WHITE ALBUM SS さよなら。”緒方理奈” |
『春を愛する人は心清き人』とは、よく言ったもの。 「う〜ん……」 思い切り手を広げ、精一杯空気を吸ってみる。 体の中を心地よく走るそれは、心の中までも澄みわたっていくような気持ちにさえなる。 作詞したのが誰か忘れちゃったけど、きっと、その人もこんなことしてたんじゃないかな? だって、こんなに心地いいんだもの。 穏やかな天気。 穏やかな空気。 そして穏やかな時。 やわらかく照りつける太陽は、春の訪れを伝えるように優しく見つめ続けているみたい。 ……これが……。 「理奈?」 「えっ!?」 その一言で我に返る。 今日は日曜で、冬弥もお休み。 で、ちょっとやってもらいたいことがあって、外に連れ出してきた。 「いきなり背伸びなんかして…どうした?」 「ん、ちょっと、ね。考え事」 「何を考えてたんだ?」 「冬弥のこと」 「……嘘だ」 「やっぱり解る? ふふふっ」 「まったく……それで答えは?」 「あら? 女の考え事を聞くなんて、少し野暮じゃない?」 「……あ、っそ」 「あははっ、それも冗談よ」 「……おまえって、時々、嘘かホントか解らない冗談を言うから」 「そうかしら? ……でも、確かに身に覚えがあるといえばあるわね」 「だろ?」 「でもね……本当に、冬弥にしてみては、くだらないことだわ、きっと」 「ふぅん?」 「春、ってこういうものなんだな、って」 「はる? って季節の春?」 「そう。くだらないでしょ?」 「くだらないっていうか……俺、そういうことを考えたこと、あまりないから」 申し訳なさそうに、頭をぽりぽりと掻く仕草をして、 「まぁ、暖かくなってくれれば嬉しいけど」 そう継ぎ足した。 「ふふ、私ね。こういった、春を感じられるときに、外にいたことって、あまりないから」 「……へぇ」 納得しているような、いないような、そんな曖昧な返事。 まぁ、その辺を話したところで、こっちとしてもあまり面白い話でもないけどね。 ある程度歩くと、散歩するのに最適な広い公園がある。 私も冬弥も、何も約束したわけでもないのに、さも当然のように入口をくぐっていった。 アスファルトに固められた道の両側に整然と立ち並ぶ桜の木々は、鮮やかな花びらを咲き終え、緑葉が生い茂り始めていた。そこからしばらく歩いた先に設置してある噴水は、水の持つ視覚による美しさの一つを見せつけるように吹き上げ続けている。 噴水の周りのアスファルトの小径を囲うように芝生が綺麗にしいてあり、四方から噴水を見て座れるように角度を調節した四脚のベンチがある。私はその中の一つに腰を下ろした。 「座らないの?」 ベンチの後ろに立つ冬弥に、そう聞く。 「理奈と噴水を一度に見られるところがいいんだ。綺麗どころが二つ目に入るから」 思わずキョトンとしてしまうような台詞に 「バカじゃない?」 と思わず答えてしまった。 「いい台詞を言ったつもりだったんだけど」 「妙に言い慣れない言葉は却ってひくわよ?」 「やっぱりそう?」 「ええ」 「でもホントの事だからな」 「……」 「あ、少し意識した?」 「……やっばりバカだわ……」 半ば呆れて、でもちょっと意識してしまった自分をどこかで認めながら、あらためて噴水の方に振り返る。 ――もう、半年になる。 それまでは、騒ぎを押さえるように実家でずっと過ごしていた日々の殻を破って冬弥に会いに行った。 芸能レポーターとかが実家を張っていたのも知りつつ、それでも堂々と会いに行った。 じっとしているのがもう限界だったし、何より、冬弥に会えないことが耐えられなかった。 引退から半年経っても、次の日のワイドショーや新聞に”緒方理奈”がいた。トップ項目だったのには少し驚いたけど。 ”緒方理奈”突然の引退、その理由がついに明らかに! って、随分騒いでいたように思える。冬弥もさすがに顔は出なかったけど、姿形は完全にうつされていて、知り合いが見ればまず冬弥とわかるほどだった。 その日から周りはやっぱり大騒ぎ。 私はともかく、冬弥に大きな迷惑がかかってしまったのは、今でも心苦しい。 でも、それでふっきれたことには違いなかった。 冬弥と同棲しはじめた。 変装することなく近所に買い物に行くようになった。 こうやってときどき散歩した。 最初は奇異の目で見られていたけど、やっと最近、そういうこともなくなってきた。 ”緒方理奈”がみんなの中から時に流されるまま消えていってることがわかる。 そして、今日……。 ちらり、と冬弥の方に向く。 「?? どうした?」 「ん? ……何でもないわ」 「……ところで」 「ん?」 「『やってもらいたいこと』って何?」 「……そうね。そろそろやってもらおうかしら。ちょっと待ってね……えっと……」 私は持ってきたバッグを開け、『やってもらいたいこと』に必要な道具をとりだした。 「はい」 「なんだこれ?」 「そんなのも知らないの?」 「いくらなんでもハサミくらい解るぞ」 「ご名答」 パチパチと笑いながら拍手をする。 「聞きたいことはそうじゃなくて……」 「解ってる」 そこまで言うと、私はまた噴水のある正面に向く。 そして二つに結ってあるリボンを、ゆっくりと紐解く。 頬をさするような風が、髪を少しだけ揺らめかせた。 その風によって、わずかに顔にかかった髪を元通りに直したあともう一度振り返り、あらためて冬弥の顔を見つめる。 「冬弥」 「?」 「髪を切って」 「……え?」 また、ゆったりと風が舞う。わずかに芝生が揺らめく。わずかに落ちた青葉が、ゆっくりと動いた。 髪が、またふわりと舞い上がる。 今から私がしようとしていることを知らずに。 「大丈夫、持ち帰る袋も持ってきているから。公園を汚しちゃいけないしね」 「……そういう問題?」 「あら? 冬弥は髪の長い娘が好み?」 「それで判断することはないけど……ちょっとだけしか」 「正直な人は好きよ」 「……ちぇっ」 ちらりと見せた子供のような表情に、おもわずくすくすと笑ってしまった。 「……冬弥、この髪……どうして伸ばしたか、知ってる?」 「ん? ……いや、知らない」 「アイドルとして特徴づけるために、長い髪と目立つ赤いリボンをつけるように言われてたの。……あの男に」 あの男、とは、一応戸籍だけは兄となっている緒方英二だ。 「……そう、なのか」 「なるべく目立つように綺麗にしようとして、それだけ大事にしてきた髪なんだけど……。やっぱり鬱陶しくなって」 「どうして?」 「この髪がある限り、私は”緒方理奈”なの」 「……」 「それをきちんと断ち切るためにも、ね。お願い」 「そう、か……」 「冬弥好みの女から一歩引いちゃうけどね」 「そこまで言って茶化す?」 「ふふっ、茶化してるつもりはないわ。少し考え直しそうだったし。……でもね、やっぱり”緒方理奈”とは……これで、さよなら、したい」 「……わかったよ」 「ありがと」 そして、もう一度正面の噴水を向く。 「長さは、はるかより少し長めにしてくれればいいわ。あとは適当に直すから」 「あぁ……わかった」 目を、閉じる。 ……やっぱり、冬弥にやってもらうことにして良かった。 私自身だと、どうしても躊躇してしまう。 10年以上続けてきた”緒方理奈”。その象徴であるこの髪。 それにピリオドを打つということを、自分では出来なかった。 ”それまで”を捨て去ることは簡単じゃなかったんだ。 でも……ずっと残しつづけてはいけない。私の意志でこの道を進むと決めたことだから。 「いいか?」 「うん」 私がそう返事をすると、冬弥は髪の毛をまとめ、少しだけ、真下に引っ張った。 ひどく冷たいハサミの感触が首筋に触れる。 冬弥はふぅ、と息を吐き。 吸い。 止めた。 ハサミが首筋から、ゆっくりと、離れていく。 ……ジャキ…… 「……っ」 ダメだった。平気だと思っていたのに。 ぽろぽろと、情けない雫が零れる。 ……ジャキ…… ごめんね、冬弥。こんなことお願いして。 ……ジャキ…… さよなら……アイドルだった私。 ……ジャキ……ン さよなら。”緒方理奈”。 |