――さん。お久しぶりですね。元気ですか?
……聞くだけ野暮ですね。もちろん、元気に決まってますよね。
私ももちろん元気ですよ。
この辺りでは、寒い割にあまり雪が降らないんですね。
私たちが暮らしていたところでは、相変わらず降り続いてますよ。
思い出しませんか?
……少し寂しいですが、あまり覚えていないかもしれませんね。
あなたがあそこで暮らしたのは、ほんの少しでしたものね。
「んしょ、んしょ……っ……お母さん、お水持ってきたよ〜」
「柄杓(ひしゃく)は?」
「あれ? ……えへへ、持ってきます」
「よろしくね」
いつ挿したかも解らないほど枯れてしまった花を先程買ってきたものと交換する。
場違いかもしれないけど”ききょう”。
あなたが私に贈ってくれた花です。覚えてますか?
「持ってきたよ〜」
「ありがとう」
ようやく名雪も大きくなりました。
もう、あなたの歳に追いつくくらいになってしまいましたよ。
あんなに苦労したはずの歳月も、過ぎてゆけばあっという間ですね。
私もすっかりおばさんになってしまいましたよ。
あなたはいいですよね。もう歳を取らないのだから。
ぱしゃ……
柄杓を使って、ゆっくりと上から水をかける。すると『水瀬』のところまでうっすらと濡れ、文字が目立たなくなっていった。
「お母さん」
「何?」
「どうして今まで来なかったの?」
「……」
「あ、ごめんなさい。少し気になっちゃったから」
手をぶんぶん左右に振りながら名雪は申し訳なさそうな表情を見せる。
……そういえば、殆どあなたのことをこの娘は聞かなかった。
随分小さい頃にいないことだけを伝えただけだったかしら?
あの時分で聞きたいことがいっぱいあったでしょうに、私に心配をかけまいとしてくれたんだと思います。
本当に良くできた娘ですよ、この娘は。
「正直言うとね。水瀬家とは、あまりいい仲でもないの」
「……あ」
「どうしたの?」
「今まで”水瀬”って親戚がいなかったの、気がつかなかった」
えへへ、笑いながらいう名雪の思いがけない言葉にきょとんとしてしまう。
ひょっとしたら気を使ってくれているのかもしれないけど……たぶん違うわね。
「私が水瀬の姓を名乗っていることも、相手方は快く思っていないと思うけど」
「……」
「それでも、この姓を名乗っていたかったの。今はこれだけが”彼”との絆だったから」
「……」
「お線香と蝋燭、取ってくれる?」
「あっ……はぁい」
名雪からそれらを受け取り、お線香一束を括ってある紙をはがし、お線香を広げながら蝋燭を使って火を付けると、特有の白い煙とやわらかな香りが周囲一体に広がっていく。
半分を名雪に渡して先に線香をあげることを促し、続けて私もあげる。
そして煙が立ちこめる中二人で手を合わせ、目を閉じた。
お腹の中にいるときだけなのに。
名雪はあなたのことを「お父さん」って言ってくれますよ。
嬉しいことですよね。
でも……そろそろ、名雪の報告を聞いた頃かしら?
ちらりと名雪を見ると丁度祈り終わったらしく、私の方を見、わずかに微笑んだ。
「……名雪、ちゃんと言った?」
「うん。はじめまして。私が、あなたの娘の、名雪です、って」
「あら?」
「えっ? 何か悪いこと言ったかな??」
「肝心なこと、報告した?」
「あ」
本当に忘れていたらしいわね、この娘は。
そういったのは、誰に似たのでしょうね?
……やはり私ですか? ふふ、そういうことにしておきますよ。
名雪は慌てて目を閉じ、手を合わせて、今日報告することを単刀直入に言った。
「お父さん。……明日、私……結婚します」
ふふ、驚いた顔をしているのが目に浮かぶようだわ。
良かった。私が報告しなくて。
おめでたいことは本人の口から直接聞かないとね。
「ふふ、ちょっとは驚いたろうけど、喜んでるわよ。きっと」
「どこの馬の骨だかわからんやつになんかにやらん!! とか言ってるかも」
「大丈夫よ」
「そうかな?」
「馬の骨よりはずっと上質だから」
「わ。お母さん、非道いこと言ってるよ〜。仮にも私の旦那さんに〜」
「ふふっ、一緒に来れば良かったのにね」
「『お義父さんにたたられたくないしなぁ』なんて言ってたけど」
「……気を使ってくれたのでしょうね、きっと」
――さん。
名雪は、素晴らしい人と巡り会えましたよ。
でも、真剣な眼差しで『嫁に下さい』って言われたときには面食らいましたけどね。
なんて言うのか、当然すぎたんです。
運命なんて信じたくもないけど……。
赤い糸だけは、どこまで離れていても、やっぱり引き合うんですよね。
強く、とても強く。
今になって、あらためてそう感じましたよ。
……ふふっ、もちろん、立派な子ですよ。
私がそう思ったんですから。
もし、私の目が節穴なら、それは、私が選んだあなたもそうなっちゃいますよね。
そして、そうでないことは、あなたで証明済みです。……違いますか?
だから、安心して下さいね。
「そろそろ帰りましょうか?」
「そうだね。そろそろ帰らないと、明日早いからつらいもん」
「そうね。それにしても……本当に朝起きられるようになったのには驚いたわね」
「目覚ましがいいんだよっ」
「――そういえば、どうしてお花が”ききょう”なの? 普通の仏花とかも売ってたのに」
帰り道、名雪はそんなことを聞いてくる。
「……あれはね、お父さんから貰った花なの」
「やっぱりそうなんだ」
「いきなり差し出して『これ、やる』って、ね」
「……」
「それで、渡すと同時にプロポーズしてくれたのよ」
「わぁ……」
気恥ずかしいのか、名雪の顔が火照る。
名雪もついこの前言われたばかりのはずなのに。自分より他人の方が照れるのかしら?
「お父さんはプロポーズのときなんて言ったの?」
「それは企業秘密よ」
「えぇ〜っ……」
「じゃぁ、ヒント。”ききょう”の花言葉」
「?」
「それにひっかけて言ったことは教えてあげる」
「ふぅん……あとで調べてみよっと」
「……ところで、名雪はなんて言われたの?」
「わわっ、それも企業秘密だよぉ〜っ」
わたわたと手を振り回しながら恥ずかしさを一生懸命アピールしている。
「そうよね。それなら、この話はおしまい。それじゃ、折角ここまで来たんだし、どこかへよって帰りましょうか?」
「そうだよねっ! この辺りって、イチゴが凄く有名なんだよっ!!」
「はいはい。それとおみやげも買っていきましょう。留守番をお願いしたんだし」
「うんっ! それに、さっき、このあたり限定のイチゴクリームが入ったお菓子を見つけたんだ。とっても大きいんだよ! あっ、それにイチゴ大福も!」
あらあら。名雪の好みばかりだわね。
親から見れば子供はいつまで経っても子供だけど、子供も親の前くらいでは子供であって欲しいわ。
ね?
……また、来ますね。
……今度はきっと、家族全員で。
|