| 朝、いつものように目覚める。ちら、と時計を見ると、午前7時を指していた。 昨日の夢のことはしっかりと覚えている。 (あの人は…) 『手っ取り早く説明すると…私は半分の貴女って言えばいいのかしら?』 (わたしの半分…? でも、少なくとも、"ちから"のことを知っていそうだった…) この答えを求めることは、半ば不可能だと思っていた。周りに同じ人がいないのだから。 でも、答えを持っているわたし自身がわたしの中にいる…。 頭が軽い混乱を起こしながらも、とりあえず起きて、着替えをし、ダイニングルームへ行く。 そこには、新聞を読んでいる父と、もくもくと朝食を食べ、口を動かす母がいた。 「おはよう…」 琴音はとりあえず朝の挨拶をする。 「おはよう」 「おはよう」 機械的に両親の声が響くいつもの挨拶。 この父親は、母親に対し、いわゆる家庭内暴力を奮う時もある。理由は様々だが、琴音がその原因の一端を握っている事に違いなかった。琴音の出生のことを持ち出して、叩き合う場に持ち出すことなど日常茶飯事である。父も、頭では理解しているはずではあるが。 食器に箸が当たる音、父が新聞をめくる音。音は響けど言葉がない。そういう空気も手伝って、ここで食べるご飯は、いつもおいしく感じることはない。朝食の場は、お昼までの間動くエネルギーを補給する意味しかないのであった。 学校へ行く身支度を整え、外に出る。 じき来る梅雨の分厚い雲に活躍の場を取られまいとしているのか、懸命に照りつける太陽は、元々身体が強いほうでない琴音にとって恨めしいものであった。 ひとりきりの電車に揺られ、ひとりきりの通学路をただ黙々と歩く。 「おはよう!」という声を聞いても、振り向くことをしない。 なぜなら、彼女に挨拶する人はいないから。 この状態を寂しいという感覚は、もはや失われていたように思えた。 楽しそうに会話しながら歩いていく生徒たちとともに、一人校門をくぐったそのとき。 「おはよう、姫川さん」 びくっ、と身体をふるわせた。そんなはずはない――が聞き覚えのある声で、確かに聞こえたのである。 後ろを振り向くと、 「あ……」 「姫川さんの後ろ姿が見えたから、追っかけて来ちゃったよ」 「お、おはようございます…佐藤さん」 ちぐはぐなやりとりに、わずかに顔を赤くしてしまう琴音。 「姫川さんはいつもこのくらいの時間に来るの?」 「はい。佐藤さんこそ、朝練の方はどうしたのですか?」 「うん、今日は朝練休みになっちゃったんだ。いつもだともっと早く来るから、調子狂っちゃうよ」 あはは、と、笑う雅史。その笑みにつられて、おもわず微笑んでしまった琴音。 何でもない会話をする二人だが、琴音にとって、とても懐かしく、とても暖かく、とても嬉しい出来事だった。 (朝に会話をするなんて、いつ以来だろう…) いつも感じる、家から学校まで来るときの足取りの重さはなんだったのだろう。校庭から下駄箱までの、わずかな距離、わずかな時間を、こんなに楽しく過ごせる。雅史が3歩進む間に、4歩進まなくては追いつけない琴音。そんな、琴音にとっては軽い運動に感じてしまう行動でさえ、全く苦にならないものだった。 そして昇降口にさしかかったとき。 「あっら〜? おっはよう、雅史〜!」 「あ、おはよう、志保」 「珍しいわね〜、あんたがこんな時間に学校に来るなんてさ」 「うん、今日は朝練がなかったんだ」 「へぇ〜、休む事なんてあるんだ……あれ?」 そのとき、志保は雅史の横にいる女の子の顔を見た。その瞬間、 「あぁ〜〜〜っ!! 姫川琴音!!」 と大声で叫んだ。突然の叫び声に驚いた顔を見せる琴音。 「なになに? 朝練がなかったから一緒に学校くることにしたわけぇ? やるじゃん!」 そんな琴音の驚いた顔に全く気付くことなく、雅史の胸を肘で小突く。 「ううん、違うよ。今日はたまたま、校門のところで会ったんだ」 微笑みながらそう答える雅史。 琴音はその笑顔にはっとした。琴音と会話しているときとは違う笑顔だったからだ。琴音に向けるいつもの笑い方ではなく、肩の力が抜けた、やわらかい笑顔を志保に向けたのである。 「ふ〜ん、あ、そうだ」 そう言うと、志保は真っ正面に琴音を見据えた。 「私、長岡志保。こいつとは中学からの腐れ縁でさぁ」 「本当だね」 「……あんたねー、そういうこと普通言う?」 「え? 何が?」 「……もういいわ」 き〜んこ〜んか〜んこ〜ん…… 「あ、やっばー! それじゃまたね! 志保ちゃんだぁ〜〜っしゅ!!」 そういって、猛然と廊下を走っていく志保。 「……なんだか、喋るだけ喋っていったなあ……。あ、姫川さん、それじゃ」 「あ……はい、では」 雅史は微笑むと軽く手を挙げて階段を上っていった。 (……急がないと……) 琴音は何か胸に引っかかるものを感じたが、教室に向かった。 そして放課後。 琴音はいよいよ、デッサンに取りかかった。 せっかくだから油彩で、と最初は思っていたが、木炭画が思ったよりも上手に描けていることもあり、木炭をベースにパステルで邪魔にならない程度に色を付けることにした。 画材をセットすると、だいたいの感じを大まかに描きはじめた。 始めるとやはり夢中になってきて、サッカー部が休憩時間になっても、筆が止まることがない。そんな中、最近聞き慣れた声が聞こえてきた。 「何を描いているの?」 「ええ、これから……え?」 気がつくと、目の前に雅史が立っていた。突然のことに胸がどきまぎしているが、それに気付く様子もなく、 「その持っている棒、何?」 と質問してきた。 「あ……これで鉛筆の代わりに絵を描くのです」 心臓の音を覚られないよう、なるべく気持ちを落ち着けながら答える。 「へぇ。でも、最近、ずっと何か描いていたよね? それは?」 「あ、あれは、クロッキーって言いまして、その、放課後の時間内に、ばっと描き上げるものなので……」 「じゃあ、今日のは?」 「はい、そろそろ絵を描き始めます」 「ふぅん……じゃあさ」 そのとき、遠くから声が聞こえる。 「佐藤〜、そろそろ休憩時間が終わるぞ〜!!」 部員の声だ。 「あ、始まるみたいだ。……その絵、今度見せてね。それじゃ」 軽く手を挙げて、部員達が集まり始めたところへ向かう。 「……きっと、見せられません」 琴音は、少し顔を赤くして、下にうつむいた。 そして下校時間となり、画材道具を片づけた琴音は、帰路についた。サッカー部はまだ練習が終わらないようで、選手達のかけ声が勇ましく響いてくる。 校門を出、いつもの道を帰っていくと、目の前に、今朝見かけた人――長岡 志保さん――が見えた。学校の帰りなのだろう。PHSを使って楽しそうに会話している。 「…………」 話しかけてはいけないだろう、そう思った。 今朝ほど会ったばかりで、”超能力者”もしくは”不幸の予知者”としての認知でしかなく、それに、むやみやたらと人に近づくことは、”予知”を起こしてしまう可能性がある。 そうこう考えていると、会話は終わったらしく、PHSを仕舞っていた。前だけ向いて、ずんずん歩いていく。こちらに気付いている様子もなかった。 志保と琴音は、数十メートルの感覚でずっと同じ方に歩いていく。駅に向かっているらしい。 (長岡さんも電車通学なのかな?) ……そんな当たり障りもないことを考えているときだった。 ――ぞくっ―― (そんなっ!?) 知り合ったといっても、今日朝、ちょっと会っただけの人。でも、この、体の中を突き抜ける、嫌な、本当に嫌な感触。 そして頭に溢れ出るクリアな映像。間違いない。それも、今回は特に悪く、目を背けたかったが、頭に直接映し出す映像から目を避けることは琴音には出来なかった。 長岡さんが車に――!!! はっ、と我に返ったそのとき、まさしく、自分が描き出した風景そのままの場所にたどり着いていた。青信号だが、まだ志保はそこまでたどり着いていない。 (今なら止められるっ!!) 「長岡さん!!」 思わず叫んだ。とにかく信号にたどり着く前に止めなければならない。そう思ったからだ。 「えっ?」 後ろを振り向く志保。 「あらぁ? 姫川さん、こんばんはぁ。どうしたの? そんな必死な顔をして?」 「その横断歩道に近づかないで下さいっ!!」 「え、なんで? 今青じゃない?」 「とにかくこちらへ来て下さいっ!!」 琴音が懸命に叫ぶが、志保は渡り始めた、そのとき。 ――道路の真ん中で、ぴたりと不自然に足が止まった。 まさか? 嘘? あれ? どうして? 「冗談でしょ……?」 薄笑いが自然に生まれる。涙を浮かべ、青ざめていくのがわかる。 ……いつも自由に動かせる足が全くいうことを聞かなくなったのだ。 「嫌あああっ!! もう止めてえ!!」 琴音は自分の”ちから”に懇願した。だが、それでは絶対に止まらないことも、当然理解していたのである。 普段動いて当たり前の足が、自分の意志で動かせなくなったというのは、志保の中に、恐怖と不安を呼び起こした。だが却って開き直り、 「姫川さん!! 助けてっ!!」 と叫んだ。 「え……?」 「足が動かないの!! 私をひっぱって!!」 このとき、琴音は予知の内容を思い出した。自分はその場にいなかったことを。 自分がその場にいれば、予知が外れるかもしれない! そう信じて、とりあえず走ったが、信号は、無情にも点滅し始める。 あと50m、40m……。信号は赤になった、が。 「ええいっ!!」 琴音は、16年生きてきて、初めて信号無視をした。予知が外れることを信じたのだ。 だが。 ききぃ〜〜〜〜っ!! どがぁっ!! (えっ?) 急ブレーキの音と、耳に聞き慣れない音が響く。頭に鈍く強烈な衝撃が走る。 躰が妙だ。とにかく、統制が取れない。そして、躰が熱くなってきた。 前を向いていたはずが、いきなりの暗転と共に、躰がたたきつけられ、アスファルトが左下に見える。 そして、なにやら、強烈に眠い。予知能力が発動したときは必ず眠くなるが、それとは比べものにならない。 先程まで熱かった躰が急激に冷たくなる。昔住んでいた函館の冬の寒さなどは比べものにならないほどの寒さを感じる。 「姫川さんっ!!」 遠くから琴音を呼んでいる声が聞こえる。いや、殆ど耳に入らない、といった方が的確か。 かすんでゆく目には、先程自分が予知した”フロント部分がぐしゃぐしゃになった車”が目に入ってきた。 (そうなんだ…………私は初めて、私の”不幸”を予知したのね……よ……) 痛みよりも、何よりも。最初に考えたのはこれであった。 (よかった……) ――そして彼女は深い眠りにつく―― |