************ こてりーの話 ************
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子守してます
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ж 52 ж 時代
「リラ」は1990年5月22日の生まれです。そして2010年10月29日にその20年の生涯を閉じました。
「リラ」が去って感じたのは、もちろん悲しいという事が主ですがそれと共に、「1つの時代が終わった」という事でした。
これはその8年前に「こてつ」が旅立った時には感じなかったものです。昭和が終わった時も感じなかったこの「時代の区切り」的な感覚は何だったのでしょう。
私においての昭和時代とは、生まれ育ち親元を離れるまでの時代です。人生においてはかなり大きな時間であった事には違いが無いはずです。なのになぜ感傷的なものが湧いてこなかったのでしょう。
その時私は接客業に就いて4年目というまだまだひよっこでした。
前年から吹き始めた自粛の風は次第に強くなりそしてついに予約キャンセルが90%越えの日を迎え、今までにないしんと静まり返った雰囲気は、常に繁忙期というバブルに慣らされた私には時代の終わりではなく、なにか体験した事のない不思議なもの、というものと、休憩時間が長くて嬉しい、という気持ちばかりがありました。( 超ピーク時には18時間労働なんてよくありましたからね。)
「こてつ」の時は「悲しい」と「やっと帰って来てくれたね」でした。彼は晩年我が家の喧騒が嫌になり(なんせ大猫子猫合わせて10匹いましたからねぇ)50m程離れたお宅に引っ越してしまっていましたから。
その他にの我が家を去ってしまった猫に対しては「悲しい」よりも「どうしているんだろう」・「きっとどこかで元気にしてるよね」という気持ちが大きかったです。
ではなぜ「リラ」の時は「時代が終わった」という虚脱感の様なものがあったのでしょうか。
「リラ」は平成の初めの20年間を一緒に過ごしました。その間の私は、焼き物を始め、結婚し、子供が生まれ、転居、転職し、と激動の時であり、また精神的には落ち込んでいた時でもあったので、苦楽を共にした「リラ」が逝ってしまった事はかなりのショックだったようです。
苦楽を共にした?いや、共にはしていないぞ!。
私が苦しい時は彼女も苦しかったのか? 私が楽しい時は彼女も楽しかったのか?
そう、私が苦しい時でも彼女はいつも通り。私が楽しい時でも彼女はいつも通り。
例外的に私も彼女も楽しい時と言うとおもちゃで遊んであげた時かな?逆に私が楽しい時に彼女が苦しかったのは子猫の時に車で実家へ連れて行った時。楽しいドライブ。でも「リラ」は(「こてつ」も)車に酔ってしまって。以来一緒に外出はしていないのでこっちが外で楽しい時はますます彼女は家でいつも通り。いつでもどんな時でもいつも通り。
そう、この「いつも通り」こそが大きな原因なのではないでしょうか。
昭和時代の私はいわば変化の時代で、身近にいつも通りは有りませんでした。しかし、平成になってからは生活は激動であっても内面は安定の時代に変化したんですね。家族が出来ましたから。
「リラ」はちょうどその時に一緒にいたのです。苦しい時でも家に帰れば家庭があって、そしていつも通りの「リラ」がいる。楽しい時はその存在を忘れてしまっていたかもしれないけどいつも通りの「リラ」がそこに加わっていた。
「リラ」がずっと変わらなかった訳ではありません。当然子猫から成猫、そして子供たちからヨボヨボとからかわれるように。でもその変化はゆっくりと進んだのでやはり「リラ」はずっと「いつも通り」だったのです。その瞬間まで。
その「いつも通り」が欠けてしまったら……。
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孫にも衣装
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「はな」は2000年に我が家にやって来たキジトラの女の子です。美人猫でsaiさんが一目ぼれしてもらってきました。
彼女が来た時、うちには先住猫が3匹いました。「リラ」と「こてつ」と「あかね」です。
「あかね」はその2年前にもらってきたやはりキジトラの女の子でちょっとポッチャリ。よって我が家の猫は4匹となりました。が、「はな」と性格が合わなかったのか、「あかね」は1年ほどして家出。しばらくして家のすぐ近くで痩せてしまった「あかね」を見つけたsaiさんが保護して連れ帰ったのですが、ご飯を食べた後で「はな」と遭遇したらすぐ出て行ってしまいました。
そう。「あかね」が控えめだったのに対して「はな」はちょっと勝気な猫。他所猫が来ると「こてつ」と一緒に喧嘩に出かけるヤンチャ姫だったのです。
「はな」は1度だけ子供を産みました。その子猫のうち貰い手の無かった子がちょっと油断しているうちにポロポロと子供を産んでしまい、「こてつ」が出て行ってしまったのは前述の通り。
「こてつ」が出て行ってしまってからは「はな」が我が家の用心棒となり奮闘していましたが、さすがに無理があったのか他所猫の侵攻が激しく、娘の「マロニー」は子供たちを引き連れてやはり家出してしまいました。1匹を残して。その残った子が「まめてつ」です。
「マロニー」親子も近所にいたみたいなのですが結局戻る事はなく、我が家の猫は「リラ」「はな」「まめてつ」の3匹となりました。
「リラ」が逝ってからはますま2匹はくっ付いているようになりましたが、「まめてつ」がフレンドリーであまり喧嘩もせず他所のお宅で御馳走をもらって来る子だったのに対して、「はな」は「こてつ」譲りのテクニックで他所猫を駆逐しおやつはジビエというプライド高き猫でした。
甘えっ子の「まめてつ」はよく「はな」に怒られたりしていてまさに「はな」時代。ですが、2匹だけだった期間は短くすぐに「ごまめ」がやって来ました。
もらわれてきた「ごまめ」は同居猫にいじめられていたそうで、もしかするとなじめないかもと心配していました。案の定「はな」はすぐに威嚇。すると威嚇された「ごまめ」はそばの箱の上に乗るとその小さい体をめいっぱい膨らませて対抗しました。彼女もやはり勝気だったのです。
「はな」と似た性格だった為か3匹はすぐに仲良くなりました。「はな」時代は平穏だったのです。
「はな」は人とからむより猫同士でいる事の方が好きでした。そして高い所が好き。寝る時も棚の上などで。人に寄って来るのはよほど冷え込んだ夜にちっょと布団にやって来る、くらいです。ツンデレの使い手。
美人猫でしたが、喧嘩傷がもとで左目を失明してからは凄みを感じるあねさん猫という感じに。でも性格は変わらず、たま〜に甘えてくるともうこっちは目じりがデロ〜ン。
2018年。その前年から弱って来た「はな」は夏には歩くのもやっと、という感じに。それでも毎日のパトロールは欠かしませんでした。しかし、8月11、いつもならさほど時間はかけずに帰って来る「はな」は夜になっても戻りませんでした。次の日もその次の日も1週間しても1ヶ月しても。
でも「はな」が姿を消しても1つの時代の終わりを感じる事はありませんでした。だって姿を消したのです。死んでしまったのではありません。もちろん、もうおそらくは、ではあるのですが、私の中では「まだどこかで元気にやっている」という気持ちが残っているからです。
「はな」時代は8年でした。
そして今は「ごまめ」時代。
彼女も「はな」同様ツンデレですが「はな」よりは人好き。結構人の膝に乗って来ますし、寝る時も夏以外はだれかの布団にやって来ます。
でもそれが顕著になったのは「ごまめ」時代が始まって少ししてから。
「ごまめ」も猫同士でくっ付いているのが好きで、「はな」がいなくなってからは「まめてつ」にべったり。しかし、その「まめてつ」が「はな」の跡を追うように逝ってしまったのです。
「まめてつ」は「はな」がいなくなってから、持ち上げるのも大変だった体が急激に痩せ細ってしまい、医者に見せたところ悪性の腫瘍があごに出来ていてもう手術をしてもと言われてしまいました。
チャトラの「まめてつ」はおまぬけでフレンドリー。ですから我が家の守りは「はな」がになっていて彼女がトップ、「まめてつ」は「はな」に頭が上がりません。ま、実の孫ですからね。
トタン屋根に乗って突き破って落ちてみたり、お愛想よく他所のお宅へご飯をもらいに行ったり、隣の車の上で堂々と寝ていたり、と迷惑や心配ばかりを掛けさせる猫でしたが、憎めないんでよね。彼は我が家のアイドルでした。
体調を崩した「まめてつ」はどんどん衰弱していき歩くのもままならず、失明し、鼻も利かなくなってしまいました。這うように歩いては玄関から落ちたりするのでケージに入ってもらいました。でも食欲だけはあって、ご飯の所に顔を持って行ってやるとうまく動かない口で一生懸命食べていたのです。
しかし、「はな」がいなくなって3ヶ月。その日「まめてつ」はご飯を食べませんでした。思い当たります。「リラ」の時と同じ。私は覚悟を決め、遅番で仕事に出かける次男にはお別れをさせました。
やがて夜。ご飯を食べない以外は前日とあまり変わらなかったので大丈夫かもと床に就いたのですが、翌朝「まめてつ」は苦しそうな表情をし前足をケージの柵に伸ばした姿で息絶えていました。
その姿は最後に私達を呼び、私達の所へ来ようとしたように見えました。
「まめてつ」が亡くなった時も私には時代の区切り感はありませんでした。そんな感覚よりも「なぜ昨夜一緒に寝てやらなかったんだろう」という後悔の念ばかりが。
あれから2年。「ごまめ」時代は新しく「ジョジョ」を迎えて平穏に続いています。
え〜と、なんか重い話になっちゃいましたね。
猫と暮らし始めて32年。こうして改めて書いてみるとその時代毎に猫たちに対する感覚が違うという事に気づました。それは子供(人)の成長に合わせてという感じです。
「こてつ」や「リラ」は一緒に子育てするパートナー。
子供たちが小学生になった頃からの「はな」や「まめてつ」達は子供。
息子たちが成人してからの「ごまめ」と「ジョジョ」は孫。
てな事です。
実際、まだ1歳の「ジョジョ」はじいさんばあさんにくっ付いて歩く孫みたいによく私達のあとを付いてまわっています。
う〜む。年とったかなー。
ま、可愛いからいいか。
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