2021.05 | |
5/31 昨日はいろいろとできた日。午前中は部活動の審判について。午後は実家の除草剤まきや近所へのお届け物。 部活では、技術を手に入れる(練習)、技術を使う(練習・練習試合)、技術を発表する(練習試合・試合)の三段階があるなと認識。それぞれが階段になっていて、1段階上がるには習熟が必要。再認識に近いけど、忘れていた。 5/30 全国学力状況調査の中三国語は、今までの古い価値観の国語とは違った国語でした。総合日本語とでもいうような、そんな感じ。「とちぎっ子」は聞き取りテストがあった。だったら、県立高校入試でも聞き取りテストがあればいいのに・・・。ただ、学習指導要領が変わったから、わざわざ聞き取りをやる意義は前よりも薄れたかも。 変化に応えたり、堪えられたりすることも大切なんだ・・・。経年劣化しないように意識しないとね。 5/28 昨日は全学年テストがあり、学年対応。自分は4時間テスト監督に入る。1時間が空き時間でその後4時間テスト監督。マークシートだと、勉強が苦手な生徒の進みが早いという現象が見られた。マークシートだとテストの意識が薄いんだろうな。まあ、とにかく鍵がかかって届けられたテストが無事終わってよかった。 5/27 昨日は空き時間が連続であったので、学校の敷地外の草取り。すると近所のお年寄りから話しかけられた。天候のことや、この時期の草の成長の速さなど。教員ってこういう時いいよねぇ。近所の方に話しかけてもらえる。ほっこりとした気分になった。さらに、街路樹が2本枯れているのにも気づいた。学校の目の前の通学路の街路樹。枯れた木が折れて登下校中の生徒に当たったら危ない。というわけで教頭先生に報告。こういう環境整備も教務主任ならでは・・・と思うのはオカシイかな? 5/26 腕と肩が筋肉痛。やはり普段やっていないことをやると、体に如実に表れる(笑)。部活動での言葉かけ、気をつけないといけないな。どうしてもできていないことを言ってしまう。叱咤激励は通じない。これを肝に銘じないとな。「やればできる」「こうした方がいいよ」「もうちょっと頑張れ」的にいかないと・・・。油断すると昔の思考、指導になってしまう。「シンプルにしつこく」「丁寧にしつこく」「笑顔でしつこく」。なんか、性分に合わないけれども演じていかないとダメだよな。変わらなきゃいけないのは選手より自分自身。 5/25 部活動の総体まで、練習が20数回しかないことが分かった。時間がない。ゴールに向けて動き出さなければならないなあ・・・。 5/24 学校での教育活動で、「本当に必要か?」と考える場面がいくつかあった。法律で決められている、保護者の願い、生徒の願い、教師の願い、教育的意義、教育的効果・・・。様々な要因が絡まって教育活動ってできてるんだな。 5/23 研修授業って見る人の力量も試されるっていうことを思い出した。それは、ネット上のこんな言葉からだった。 ------------------------------------------ 子供のころ見ていた時「仲が悪いんだ」と思い 少年の時「なんだヤラセか」と思い 青年で「演出でしょ」と思い 壮年になって「あれは芸だよね」と思う ------------------------------------------ 同じものを見ても、同じ人でもこれだけ違う。経験が見方(いや、見えているものの背景なども含む)を変える。だとしたら、違う人が見たら、もっと違うだろう。 5/22 昨日は評価・評定の校内研修。講師をお呼びしての研修で、とてもよかった。自分自身、スッキリとした部分があった。昨日一昨日と連続で有意義な時間。部活はなかったけれど、こういう時間も大切だな・・・と。 5/21 昨日は市内の教務主任会。各校の情報が得られ、大変有意義な時間になった。会議が終わった時刻が、退勤時刻を過ぎていたので直帰した。精神衛生上とてもよい時間が過ごせた。よかった。 5/20 昨日は空き時間が4時間もあったので、仕事がかなり進んだ。成績処理のエクセルまで直す時間があった。1時間の残業で帰宅。 ある方のブログを読んでいたら、心理学者のアドラーの言葉があった。「自分に価値があると思う時にだけ、勇気が持てる」いい言葉だな。学級経営や部活動の指導に役立ちそうだ。カーネギーとかアドラーとかを知っているかどうかで教員人生も大きく変わるよな・・・と思う。 5/19 昨日は空き時間が3時間だったので、補教を2時間入れた。明示されている黒板を見て、校長先生が1時間替わってくださった。深謝。おかげで空き時間が2時間になり、テスト作りが大きく進んだ。「補教に入るよ」ってさらっと言ってくださる校長先生素敵だな。長い教員人生で多くの管理職(20人弱)を見てきたが、初めてだ。現場第一主義を貫いていらっしゃる。そのような姿を尊敬して、自分も補教を多くしているのだが・・・到底及ばない。 5/18 昨日は夕方、晩春っぽい香りがした。花の匂いと湿気が混ざったような・・・。久しく思い出の奥深くにあった香り。そんな気がした。自分が子どもだった頃の香り。そんな気がした。こういう瞬間は心が豊かになったような、そんな気がしてとても得した気分になった。仕事の疲れが吹っ飛んだひととき。 5/17 昨日は実家に除草剤をまきに行った。終わり頃に雨が降ってきて・・・ぎりぎりセーフ。しかし、葉っぱから吸収タイプなので効果が薄れたかも・・・。一昨日の大会では課題が見つかった。あと2ヶ月。課題解決に向けて取り組んでいこう。 5/15 昨日は大会初日。1試合しかなく、午後は学校に戻って仕事。1時間年休をいただき床屋へ。そうそう、大会の時に「パーマ屋」とか「カラオケボックス」とか言うのは世代が上って話題があった。懐かしい響きの言葉。風情があっていいなとおもうのは、思い出があるからだろう。言葉の魅力、不思議さだ。 5/14 昨日は、他校だが若手の仕事のあり方に疑問を感じた。要は相手があることなのに連絡が遅いということ。きっと自分のペースで進めて相手のことまで気が回らないのだろう。いや、回せないほど多忙なのだと思う。しかし、保護者相手だと多忙は理由にならなくなる。大丈夫なのだろうか・・・と心配した。直接会ったときに話しておこうと思う。 5/12 昨日は空き時間が2時間。出勤時刻の30分前に仕事を始めたおかげもあって、空き時間の2時間目は余裕ができた。部活動関係の諸々の仕事も進んだ。たまにはこういう日もある。ありがたく早めに退勤した。とは言っても19時前だったので、残業は2時間超えてたけど。朝のも入れると約3時間。これで「早め」なのだから頑張りすぎ(笑)。 5/11 自分の感覚がズレているのかな・・・と思われる出来事が2つ。1つは、新体力テストでのこと。体育主任兼生徒指導主事の先生が朝の打ち合わせで「特に事情がない限りは夏型の体操着で集合です」と言ったのに、各クラス数名とはいかないほどだが、少数の生徒が冬の体操着を着てきた。これは生徒が先生の言うことを聞いていないという・・・危ない兆候という感覚。もう1つは、部活の大会で使うものをあるお店に頼んだ。大会間近なので水曜日までに納入できるか聞いたら、「水曜日は定休日なので木曜日ではだめですか」と聞かれた。「別な方法で買います」と言って電話を切った。学区にある大きくはない店なのだが、これで大丈夫なのかと心配したという感覚。1つ目は、もしかしたら今の先生や生徒にとっては当たり前で、クラスが荒れるような兆候ではないかもしれない。2つ目は、店が大きくないと自分が思っているだけで本当は個人を相手にしなくても大儲けしているのかもしれない。そんな風にも考えてみた。歳を重ね、段々感覚がズレてきているのか・・・。 5/10 だんだん気温が上がってきた。感染症に熱中症。いろんなことに気をつけていかないといけない。 5/7 掃除の時間をカットするのと授業時間を5分するのどちらを選ぶかは、いろんな意味で面白い。自分はこのあたりの感覚が変化したというか、鈍くなった感じ。担任をしていた頃は、掃除の時間がカットされると、教室に汚れが気になった。床のほこりや黒板の汚れ。掃除がなくなった午後から次の日の掃除の時間まで汚れっぱなし。こんなので学力が上がるのかと考えていた。考えてみてほしい。極端な例だが、1年間まるまる掃除をしない教室で50分間の授業をするのと、掃除はあるけど45分間の授業をするのとでは、1年後どちらが学力が上がっているか。そもそも掃除しないと心身がいろんな病になりそうで怖い。 義務教育の目標を鑑みても掃除の方が大切だと思うんだが。 だが最近自分は安易に清掃カットを考えるようになった。感覚が鈍ってきた。 5/6 昨日は選手の登録料を部活帰りにコンビニで行う。夜にはそれがネット上に反映されていた。登録証を無事印刷できた。あとはこれをパウチして選手に渡せばOK。(登録証はpdf形式でダウンロードしてA4の専用紙に印刷する。振込手数料とか、印刷用の紙とかお金がかかってるんだけれどもなあ・・・。)まあ、とにかくこれでとりあえず春の新入部員関係の大仕事が一段落。めでたしめでたし。 5/5 昨日はファミコンソフトのスーパーマリオブラザーズについてちょっと調べてみた。1-1面だが、初めて操作しても分かるような、そして分かっていくような仕組みがあった。主人公が画面の左に登場し、右側があいている。当然右側に進む。点滅しているブロックがある。下からたたいてみるとキノコが出て落ちてくる。キノコが近づいてくるも逃げる場所がなく(そもそも逃げられないような場所にブロックが置いてある)、強制的にキノコが当たる。・・・もういいだろう。 何が言いたいかというと初めて接する人にも分かるような、そして分かっていくような設計になっていることが重要だということだ。これは何もゲームのことだけではなく、授業とか、エクセルの画面とかにも重要だろうということだ。 授業で言えば、ヒドゥンカリキュラム無しで授業を行うということだろう。特別な支援が必要な生徒には特に重要だろう。 生活の全てが全てとはいかなくとも、どこかで必ず役に立つだろう。そんなことを思って調べてみた。 5/3 昨日は部活の練習があった。メニューも洗練されていなく、時間も足りなかった。研究不足。ネットが使える日と使えない日を分けて、しっかりとメニューを組んでいきたい。 5/2 部活動では、まずは練習メニューを確保したい。知らないと練習の幅が広がらない。次に指導言だ。どういう言葉かけをすると生徒が分かったり動けたりするのか。練習のコツと言っていいだろう。この辺は、ノートの左頁に練習メニュー、右頁に指導言ってやると分かり易いノートが作れるな。これを昨日気づいた。 あとは戦術練習か。難しい。素人がどうこうできるレベルではないが、考えてやってみないことには始まらない。さあ、動くぞ。 5/1 粘り強く同じ事を繰り返すって難しいなあ。しかも条件がちょっと違ったりすると、また変化があるし。変化に応じつつも同じように繰り返すってことか・・・。難しいから面白い。こう考えて取り組んでいくしかないな。粘り強く。そしてシンプルにしつこく。 |