グエンディーナのとある屋敷のとある一室。時刻は深夜になろうとしているとき、いまだ灯りが煌々と照らされる中、二人が勉強に励んでいた。
「『お……は……よ……う……』」
「はい、発音はだいたい正しくなってきました。あとは、それを繋げるのです。『おはよう』。ではスフィーさん、言ってみて下さい」
「う〜っ……『おふぁやうぉ』」
「惜しいですね。だんだん聞こえるようにはなってきましたけど。では、この意味は?」
「朝の挨拶、だよね?」
「その通りです」
「ふぅ〜っ……日本語って難しいね」
「そうですね。日本語は大もとの仮名だけでも46、そして『が』『ぎ』などの濁音と呼ばれるものが20、そして『ぱ』など半濁音と呼ばれるものが5、さらに『きゃ』『しゃ』などの発音がありますし、同じ言葉でも違う意味になることも多いのです。例えば、物を買うのに必要な『かね』と、お寺で『撞木』と呼ばれる棒でついて鳴らす『かね』等ですね」
「ふぅ〜ん」
「意味はわかりましたか?」
「全然」
「……」
「……あはは、そんなにあからさまに呆れた顔しなくてもいいじゃない?」
「言葉でこれでは……これを文字にすると、ひらがな、カタカナ、そして漢字と、三種類の文字が混在しているのですから大変ですよ?」
「うん、まぁ……」
「日本語の本を読んだことはありませんか?」
「リアンは良く読んでいたけど……あははっ」
「そうですか。リアンさんは日本語を読めますか?」
「ひらがなばかりの『絵本』くらいなら、なんとか読める、って言ってた。それにある程度ひらがなを書くことも出来るみたい」
「そうですか。それだけでも半年で出来るようになるとは素晴らしいですね」
「ふふっ、でもあたしは天才だから、そんなのちょちょいのちょい、だよ!」
 自信満々そうに胸を張る。が、それを呆れ顔で見返すと、ふぅ、とため息を一つつく。
「……確かに、一週間でめざましい進歩を遂げていることは認めますけど、『おはよう』くらいは覚えていて欲しいものです。あちらで覚えた言葉が同居していた『けんたろ』さんというお名前だけでは……」
「うっ……他にもあるよ!」
「『ホットケーキ』『マロンケーキ』『コロッケ』『天丼』『カレーライス』『サンドイッチ』『ピザ』『ご飯』『味噌汁』『てんぷら』等ですか?」
「ううっ……ま……まだあるっ!」
「『お子様は魔女』『まじかるさんだー』等々ですか?」
「うううっ……」
「もっと食べ物とかアニメ以外のものでは何かありますか?」
「ううううっ……」
「……どうですか?」
「私を……苛めないで」
「……」
「……あはは、それは別のキャラだよね、ってツッコミも無し?」
「まったくもって意味がわかりません」
「もぉ、その辺は全然融通利かないからなぁ、ミュージィさんは」


まじかる☆アンティーク SS

おうちへ、かえろ?


 ミュージィは、下流貴族出身であったが、若くしてその才能を買われ、グエンディーナを治めるクリエール家の信頼も厚く、クリエール家の二人の子供達にに魔法を享受したり、今では40にもならない若さで大臣を任される、この国最高の魔法使いの一人になっていた。
 そこに、そのときの子供、クリエール家嫡流のスフィーがやってきたのは、つい一週間前のこと。
『おじいちゃんから聞いたんだけど、日本語が話せるんだよね?』
 異次元で覚えた日本語に興味を持ち、もっと深く学びたい。
 そんな理由から、日本語を教えることになったのである。
「夜も更けて参りましたね。では、今日はこのくらいに致しましょう」
「うん! 今日もありがとね♪」
「いえ。しかし、どうされたのですか? 今更日本語を習いたい、とは」
「……えへへ」
「言いたくないようですね」
「うん、ごめんね?」
「いえ、結構ですよ。どういったことでも学ぶ、ということは素晴らしいことです」
「ありがと♪ じゃぁ、あたし、帰るよ。また明日、教えてね?」
「はい。では、明日もお待ちしております」
「うん♪ じゃ、ばいば〜い! ……我を守護する精霊の御名において命ず。我が望む彼の地まで導きたまえ!」
 そういうと同時にスフィーはミュージィの視界からすっと消え去る。
 空間転移の魔法だ。

 ……この次元の世界にも百数種類の言語が存在するように、スフィーが住んでいる次元の世界にも当然ながら様々な言語がある。
 そしてこちらの世界では、例えば英語と日本語で話そうとしても、どちらか一方がどちらも理解していなければ話すことすらままならないことは半ば当然である。が、スフィー達は相手方の言語を理解しなくても、問題なく会話することが出来る。
 そう、魔法によって。
 魔法により通訳のフィルターのようなものをいつでも張っており、そこで相手の理解できる言語に翻訳され、相互のやりとりが可能になってくるのである。
 文字などもそのフィルターを通し、翻訳されるので、どんな言語で書かれていても意味が理解できるのである。
 しかし、この魔法にはいくつか欠点も存在する。
 まず一つ目は、人と人との会話の場合、相互で最低一つの言語を扱えることが必要であること。
 スフィーの話す言葉を仮にグエンディーナ語として説明すると、例えば、スフィーと健太郎ならフィルターによって会話は容易である。しかし、健太郎が仮に言語を殆ど理解していない赤ん坊を抱きかかえ、スフィーが赤ん坊に向かって話しかけたとき、端から聞いている健太郎は日本語で話しかけているようにしか感じないが、赤ん坊にはいかにフィルターを通してもグエンディーナ語にしか聞こえない。
 そして二つ目として、文字を読むことは可能だが、書くことは不可能であること。
 これは、スフィー達と海に行く際、自分の名前を水着に書いたとき「ふ」が左右対称だったりしたことからも解ると思うが、健太郎に教えて貰った文字をわざわざフィルターを解除して、その様子を模写することしか出来ないのだ。
 余談だが健太郎とともに海に行ったときは、健太郎が「ふ」をわざわざ左右対称に書いて、それをスフィーが信じて書き写したためにあのような文字になったのはいうまでもない。また、なぜリアンがある程度のひらがなが書けるようになったのかというと、HONEY BEEのバイトでどうしても必要だったからだ。
 最後に三つ目として、他の呪文を詠唱する際はこの魔法が停止してしまうことがある。
 それ故、呪文を詠唱する際、健太郎達にはスフィーの言葉がそのまま聞こえてくる。
 つまり呪文詠唱時の言葉こそ、ここでいうグエンディーナ語である。

 ……スフィーはグエンディーナにいるため、本来なら他の言葉など学ぶ必要も無い。そして興味があったはずの日本語にしてはまるで言葉になっていない。
 それでも学ぼうとするのは、ミュージィでなくても『けんたろ』のもとに帰る一つの準備であることは明白だった。
「ふぅ」
 ゆっくり一つため息をつく。
「私は、どうすれば……」
 無邪気に愛するひとのところへ戻ることを信じて止まないスフィー。彼女はおそらく、戻る方法とか、なんとかなるという程度しか思っていないだろう。それは、確かにスフィーらしい、といえばその通りだ。
 ミュージィ自身、そんな願いを叶えてあげたい気持ちもある。だから日本語も教えている。
 でも、戻ることは、不可能。
 そのことを一番よく知るのも彼女である。
「『つとむ』……『なつみ』……」
 一言二言、日本語をぼそぼそっ、と呟くと、何をするでもなくすっと立ち上がり、魔法使い特有の大きめなロッドを杖のようにつきながら寝室へと向かった。

「くかーーーっ……すぴーーーっ……う〜ん……もっと……『結花』ぁ……せめてあと1枚……ありがと〜〜……おいひぃ、おいひいよ〜〜…………くごーーーっ」
 そんな人の気も知らないで、グエンディーナのお姫様は、おなかを出しながらすでにぐっすりと眠りこけていた。



「『こんばんわぁ! ミュージィさ〜ん! 今日も来たよ〜♪』」
「『今晩わ。ふふ、まだ半年だというのに、ここまで日本語を使いこなすとは……素晴らしいですね』」
「『ふふっ……当然! だってあたしは天才だもん。あたしが本気を出せばこれくらいどぉってことないわよ!』」
「『……自信過剰、ともいえないですしね……』」
「『ふふふふっ……あたしの天才ぶり……身震いするほどだわ……』」
 あまりの自信を顕わすように胸を張って思いっきり仰け反る。
 だが、いつものことなので軽く流すと、なんとなく気になっていたことを聞いてみる。
「ところで」
「ん? どしたの?」
「最近ずっと目が赤いですね。まぶたも少し腫れてます」
「うっ……あはは、鋭いね、ミュージィさん」
「どうされたのですか?」
「えへへっ、今、お父さんと喧嘩してるんだ」
「そうなんですか?」
「うん……」
 そう言いながら、身体を左側に傾け、視線を下の方に落とした。わずかに空間が張りつめる。だがすぐにその静かな空間一掃するべく、顔を右に向け、ミュージィを見つめるとゆっくり口を開く。
「ミュージィさん」
「はい」
「異次元の男の子のこと……好きになっちゃいけないと思う?」
「……」
 来た。
 ミュージィにとって一番ぶつけられたくない質問が。
 ここまで日本語を流暢に使いこなせるようになった以上、スフィーは異次元にある国……『けんたろ』がいる国、日本……に行くことを心待ちにしている。
 スフィー自身が次元転移の魔法を使えるのなら、もうこんなところにはいないだろうが、未だにここにいるということは、本人の力が及ばないので別の方法を模索している。
 そして、次元転移を含む最上級であるシロナガスクジラレベルの魔法を使用することが可能で、なおかつ他人に対し次元転移の魔法を使えそうな人に頼む方法が手っ取り早い。
 そんなことが出来そうなのは、グエンディーナ国内では、父と祖父母、そしてミュージィくらいだ。
 話を切りだした以上、ここに来た理由は極めて単純だった。
「知ってると思うけど、私、異次元に恋人と呼べるひとが出来たんだ」
「『けんたろ』さんですね?」
「うん。でね、本当はここに帰って来たくなかった。だから、おじいちゃんの魔法をキャンセルしようとしたんだ。結局、全然叶わなかったけど」
「……」
「そのとき、記憶消去の魔法も使えなかった……『けんたろ』や、あの街に住むみんなから、からあたしの記憶が無くなることが耐えられなかったんだ。それがルール違反でも」
「……」
「今でも、けんたろに会いたくて……最近は眠れない夜が続いて……昼寝しちゃうの」
「……」
「ここ、笑うところだよ?」
「え? どのあたりがですか?」
「……こほん。で、あたしは……」 
「私の魔法によって、『けんたろ』さんのところへ行かせて欲しい、ということですか?」
「うん、お願い」

 にこっ
 
 あまりに純粋な微笑みをミュージィに向ける。
 そんな様子にばつが悪そうな顔をしてしまうミュージィ。
「申し訳ありませんが……私は他人に対して、次元転移の魔法は使えません」
「どうして?」
「もともと私は、次元転移の呪文を覚えていないのです」
「えぇっ!?」
「……」

 つかえるとどうなるかわからないから

「うーん、そうなんだぁ……でも、問題ないよ。あたしが呪文を唱えるから。呪文は覚えたんだけど、魔力が全然足りないんだ。半年じゃゾウレベルまでしか出来なかったんだもん」
 半年前まではマウンテンゴリラレベル。それだって、21歳という若さで使えるというのは生半可ではない。だが、ゾウレベルはグエンディーナで大臣でも使えるものはまれだ。それを22歳で使えるようになったというのは、才能があるとか、成長が著しいとかいう言葉一つでは済まされないほどのものだった。
 ただ”想い人に会いたい”それで人はここまで成長できるものか。
 目の前に生き証人がいたとしても、なかなか信じられるものでは無かった。
 でも、それでも。
「……スフィーさん」
「??」
「たとえ私が呪文を使えても、貴女のことを『けんたろ』さんのところへお送りすることは出来ないでしょう」
「!?」
「……『けんたろ』さんの事は、忘れたほうが良いと思います」
 もう、ミュージィはスフィーの顔を見ていなかった。
 彼女の視線に耐えることができなかったのだ。
「……どうして?」
「……」
「どうして?」
「……」
「どうして? …どうして? ……どうして?」
 少しずつ、声が大きく、そして、必死になっていく。しまいにはミュージィの衣服をぎっと、今にも破れそうなほどに握りしめた。だがミュージィは、それをあまり気に止めていないかのように、ゆっくりと口を開く。
「……貴女はグエンディーナ第一王位継承者ではないですか」
「うん」
「そして貴女は、グエンディーナを愛しているのでしょう?」
「うん、もちろんだよ!」
「クリエール家に生まれた以上、貴女の身は、もはや貴女一人のものではありません。王になるものは、国のこと、そして、国民のために己を犠牲にすることも、またやむをえません。貴女個人の恋心すらも、です」
「……そ、れは……」
 何かを言いよどむスフィーに対し、ミュージィはぎっ、と目を閉じ、口調が強くなっていく。握られていた衣服も無理矢理引き剥がすように腕を振り払った。
「そんなに……! 一生懸命に、純粋に! 疑うことなく! ただ『けんたろ』さんだけ! 愛したいひとだけを愛すればいい! そ、そんなものは……将来、国を背負って立つ貴女には……王女である貴女には、じゃ……邪魔なだけです!」
「……」
「貴女は! グエンディーナを愛し! 国民を愛し! 常に愛される存在でなければなりません! 異次元の男を愛することなど……それはのちに王となる貴女にはけして許される行為ではありません!!」
「……ミュージィさん……」
「はぁっ……はぁっ……うっ……私……うぁぁ……」

 にこっ

 今まで堰き止めていたものを、崩していくミュージィに。
 スフィーは、先程と同じ純粋な微笑みを向けた。
「ごめんね」
 そして、そのままに言葉を繋げる。
「あたしは……諦められないよ」
「……」
「それに。ミュージィさんみたいに強くなれない」
「!?」
「また、来るね」
「……待ってください」
「なに?」
「どこまで、ご存じなのですか?」
「ん?? 何を?」
「私の事を、です」
「……」
「私が日本語を話せることをご存じなのは、本当に前国王様から?」
「あはは……ごめんなさい。あれは、嘘」
「やはり、そうですか……」
「えっと……どこから話せばいいんだろ? ……『けんたろ』は骨董品屋さんを営んでいることは話したよね?」
「……はい」
「そのとき『ビラ配り』……うーーんと……」
「『ビラ配り』で結構です。それで?」
「うん。そのとき、女の子にあったんだ」
「??」
「不思議な、女の子。あの世界で、あたし達以外の人から初めて”魔法”を感じた娘」
「!!」
「その娘が、何度かお店に来たんだ。でも、『けんたろ』が話しかけてから、全然来なくなって」
「……」
「それで……、ちょっと遠くへお買い物に行った帰り、公園でその女の子がぽつんと一人たたずんでいたんだけど、どうも様子がおかしくて……」
「……」
「話しかけようと思ったら、そこで倒れちゃったんだ」
「!!」
「でも、昼間だったし人も何人かいたしで、魔法があまり使えないから、そこから一番近い知り合いで同じ骨董品屋のおじいちゃんのところに運んでいったんだけど……入った途端、みるみる元気になって」
「……」
「その娘、周りの骨董品から出る魔力をすごい勢いで吸収してたんだ。……そのとき、解った。魔法使いの血が流れてる、って」
「……」
「その後、リアンが見つけてきた絵本に、『グエンディーナの魔女』っていうのがあって……グエンディーナから来た魔女が、街のみんなに幸せをもたらしていく、って話だったんだけど」
「……」
「その魔女の名前が、ミュージィ」
「……」
「主人公の名前が『トム』。そしてその本の作者は、『まきべ、つとむ』……『まきべつ、トム』って言った方がいいかも」
「……」
「そして、倒れた女の子が、『牧部なつみ』」
「……」
「あの世界に行ったことがある人で、ミュージィ、なんて名前は一人しか知らなかったしすぐ解った。この娘は……」
「そうです」
 そして、一呼吸おいて。
「『なつみ』は私の娘です。そして『つとむ』は夫……」
 とぽつりぽつりと漏らすと、ぺたり、と膝をついた。
 ……その後、スフィーが知る限りのことをミュージィに伝えた。
『つとむ』の訃報を聞いたときは、さすがのミュージィでも泣き崩れてしまった。



「……では、『なつみ』は?」
「うーーん……いつも魔力が足りてないみたい。倒れたときだってすごく疲れている様子だったし。でも、一緒に住んでいる叔父さんは骨董品が好きみたいで、飾ってある部屋に行くと落ち着く、って言ってた」
「……」
「でも『なつみ』は魔力を制御出来ていない。それに、どこかで魔力をずっと使い続けていると思う。使わなければ足りなくなるってことはないはずだし」
「そうですね……」
「……」
「……」
 なんとなく間がぽっかりと空いてしまった。
 が、すぐに何か思いついたように、スフィーの頭の先がひょこっ、と動く。
「ミュージィさん」
「?」
「あたしを向こうの世界に行かせてくれたら、あたしが『なつみ』に魔法を教えてあげる」
「!」
「こんな言い方、ずるいのは解ってる。でもあたしだって、どうしても『けんたろ』のところに行きたいんだ……だから」
「交換条件、ですか」
「まぁ……一番嫌な言い方をするとそうなるかな?」
「……もう、グエンディーナには戻ってこれないかも、ですよ?」
「あたしが決めたことだもん。それでも、いいよ」
「相変わらず無鉄砲な御意見ですね」
「む〜〜、ほっといて」
 22歳とは思えないほど、可愛らしく拗ねた顔を見せるスフィーに、にこり、と微笑むと。
「わかりました」
 と答えた。
「三日後、闇の8刻に来て下さい」
 闇の8刻というのは、この世界でいう深夜2時だ。
「……うん、ありがと! わかったよ!!」
 スフィーの笑顔に答えるようににこり、と一度微笑んだあと、すっと笑みを消す。
「ただし! グエンディーナ国を揺るがすことが無いように……、わかりますね? 貴女が得意とする記憶系……記憶消去の魔法で」
「?」
「グエンディーナにいる全ての方々から貴女の記憶を消すこと。これも条件です」
「!」
「では、三日後に……」
 それだけ言うと、くるりときびすを返し、スフィーを置いてすたすたと部屋を出ていった。



『あ……あはは……すげぇ! 本物の魔法使いだ!!』
『俺に任せとけって。そーだなー。俺の親戚……には無理があるな。しゃーない、ホームステイってことにしておくか』
『どうしてかなぁ。ミュージィはずっと昔から知っていたような気がするんだ』
『ジェットコースターが苦手なのか!? よーし、じゃ、乗る! ……ってうわわわっ! 魔法使うなっ!!』
『うわーっ! ゴキブリ嫌いだからって炎出すなっ!!』
『うおっ!? 美味い……いつの間にこんなに作れるようになったんだ!?』
『ミュージィ……これだけは言わせてくれ……俺は、お前のこと好きだっ!』
『もうすぐ帰っちゃうだって!? なぁ……もっとここにいることは出来ないのか?』
『ミュージィ! 頑張ってくれっ!!』
『おっさん……何者なんだ? 何? グエンディーナの……!? と、とにかく、礼を言うぜ!!』
『ミュージィ……俺と……ずっと一緒にいてくれっ!』
『……ほんとか!? いよっしゃぁぁっ!!』
『ほら、こんな服なんてどうかな? え? 何? いや、何となく解るんだよ、女の子ってね』
『ほら、ミュージィ! お前と俺の娘だ!』
『うーーん、名前なぁ……何? もう決めてる?? なつみ?? 「仲むつまじいつとむとミュージィ」から名付けた? 何だそれ?』
『なつみ。お前もお母さんみたいにしっかりした娘になるんだぞ』
『立った、なつみが立ったぞ! ほら、ミュージィ見てみろ!!』
『どうしてだ!? なんで帰るなんて……。 !? 向こうのご両親が……!?』
『頼む!! 帰るなんて言わないでくれ!!』
『ミュージィ? ! 眩し……っ!!』
『ミュージィ……どこだ?! 何処に行った!? ミュージィぃぃっ!!』

 ……前国王様の御報告と呪文によって、かろうじて最後を看取れた。
 ……でも、もう戻ることは許されなかった。
 ……私が、当主になったから。
 ……でも……。
 ……つとむ……。
 ……ごめんなさい……。
 ……せめてなつみは……。
 ……私がどうなっても――



 考えていなかった。
『記憶を消すこと。これが条件です』
 スフィーの存在を、国民であれば知らないものはいない。
 それが、異次元に住む男を追いかけていったとなれば、クリエール家どころかグエンディーナを揺るがす事態になりかねない。
 確かに記憶を消す必要はある。
 だが、グエンディーナは広大で、記憶消去の魔法の効果が顕れる範囲を大きめにとったところで、それだけの数をこなすのは時間にも魔力にも無理がある。
 だが、方法がないのか、といえばそうでもない。
 グエンディーナ城にある魔法塔で呪文を唱える方法がそれだ。普段は滅多に開くことがなく、緊急に国王の意志などを伝えるためのものである。これは魔力に置いて全て行われるため、幾分制御がありながら魔法も伝わってしまう。そしてスフィーの魔法レベルならば、制御を通したところで記憶消去により一人の人物の記憶を消すことは可能であろうと思われた。
 そして、王族のものならば、魔法塔には誰にも覚られることなく入ることが可能だった。
 首筋をそっとなでる。
 このチョーカーに覆われている、一族にしか許されていない魔法により彫られたタトゥー。これと、身体に流れる王族の”生きた”血を用い、開門の呪文を唱えればよい。
 入るときも出るときも同様の手順を踏む必要があることもあり、あまり使いたくないが、他に手段を考える時間もないので、これでいくことにした。
 これで国の人々はどうにかなるとしても、問題は家族だ。
 なにせ、スフィーの現在の魔法の師匠である祖母、あまり魔法を多用しない母ですら魔力はスフィーより完全に上。
 まともに記憶消去など使おうものなら、簡単に跳ね返されてしまう。
しかし、記憶系ならではで、一対一の場合、どんなに魔法防護をしていても確実に効果を持たせることが出来る方法が一つある。
 口移し。
 魔力を直接身体に入れられると、魔法防護もまったく意味を為さない。
 相手が無警戒でないと出来ないなど、デメリットの方が大きいが、相手の魔力が上の場合一番手っ取り早い方法だ。そしてスフィーなら、難なく寝室に潜り込んでいくことも可能である。
 でも。
(あたしが、家族に忘れられる……?)
 祖父に、祖母に、父に、母に、そしてリアンに。
「……」
 でも、もはや選択の余地はない。
 もう、賽は投げてしまった。
 それに。
(ここで諦めたら、たぶん、『けんたろ』には会えなくなる……もう時間が……ないよ……)
 そう思いながら、まるで寒さに耐えるように、ぎゅっと自分自身の身体を抱きしめた。



 3日後、闇の6刻。こちらでいう午前0時。
 満天の星空の中、以前『けんたろ』と一緒に語り合ったフリスケルが今日はやたらと輝きを増しているように思えた。
 そんな星空を一通り眺め、視線を左手首のマジックリング、薬指にはめたアクアマリン……今ある『けんたろ』とのわずかな絆……に移したあと、ふぅ、とため息を付き、ゆっくりと目を閉じ、きっと見開く。
「……じゃぁ、やろっかな」
 そう淡々とつぶやくと、ぐっと背伸びをして、ゆっくりと一歩を踏み出し、思ったよりも全然小さい、どこにでもあるただの扉としか思えない、魔法塔の扉の前に立つ。
 だが、たかが扉のくせに魔力だけはとてつもなく強く感じるし、ノブや鍵穴などもない。
 正式な手順を踏まずに扉にふれると、扉の魔力により作られる魔牢で身動きがとれなくなってしまう、と聞いたことがあった。
「えっと……、まずはこれをはずして……、えっと、それでもって……っ痛……」
 首に付けているチョーカーを外し、懐からナイフを取り出すと左手の人差し指先を深めに切りつける。そして施錠システムになっているプレートに左手を乗せた。
「扉を守護する精霊よ! 我の名はスフィー=リム=アトワリア=クリエール! 我を守護する精霊の紋章とその証である血をもって命ず! かねての盟約に基づき扉を開け!」

 きぃっ……

「……ぜーんぜん、あっけないよね。『お子魔女』でこーいったシーンだったら、大きな扉が大きな音をたてながら開いて、すっごい迫力なのに……実際魔法が当たり前の国じゃこんなもんなんだよね……がっかり」
 大きな音をたてながら扉が開いては、こそこそやっている意味もすべて台無しになることを微塵も考えていないのはスフィーらしいのかもしれない。
 扉から中に入る。すると塔とは名ばかり、実際は真ん中に空中に浮く水晶が一つ置いてあるだけのこじんまりとした部屋になる。
 部屋の壁の裏側や、天井裏には魔法科学を駆使した魔力増幅装置と様々な魔力フィルターが用意されているが、そのあたりの原理はスフィーの知る由ではない。……これにはとてつもない力がある。今のスフィーにはそれで十分だった。
「ふぅっ……よし! ……我を守護する精霊の御名において命ず……我の声が届く全ての者から、スフィー=リム=アトワリア=クリエールの記憶を消し去り賜え……」

 きぃぃぃぃぃぃぃん……!!

 部屋中から魔力発動を示す音が鳴り始めた。
 これであと1分もしないうちに完全に発動される。
「……これでいいはずだよね……。じゃぁ……次、行こ、っか……」

 ……。

(おじいちゃん……ごめんね。偶然でも日本に行っちゃったからこうなっちゃった。そんな冷たい孫のことなんて……忘れちゃってよ)
 ちゅっ……。

 ……。

(おばあちゃん……今まで、魔法をいっぱい教えてくれてありがとう……。でも、あたし恩をあだで返しちゃうよ……ごめんね……)
 ちゅっ……。

 ……。

(おとうさん……あたしを今まで育ててくれてありがとう……。お嫁さんなら、幸せになります、とか言うんだろうけど……親が許してもいない男を選んで、そのために娘の記憶をなくさせちゃう娘なんて、最低だよね……でも、最低でいたいんだ……。王様、頑張ってね、お父さん)
 ちゅっ……。

 ……。

(おかあさん……おとうさんとどんな風に結ばれたのか、聞くの忘れちゃった。けど、ここまで親を無視してないよね……。こんな勝手な娘に育っちゃった。でもリアンもいるから育て方は間違ってないよ。あたしが自分でひねくれちゃった。……リアンのこと、よろしくね……)
 ちゅっ……。

 ……。

(リアン……いいたいこと、いっぱいありすぎて何から言っていいか解らないよ……ごめんね……また、リアンのこと置いてっちゃう……今度は本当のお別れになっちゃうね……)

『ねぇさ〜ん!』
『だって、姉さんがいなくなって……。あたし、寂しくて……』
『姉さんがいなくなった次の日……』
『だって姉さんがいないなんて初めてで……、不安だったんだもん……』
『ううん。姉さんを探すためだから、全然苦労だなんて思わなかったよ』

 リアン……ごめんね。もう、あたしのこと……全部忘れて……忘れ……忘れるんだ……リアンがあたしのことを……。

 ぽろっ

「!」
しまった、と思った時はもう遅かった。
 ゆっくりと目からこぼれた雫が、リアンの顔にぽとり、と落ちてしまった。
「ん……?? ……姉さん……??」
「リアン……ごめんねっ! ……精霊に命ず! この者からスフィー=リム=アトワリア=クリエールの記憶を消したまえ!!」
「!?」

 きぃぃぃん!!

 簡略だが魔法はすぐ発動した。リアンでは到底スフィーの魔法を回避できない。
 ……と思っていた、が。

 ぱしゅぅぅっ……

「!?」
 魔法が無効化された音が部屋中に響く。
 リアンは完全にレベルが上であるスフィーの記憶消去の魔法をあっさりとうち消してしまったのだ。
 その様子を見て少し驚いたが、すぐさまへらっと笑う。
「どうして……あっさり跳ね返すかなー」
「魔法回避は……私の得意魔法だから……」
「……あはは、そんなに怖い顔して……」
「どういうこと? これは……説明して、姉さん」
「……あたしの記憶があったら、さ。安心して行けないから」
「……どこへ?」
「あたし、今日『けんたろ』のところに行く」
「……そう……」
「だから……」

 ぱぁんっ!

「!?」
 スフィーの顔が左に歪む。そして、じんわりと痛みが伝わってきた。
 リアンがスフィーの頬を平手打ちしたのだ。
「……ったーい……」
「いつも……いつも、いつも!! どうして姉さんは周りのことを考えないの!? そんなに『健太郎』さんが大事なの!? グエンディーナよりも!? 家族のみんなよりも!? みんなが姉さんのことが大好きで!! あたしだって姉さんが好き! 大好き! なのに……どうしてその気持ちを平気で裏切ることができるの!? 信じられない!!」
「……そうだよね……」
「それじゃどうしてよ!? どうしてこんなこと!?」
「じゃぁ……どうすればいいの?」
「?」
「もう……もう時間がないっ!! 半年! たった半年だっていうのに!! あたしから……『けんたろ』の顔が! 姿が! 声が! ぬくもりが! 消えちゃってく!!」
「……」
「消えそうになる度に思い出そうとして!! 何度も何度も!! 最初はすぐに思い出すことが出来たのに……っ! ……たった半年で……うっ……これでいいのかどうかもわかんなくなっちゃって……ううっ……」
「……」
「『けんたろ』からもあたしのこと……ひっ……消えてなくなっちゃうかもしれない……ひっく……そしたら……『結花』に『けんたろ』取られちゃう……っ」
「『結花』さん?」
「ひくっ……『結花』は『けんたろ』好きだもん。あたしと同じ好きだもん……。わかるんだ……だから」
「……」
「早くしないと……あたしの帰る場所……無くなっちゃう……っ……おうちへ……『けんたろ』がいるおうちへ……かえりたいよぅ……」

「全く……そんなに異次元の男の記憶が消えるのが怖いのに、父から我が娘の記憶を消そうとするというのは、どういう了見なんだ? スフィー」

「あっ!? ……お父さん……」
「お、とうさん? どうしてあたしの事を……??」
「魔法塔を作動させれば、さすがに気が付く……。お前の呪文など、まだまだ充分無効化出来るさ。で、どうやって行くつもりだったんだ? そいつのところに」
「……」
「そうか、言いたくないのか? ミュージィだろ??」
「!!」
「当たったな。全くお前は解りやすい。に、してもミュージィのヤツ……」
「で、でもミュージィさんは悪くないよ!!」
「スフィー……勝手に魔法塔を使ったあげく、私の右腕であるミュージィを利用するとは……とんでもない娘だ。罪は大きいぞ」
「……」
「スフィー。お前をこの家から勘当する。どこにでも好きなところに行くがいい……」
「えっ!? ホント!?」
「不服か?」
「ううん! 不服じゃないよ!!」
「そうか。なら、すぐに出て行け。もう、この家をまたぐことは許さんぞ」
「うん……わかったよ」
「姉さん」
「リアン、不出来な姉でごめんね。あとは宜しく」
「……」
「わっ……じ、じゃぁ、もう行くよ……我を守護する精霊の御名において命ず。我が望む彼の地まで導きたまえ!」

 ふっ

「あ……」
「全く、慌ただしいヤツだ。……リアンの顔を見たく無かったんだろうな……」
「……」
「そんな顔をするな。将来この国を治めるものの顔ではないぞ」
「……はい」

 姉さん。やっぱり、行ってしまいましたね。
 こうなること、解っていましたけど。
 でも、なんだか。
 負けちゃいました。
 どうか『健太郎』さんと……。

「……あ」
「? どうした?」
「姉さんの魔法をどうやって止めたんですか? 呪文は魔法塔の様子で解ったにしても、姉さんはおそらく、口移しを使ったはず……なら」
「あぁ、そのことか。さすがの私も、スフィーの魔法は止められん……これだ」
 そう言いながら、舌を出すと、丸いものが乗っていた。
「魔力吸収の飴??」
「あぁ。これを口の中に含ませただけだ。家族全員に含むように言っておいた」
「……私のは?」
「ここにあるぞ。間に合わなかったが」
「……」
「……ひょっとして、ちょっとだけ怒ってるか?」
「い、い、え」
 に゛っ゛ごり゛
「……ごめんなさい、リアンちゃんさま……」



「……準備はいいですか?」
「うん」
「では、私は貴女に魔力を送ります。それで次元を越えたあとはなんとかできますよね?」
「うん。じゃ、お願いね♪」
「はい」
「できれば、また来るよ。勘当って名目だけど、グエンディーナに来るな、とは言われていないしね。そのときはお土産も持ってくるからね」
「……はい。では……出来れば、『イチゴ大福』をお願いしますね」
「あはは♪ わかったよ。忘れなければ。じゃ、いくよ?!」
「はい」

 我を守護する精霊よ! 我が声を聞きたまえ! 我が名はスフィー=リム=アトワリア=クリエール! 次元を司る精霊との、かの盟約により… ……………。
 …………。
 ………。
 ……。
 …。



 ……そして、5年後……



「リアン女王様、御即位おめでとうございます!!」
 ――わぁぁぁぁぁぁっ!!
 すごい声を上げ、手を振りながらみんなが私を祝ってくれる。
 お城のテラスから、私もそれに小さく手を振って答える。
 一人一人が、明るく、朗らかに微笑んでくれる。
 良かった。今でもみんなが微笑んでくれるような国で。
 スーツを着込んでいる真面目そうなおじさんも、食堂から来たのか、真っ白な服に身を包んでいる人も、野良仕事を途中で切り上げてきてくれたような農家のおじいさんも、ものすごい化粧をしているおばさんも、買い物途中で来てくれたどこかの奥さんも、変な字が書かれたエプロンを付けている子連れの若いご夫婦も。……!?
「…! ………! …………!!」
 お父さんが右手、お母さんが左手と子供と思われる女の子の手をそれぞれ握って。
 何かを叫びながらもう片方の手で思い切り私の方に手を振っている。
 お父さんは微笑みを浮かべ、お母さんの方はニコニコと飛び抜けた笑顔を見せる。
 そして、お母さんの方が人差し指を口に指すと、
「…、…、…、…」

 あ、り、が、と

 と、言っていることが解った。
 私もそれに答えるように、少し強めに手を振り返す。
 するとそれが伝わったのか、ひょいと、お父さんが女の子を肩車して、お母さんがぴょんぴょんと跳ねながら両手で手を振っていた。
 相変わらずだった。
 私は目立たないように、さらに手を振り返す。
 ふ、と横を見ると、そんな私の気遣いをまるで無視して、両親と祖父母が、私と同じ特定の人に向かって、思い切り手を振っていた……。



 ぴくっ
「……そこにいるのは誰ですか? 隠れてないで出てきなさい。解ってますよ」
「『はい。日本のお土産は、イチゴ大福がいい、というお話だったので、持ってきました』」
「『……え……っ……』」
「『スフィーさんは1年経たないうちに次元転移を使えるようになったんだけど』」
「『あ……』」
「『私の方がスフィーさんの補助を受けながらでも次元転移を使えるまでこんなに時間がかかっちゃった』」
「『まさか……!?』」
「『やっと、会えた』」
「『……』」
「『ただいま、お母さん』」

 一人は、愛する人のところへ。一人は、自らに生を与えてくれた母の元へ。
 みんな、みんな。
 おうちへ、かえろ?
 自分を待ってくれている。
 おうちへ、かえろ?


       

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