右に傾いて停まる。
 発車すると甲府盆地は木々の枝の間から見え隠れするようになりすぐにトンネルのによって完全に見えなくなる。どうにも物足りない途中下車だったので大月から先の楽しみにとしていたカップワインの封を甲斐大和で開けてしまった。もっとも堪能していたとしても開けていたのだろうけど。
 つまみは無い。しかし車窓が十分にそれとなってくれる中央本線である。だがさすがに笹子トンネルの通り過ぎる蛍光灯だけでは物足りない。 笹子餅を売りに来てくれれば十分なつまみが出来るのにと期待していたがやはりその気配は無い。(私はモナカをつまみに酒を飲めるタイプです)。
 気配のないまま笹子到着。途中下車候補の駅であった。笹子餅に執着してしまった心もある。たしか駅前に製造販売元があったはずだ。しかしカップワインがまだ半分残っている。カップ酒片手に途中下車もなー、などと思っているうちに列車はするすると発車。降り勾配である。
 だらだらと飲んでいるとそのままだらだらと列車に乗り続けてしまいそうなので、ブレーキがかかったところで底の見えてきたカップを一気にあおって初狩駅下車。電車とホームの間はかなりの段差。そしてホームにも段差。点字ブロックのすぐ先が階段状になっている。いつの時代の物であろう、鋳鉄製の洒落た肘掛のあるベンチが線路とは直角の向きに置かれている。たいていベンチは線路と平行の向きに置かれているものだが、この駅でそのように置くと勾配で斜めに座る事になってしまう。電車の床はそのベンチの座面より高い。いや、高いのはホームに面した乗車口側だけで反対側はぐっと下がっている。この駅もカーブがきついので電車がかなり左右に傾いて停まっている。そして勾配。
 三次元的に斜めになった電車が発車すると静かな静かな山間の小さい大きな駅となった。
 昔はこの駅も笹子、勝沼と共にスイッチバック駅であった。ただしこの駅が他の駅と違うのは、貨物専用ではあるがそのスイッチバックが生き残っているという事だ。駅舎はそのスイッチバック引き込み線(以前のホームがあった場所)の向こう、つまり昔ながらの場所にあり、少々離れている。
 ホーム中央の階段を降りて左に曲がると地下道はすぐにポカッと切れて三本の引き込み線を渡る踏切と駅舎が見通せる。地下道から続く屋根の下には「貨物列車に注意」の表示がぶら下がってはいるが、踏切自体に遮断機は無い。
 貨物列車というそこはかとない懐かしさを感じながら踏切を渡る。引き込み線のレールは真っ赤に錆びていてこの施設がめったに使われる事が無いのを物語っているが、灯る信号機が「わしゃーまだまだ現役じゃい」と主張しながらいつ来るともしれない列車を待っている。
 人がいそうな気配はすれどもやはりここもSuica改札機が頑張る無人駅。甲府で手間暇かけて途中下車可の切符を購入したのに結局一度もそれを改札口で提示する事が無くなんとも寂しい。
 駅舎は国鉄時代によく見られた駅以外の何物でもないスタイルの建物でしっとりと落ち着いている。駅前は数台の自家用車が停められているだけでひとの動きは無く駅前通り共々ちょっと落ち着きすぎてしまっている。でも駅舎内は大変きれい。あのベンチも置いてあってこちらには座布団のサービス。地元の人々に愛されているのであろう。
 日だまりの駅舎から勾配ホームへと戻る。16時前だというのにこちらはもう日が陰ってしまってうすら寒くもある。坂を降りて東京方へ末端へ行けばスイッチバク駅ならではの複雑な線路の絡み合いが見てとれる。そのずっと向こうの山の中腹にはそれを現役で残していてくれる功労者の砕石工場。引き込み線はその工場まで通じているはずで、線路終てを確認したいところではあるが今回はパス。
 今度は坂を登る。ホーム端部は中央が階段ではなくスロープ状。右手に古い橋台の残骸。以前はそこを通ってもっとしっかりと引き込み線を見おろしていたのだが、カーブ改良の為に現在の線路になったのだろう。しかし、その位置から察するにそのままの線路であればホームほぼ直線に出来た様にも思える。その分複雑分岐のあたりが急カーブになってしまうが乗降客にとってはその方が良かったであろう。しかし線路は全体的にゆるいカーブをもってして急カーブを無くすように改められた。「あずさ」の為に。考え過ぎか……。
 その反対に目をやると谷間に何やら四角い構造物。中央高速のトンネル?、と思ったがそれはまださんさんと日が当っている反対側の山の斜面を通っている。
 これはリニア実験線の一部。もっと深いところを通っているのかと思っていたが案外在来線と同じ様なところを通っているのであった。あちらは走行に摩擦を必要としないので現在線程度の勾配は屁でもないのであろう。それにしてもただでさえトンネルばかりなのだから貴重な地上部分をわざわざ囲ってしまうことなく外を見せてくれたらいいのに。あっ、でも時速500qではこんな区間の明かりは笹子トンネルの蛍光灯よりもあっという間に過ぎ去ってしまうであろう。
 連なる山々から大月行き列車が駆け降りてきて目の前にぐいっと斜めに停まった。斜めのホームからよじ登るようにして車内に入ると床は前のめりにそして右へもと傾いている。さっきあおったワインがやけに効いているような気がした。

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