『彩……』
『お父さん……?』
『彩……』
『あれ?』
『彩……』
『お父さん……顔が見えないよ……? どうして……?』
『彩……』
『おとうさん!? どうして!? こんなにそばにいるのに彩には顔が見えないよぉ!!』
『……』
『え?』
『……』
『ど、どうして!? 待って、待ってよぉ!!』
『……』
『お父さあああああああああああああん!!!』


こみっくパーティー!! SS

Father Complex



「うあああっ!!」
 がばっ!!
 ベッドにかかっている掛け布団を跳ね飛ばすくらいの勢いで起きあがる。
「……はぁ、はぁ、はぁ…………?」
 きょろきょろと周りを見渡してみる。いつもの風景、いつもの感覚、間違いなく自分の部屋だった。きっちりと閉めてあるカーテンから、わずかに日の光が漏れる。
「……」
 自分の身体をさすってみる。わずかに湿っぽい感覚があった。今までそんなに体感したことのない寝汗の量だった。
 ここ最近特に頻繁に見る夢。彩のお父さんの顔が全然見えなくなる夢だ。
「……」
 ベッドから立ち上がり、自分の机を見る。
 昨日、遅くまで同人誌の原稿を書いていたにもかかわらず、きちんと整理整頓してあり、消しゴムのカスやインクの染みなどは見あたらない綺麗な机。その棚のところに置いてあるフォトスタンド。
 そこには一葉の写真が収められていた。
 お父さんと。
 お母さんと。
 そして彩。
 お父さんが入院した直後に撮ったものだ。
 彩が無邪気にお父さんの膝に座って笑っている。お母さんはどことなくぎこちない微笑みを浮かべている。お父さんが余命いくばくも無いことをすでに知っていたのだろう。そして……優しく、力強く微笑むお父さんの顔も、しっかりと写っていた。
「……お父さん……どうして……?」
 何かをつぶやくようにフォトスタンドに手を伸ばし、やわらかく抱きしめると、言いようのない冷たい感覚だけがあった。
「……」
 フォトスタンドを元に戻すと、窓に向かい、思い切りカーテンを開けてみる。
「……まぶしい……」
 思わず右手をかざす。
 鮮烈な光が彩の身体全てにふりかかってくる。フォトスタンドで感じたような冷たさはどこにもなく、じわじわと身体全体を暖めてくれる光だった。
 窓をからからと開けると、春とはいえ一瞬にして凛とした朝特有の空気が部屋の中の空気と入れ替わるように吹き込んでくる。
「すぅっ……はぁっ」
 そんな中、ゆっくりと深呼吸すると、息がうっすらと乳白色に凍り付く。
 身体が目覚めたことを感じ取ると、また再び窓を閉め、クローゼットから今日着用する服を取り出すと、一気にネグリジェを脱ぎ去り、寒さを感じながらすぐさま着込む。
「今日は……」
 部屋に飾ってあるカレンダーを見やる。
 日本の昔話のようなイラストの下に3・4月の日にちが表示されていて、そして今日、4月7日に赤く○が付けてある。
 今日は一般教養の2つの講義をいきなり自主休講して和樹と花見がてら公園を散策する約束になっていた。
「和樹さん……」
 今日の夢。
 まさか、とは思っている。でも、間違いないかも、とも思っている。
和樹と一緒にいればいるだけの時間に比例するように、お父さんの顔がおぼろげになってきて。
 そしてそれはどんどんひどくなっていって、ついには顔が全く見えなくなっていった。
「お父さん……」
 幼少の頃にお父さんを亡くしたためか、彩がお父さんに対する気持ちはあまりに大きい。それゆえに、この夢は自分自身に我慢ならないものがあった。
「……」
 少しばかり思いを巡らす様子を見せたが、ふるふると軽く首を振ると、台所に移動していった。和樹に弁当を作っていく約束を交わしていたからだ。
 和樹は日頃コンビニやファミレスなどにお世話になっていることが多く、家庭的な味わいには縁遠くなってしまったため、彩がご飯を作ると、オーバーなくらい喜ぶ。そして和樹が喜びながら一生懸命食べる様子を見ることが彩の喜びであった。
「……また、喜んでくれたら、いいな」
 そう思いながら、棚から鍋を取り出すと、水を張り始めた。



 ぴんぽ〜ん
「あ、は〜い」
 ドアの向こうからわずかに声が聞こえる。ほどなくドアが開かれた。
「あれ? おはよう、彩。だいぶ早いなぁ、まだ9時なのに」
「少しでも…早く…来たかったので」
「ははっ、嬉しいよ。じゃあ、少し上がってく? まだ寒いしね」
「はい」
 和樹の暖かさに満ちた表情に、にこやかに微笑んで答える彩。
 和樹を見ただけで、先程までの悩みや苦しみが一挙に無くなっていくことを実感するのだった。
 いつも来ている部屋。原稿を一緒に描いている部屋。そして、とても安心できる部屋。
 何の変哲もない和樹のアパートは、彩にとってある意味自分の部屋よりも憩うことが出来るところだった。
「何か飲む?」
「あ…私が入れます」
「いつも彩にばかり入れて貰ってるからさ、たまには入れさせてよ。紅茶でいい? と言ってもただの紅茶だけど」
 申し訳ないような顔をしながら、彩に問う。
 彩はハーブティーを良く入れるだけあって紅茶のときにもフレーバーティーに仕立てることがあったりしたが、和樹は全然知識がないのでただの紅茶になることを詫びる気持ちも含まれていた。が、彩は全く気にしない様子で素直に礼を述べた。
「砂糖は?」
「いりません」
「ちょっと待っててね」
「はい」
 返事を聞くとすぐに、ティーカップにパックを入れ、ポットからお湯を注ごうとした。すると、彩に止められてしまった。
「どうしたの?」
「ポットのお湯は紅茶を入れるとき…少し…ぬるいので…沸騰させてから…パックを…入れると…良いと思います……。紅茶は…沸騰したときに入れた方が…美味しいので」
「なるほど……知らなかったよ」
 彩にとっては何でもないことだが、普段馴れていない和樹はそれだけで感心してしまうのだった。



「わぁ……」
 思わず彩が声をあげ、一緒に歩いていた和樹の横から駆け出していく。
 さぁっ、とやわらかな風が、彩の頬をゆっくりと撫でていく。その風によってふわふわと舞い降りる桜の花びらは彩の言葉を借りると『まるで小さな妖精のよう』。
 平日の昼間だけあり、公園には誰もいなくて、これだけ美しい情景を二人占めの状態だった。
「やっぱり、桜って綺麗だね」
「はい……そうですね」
 彩は一応返答しているが、心ここにあらず、ということが一目瞭然だった。
「桜の花って、どうしてこんなに綺麗なのかな?」
「そうですね……でも、桜は……花の美しさだけでは無いと思うんです」
「え?」
「桜の花が散った後にも……青々とした葉で精一杯夏の日差しを浴びる雄々しさ……秋には……枯れゆく葉の儚い……生命の侘びしさを感じられるし……冬には……極寒の中、威風堂々としている……たくましさがあります。それぞれ季節に……それぞれの美しさが……あると思うんです」
「そうかぁ……花も確かに綺麗だけど、それだけじゃないんだな。桜に失礼だね」
「でも……やっぱり、桜は……花が一番綺麗だとも……思いますよ」
 そう言いながら、くるりと後ろを振り向くと、にこり、と微笑むのだった。

 ぐー

 そんな雰囲気をぶち壊す音が和樹のお腹からいきなり鳴り響く。
「あ……」
 その音と和樹の照れくさそうな顔、間抜けた声を聞いてくすくすと笑いながら、
「和樹さんのお腹だけは、花より団子……ですね」
 と言われてしまうのだった。

「おっ、美味そう! でも、朝からこんなに準備してたら大変じゃなかった?」
 2段の重箱の中には、定番のおにぎりに加え、これまた定番のサヤインゲンを豚肉でまいたものや、だし巻き卵等々、ポテトサラダまでついて、とても華やかな弁当だった。
「そうでも……ないです。殆ど簡単に作れるものばかりで……」
「これだけのものを簡単に作れるなんて、すごいな。彩は」
「……」
 恥ずかしいのか、少し顔を赤らめ、俯いた。
「それでは、いただきます!」
 いうや否や、おにぎりをがっしりと掴むと、ものすごい勢いでかぶりつく。彩はその様子を嬉しそうに見ながらおにぎりに手を伸ばし、ゆっくりと噛みしめた。
 そのとき。
(……あっ?)
 いきなり和樹の顔がぼやぁ、とかすみだした。
(以前……同じ様なことが……)

『お父さん! 彩ね、今日はお父さんのためにおにぎりを作ってきたんだよ!』
『おっ……本当か、彩』
『うん、ほら!』
 そういうと、お父さんにハンカチで包んだおにぎりを差し出す。
 それをゆっくりとほどくと、とても不格好でサッカーボールのように海苔が張られたおにぎりが顔を出した。
『ちょっと、その……お母さんみたいに、三角形には出来なかったけど……』
『ん? どれ?』
 そういうと、ものすごい勢いでそのおにぎりにかぶりついた。
『うん……でも、味はお母さんと同じくらい美味いぞ』
『本当に!?』
『ああ、彩は……』

『「いいお嫁さんになるな」』
 彩の中で重なる声。
 そのとき、和樹の顔が、彩にとって別人のように映し出されていた。
「嬉しい……」
 そして。彩が思わず無意識に、自分自身でも予想しないセリフが口をつく。
「ありがとう、お父さん」

 ――。

 その一言が一瞬で暖かかった空気を冷たく変えた。
 今まであんなにやわらかかった風が、今度は頬をちくちくと刺すように吹きつけてきた。
「あっ!?」
 口を塞いだがもう言ったことは戻ってこない。
「彩?」
「あ、ぁ、ぁ……ご……」
『ごめんなさい』
 そう言おうとしたが、それよりも早く、和樹が口を開く。
「ごめんな、彩」
「!?」
「俺は、彩のお父さんの代わりにはなれないよ」
「そ、そんな、こと……」
「なぜなら俺は……千堂和樹だから。それとも……」
「?」
「彩にとって、俺は単に、お父さんの代わりなのか?」
「! ち、ちが……」
「本当?」
「……うぅ……ぁ」
 頷きたかった。が出来なかった。
「そう、か……」
 何か言いたかったが言葉が繋がらない。
 そんなことは知っている、はずだった。
 だが。瞬間、確かに、彩の目には和樹の顔がぼやけ、消え、代わりに彩のお父さんが映像として映し出されていたのだ。
 その時に間違いなくお父さんと和樹を重ねた。和樹の言っていることに間違いがないのだ。
「俺……帰る」
「!!」
「じゃ……さよなら」
 和樹はそう言うと、すく、と立ち上がり、くるり、と後ろを向いてしまう。
「あっ……」

 さ。よ。な。ら?

 立ち上がれない。追いかけられない。足が、手が、全く動いてくれない。
 追いかけさせて!!
 必死で自分に命令をするが、一歩も動かない。

 どうして?
(彩のせいだからな)
 動かないの?
(二人を重ねたからだ)
 私は……。
(お父さんと和樹君を)
 う……。
(重ねてはいけないのかい?)
 そんな……。
(お父さんととても似た暖かさを持っている人なんだろう?)
 わ、私は……。
(お父さんと同じでいて欲しかったんじゃないのか?)
 ち、ちが……。
(だから、お祭りの時も、ヨーヨーを両手でやってもらいたかったんじゃないのか?)
 ちがう……。
(だから、頭をなでてもらうと、とても暖かい気持ちになったんじゃないのか?)
 ちがう……!
(お前にとって、和樹さんはお父さんの代わり。それ以外のなんでもないんだろう?)
 違う!
(何が違うんだ? お前が言ったんだぞ? 『お父さん』って)
 それは……
(でも、残念だな。和樹『お父さん』は彩のこと、嫌いになったようだぞ?)
 ……。
(和樹君、お父さんは嫌だそうだ。それなら……)
 い……。
(お父さんになってくれる人をまた、捜さなくてはならないな)
 嫌っ!!
(どうしたんだ? 嫌ってことはないだろう?)
 私は確かにお父さんがいたら、と何度も望んだ。でも……
(でも?)
 でも、それが叶わないことくらい知ってる!!
(ほぅ……)
 そして和樹さんは、今の私にとって何よりも代えがたい”ひと”!!
(そうか……お)
 だから……だから!
(そうだな、出来過ぎだな。大吉を引いただけある……和樹君は痛いほど優しいのかもしれないな。それとも、和樹君にとっても彩の存在が大きいのかもな)

「彩」
「……えっ!?」
 あの声が聞こえる。彩にとって、いつも聞いていたい声が。
 ぱっ、と顔を上げると、真っ正面に、先程まで追いかけたくて仕方がなかったあの人がいた。
「わかっていたのかもしれない。けど、やっぱり少しショックだった」
「あ……」
「でも、思った。いいところも、悪いところも。そういうお父さんを大事に思っていることも、今でもその面影を大切にしていることも全部含めた……」
「……」
「そんな、彩を、俺は。好きになったんだ、ってことをさ」
「あ……」
「だから……うわっ!!」
 それを言う前に、彩は和樹に抱きつき、細腕から生み出せる全ての力を注ぎこんで抱きしめた。
「……あったかい……」
「え?」
「……とっても……あったかいです……。フォトスタンドなんかより、ずっと、ずっと」
「フォトスタンド??」
「私……このあたたかさを、ずっと、好きでいたい……」

(そうだとも)
 !?
(彩が大事に思ってくれることは、嬉しいが、悲しさもあった)
 え……
(彩をそれで縛り付けてしまったことがな)
 ……
(でも、これで、安心だ。すこし妬けてしまうがな)
 まさか?
(彩……俺の分まで、しっかりと、幸せに、生きろ。……それと)
 あ……
(和樹君。彩のこと。宜しく、な)

「え!?」
 その声が和樹に届いたのか、キツネに摘まれたような顔をしながらまわりを見渡す。

(それじゃぁ、な)
 うん……わかった……ありがとう。そして……



 さようなら、お父さん。



「彩……今……男の人の声がしなかったか?」
「えっ? そうでしたか? 私には全く聞こえませんでしたが」
「そ、そうかな? 気のせいか?」
「ええ、きっとそうです。きっと……」
「うーん、でも……確かに」
「和樹さん」
「え?」
「私、あなたと出会って……好きになって……本当に良かったです……」



 ぴぴぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴぴぴっ……
「う……ん?」
 目覚まし時計がけたたましく鳴る前にゆっくりと手を伸ばして止め、ゆっくりと身体を起こす。
 いつものように、とてもさわやかな朝。
 あの日以来、あの夢は一度も見ることが無くなった。
「……あ、今日も和樹さんにお弁当を作っていくんだった」
 そういうと、服をぱっぱっと着替えて、ぱたぱたと台所に歩き出す。
 そんな彩を見守るように、今日も、フォトスタンドにいる父親は力強く微笑んでいた。

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