| 全治1週間。軽い捻挫だった。 普通ならばもっと大けがだろうに、雅史の抜群の運動神経を持って、あの一瞬で負担をなるべく最小限にとどめたのであった。鋭い痛みもあの一瞬だけで、今は湿布のおかげもあるのか、だいぶ和らいでいる。 今日は日曜日ということもあり、部活も休ませてもらって、一日中、ゆっくりと休むことにした。 「ふう…」 ため息も今日何度目だろう。気持ち的に動揺していたためとはいえ、あんな事で怪我をしてしまって、戦線を離脱してしまう自分自身に、妙な腹立ちを感じているのだった。 ぴんぽ〜ん。 玄関のチャイムが鳴った。 「は〜い」 ぱたぱたとスリッパの音を立てて、雅史の母親が早歩きで玄関へいく。そしてドアを開くと、そこには、見たことがない女の子が立っていた。 「はいはい……あら? どちら様でしょうか?」 「あの…えっと…その…し、失礼しました!!」 それだけ言うと、きびすを返し、あっという間に玄関から消えてしまった。 「? 何だったのかしら? 可愛い娘だったけど…? あ…」 はっと思いついたように叫ぶ。 「雅史〜、ファンの娘が来たけど恥ずかしがって逃げちゃった〜!」 「?」 彼の女の子からの人気ぶりは家族にもかなり浸透しているらしい。 ……そして、それから5分後。 ぴんぽ〜ん。 またチャイムが鳴った。 またぱたぱたとスリッパの音を立てて、玄関へ向かう。 「は〜い? 今度は誰かしら…」 かちゃ、と、またドアを開くと今度は見知った顔が二人立っていた。 「あら? あら〜、お久しぶりねえ〜。雅史〜! 浩之ちゃんとあかりちゃんよ〜」 (えっ?!) 「おばさん…もう『浩之ちゃん』はやめてくれよ…」 「え? でも、浩之ちゃんは小さい頃から浩之ちゃんだし…」 「だあっ!! その先は言わないでもいい!!」 「ふふふっ…」 「笑ってんじゃねぇ!」 ぴしっ! あかりの額に、でこピンがヒットした。 「きゃっ!?」 「ふふふ、相変わらずねえ、ふたりとも」 「……ところでおばさん、雅史の怪我はどうなんだ?」 真剣な眼差しで問う浩之。 そして驚く雅史。今回、浩之とあかりには連絡しなかった。どこからそんなことがわかったのだろうか? 「え? ああ、ぜーんぜん大丈夫みたいなんだけど、今日は大事をとって休んでるわ」 「え?! 良かったぁ…」 ほっと胸をなで下ろすあかり、と浩之。 「ったく…どこの誰だよ、雅史がサッカー続けられないくらいの大怪我したって言ったのは!」 「だ、だって志保が…」 なぜか即座に納得してしまった雅史。 「ああ!? 志保の情報なんか当てになるわけねーだろ!?」 「でも…」 「ったくしゃーねーなあ!! こんなに慌てて来ちまったのが馬鹿みてーだぜ!!」 「なるほどねえ…だから、ボタンが一段掛け違えているのね?」 「えっ!?」 その通り、ボタンが上と下一つずつの余りが出来ていた。いつもはクールに決めている(と本人は思っている)顔にも、動揺が隠しきれない。 「あ、本当だ…」 あかりも気付いていなかったらしい。 「こ、こんな格好で町中を歩いてきたってのかあ?!」 「…浩之ちゃんの家からここまで500mくらいだけど…」 「大丈夫! 商店街じゃあるまいし、誰も気付きゃしないわよ! じゃ、それ直したら上がってらっしゃいよ。それと…」 「?」「?」 「やああああああああああああああああああああああああああっと、あかりちゃんの気持ちに答えたんだってねぇ? あかりちゃんもこの『いじめっ子』から良く離れなかったもんだよねえ、うんうん。これからも、ずうっと、仲良くやりなよ?」 ずうっと、というところをかなり強調している。 「……おばさん、『いじめっ子』はねーだろ?」 「…………」 呆れ顔が混じる浩之と、顔が火照っているあかり。 「あははっ!! あかりちゃん、そんなに照れなくても、あかりちゃん以上浩之ちゃんに似合う女の子はいないって。私が保証してあげる」 「オレのセリフは却下かよ…」 「大丈夫、ちゃんと聞いてたわよ」 急に浩之に顔を近づける。 「(ただ、もうあかりちゃんを悲しませちゃダメよ。今までだけでも、…もう一生分くらい泣かせたんでしょ? だから、ね?)」 「うっ……ああ……わかったよ」 「? 浩之ちゃん、何がわかったの?」 コソコソ話す二人に、不思議がるあかり。 「さて、じゃあ、上がってって」 「おう」 「お邪魔します」 「なんだよ雅史、お前らしくねーな、どうしたんだ?」 「いや…たまたま調子が悪かったんだよ」 「ふふっ、超人雅史ちゃんも普通の人みたいなミスをするんだね」 「…………」 「…………」 「あかり…、今のもあかりギャグか?」 「あれ? 面白くなかった?」 ぴしっ。 「きゃっ!」 「あははっ! やっと"恋人同士"になったってのに、変わらないね」 恋人同士、というセリフに顔が真っ赤になるあかり……と浩之。 だが突然、珍しくまじめな顔をして雅史の方を向く。 「……雅史」 「なに?」 「当たり前のことが当たり前じゃなくなるのは、嫌だよな」 「?」 「オレは今まで…あかり、雅史、……ついでに志保の野郎と一緒にいることがごく当たり前で、これからもそういこうと思ってた。あかりの気持ちは、ずっと、気付いていた。だけど、オレの中にあるあかりへの気持ちは…この前までは、ただの『幼なじみ』だったんだ。オレはずるいヤツなんだ。なんてーのか…4人の関係を崩すのが怖くて、『幼なじみ』と思いこむ力が大きかったんだ…」 「……」 「……」 「だけどダメだった。あかりへの気持ちがどんどん大きくなっちまったんだ。いつの間にか、4人の関係を崩してでも! 『あかりをオレのものにしたい』って思うようになっちまったんだ。それでも…最後で情けないことに気持ちが揺らいだんだけどな。あかりは好きだ、でも、妹みたいな『好き』と、勘違いしてるんじゃないかってな…。馬鹿みたいだろ?」 雅史は首を左右に振った。 「でもな…、すぐわかった。そんなんじゃねぇんだ。『あかりだから』好きなんだってな…。一人の女性としても、妹みたいなところも……すべてひっくるめた……そんなあかりが」 あかりは、顔を少し赤らめて、下を向きっぱなしだ。 雅史はなんだか嬉しくなっていた。浩之は、どちらかというと、『見ればわかるだろ?』というような雰囲気で、あまりそういうことを言わない。なのに、馴れない言葉をたどたどしく使ってまで、自分に伝えてもらっていることが、正直言って信じられなくて、あかりの様子が可笑しいことも手伝って、少し微笑んでしまった。 浩之は続ける。 「あかりは…オレの『大事な人』だ。それは、幼なじみから彼女になったからって訳じゃねえ、ずっと前からだ。そして…」 「?」 「雅史も、オレにとって『大事な人』なんだ。これは、変わらねえし、変わりたくもねえんだ…、つーことで、これからも、宜しく頼む!!」 浩之はちょんと頭を下げた。 それは雅史にとって信じられない光景だった。 「……。うん、僕こそ」 真剣な浩之に対して、雅史も軽く頭を下げる。 こんな事は、最初で、たぶん最後かも。 そんなことを思い、顔がほころんでしまった。 そのとき、いきなりがばっと浩之が立ち上がる。笑ってしまったのがばれたのかな? とも思ったが、その場で大きく伸びをした浩之を見て、全く見当違いなことをさとる。 「うわ〜っ!! もういい!! 堅い挨拶なんて終わり終わり!! こんな馴れねえことするもんじゃねえな。よし!!」 といって、部屋の外に飛び出していく。 そして帰ってきたと思ったら、片手にビール瓶2本、もう片方にはプラスチックのコップ10個一パックを携えてきた。 「んじゃ、気分もすっきりしたところで飲むか!!」 呆気にとられて、口が「え?」の形になりっぱなしの雅史。 「ごめんね…、どうしても飲むっていうから…玄関の外に置いておいたの…」 「……い、いや、いいよ」 突然のことで、なんだか返事もどう言って良いかわからない。 「雅史! 栓抜きとつまみ!!」 「栓抜きは用意できるけど、つまみはないけど?」 「お前の親父さん、酒飲まねえんだっけ?」 「うん」 「そんじゃ買い出しに行ってくっか!」 「あ、私も行くよ」 「おう。雅史、ちょっと待ってろよ」 「うん」 そして、あっという間に部屋の外へ出ていくふたり。 ……。 (今まで悩んでいたのは何だったんだろう?) 雅史は、自分の悩んでいたことが、単なる杞憂であったことを、ようやく、身体全体で理解した。そして、浩之も同じ悩みを抱えていていたことも。 心が、わずかずつだが、晴れわたってくる。雅史自身が勝手に疎外感をうけていたことが、ちょっと恥ずかしく、少し鼻を鳴らし、顔を少しにやけさせた。 ………… 「……遅いな」 もう30分も過ぎようとしている。一番近くのコンビニからここまで往復で10分はかからない。浩之の性格から、そんなに迷わず自分の好きなつまみを買うことから考えて、帰ってきても良い時間帯をとうに過ぎている。 (なにかあったのだろうか?) 少し心配になってきて、コンビニまで歩いていくことにした。 少しは足も痛むが、歩くくらいは何でもない。すっと立ち上がり、玄関から外に出る。するとすぐ目の前に、ふたりの姿を見つけるのだった。 ただ、どうも様子がおかしい。 誰だかは家の塀に阻まれてわからないが、浩之とあかり以外にもう一人いて、浩之が誰かを問いつめている…というより、何かを聞いている感じだ。 「どうしたの?」 「雅史ちゃん?」 「雅史?」 「あ…」 なんだか少し驚きが混じっているような声。 そこには、一人の女の子が立っていた。 ラベンダーを思わせる薄紫色の、わずかにウェーブを効かせたロングヘア。純粋でいて、なにかに怯えているような目。少し弱々しい白い肌……少し元気がなさそうだけど、とても可愛らしい女の子だった。 「ご、ごめんなさい!!」 「?」「?」「?」 少女はいきなり雅史に向かって謝り出す。 「あ、あなたに…怪我をさせたのは私なんです!!」 「え…?」 雅史も、あまりに突拍子のない話で、事態が飲み込めなかった。 「え? え? ど、どういうこと?」 あかりもおろおろしてしまい、互いの顔をきょろきょろと見合う。 「……あーーーっ!!」 浩之がなにかに気付いたように大声を上げる。 「どこかで見たことあると思ったら…階段でオレに転ぶって言って、オレがホントに転んじまった…」 「え? それじゃ、この娘が…?」 あかりも気付く。 「ほ、本当にごめんなさい!! 言いたいことはそれだけなんです!! し、失礼します!!」 それだけ言うと、くる、ときびすを返し一目散に走っていく。 三人は、よく判らないような顔で、呆然と立ちつくした。 「ねえ? あの娘……」 雅史が切り出した。 「………ああ、んじゃ、部屋に戻って話すか。せっかくのビールもあったまっちまうしな」 部屋に入り、腰を下ろすと、ビールを一本栓を開け、コップに分け合う。 「じゃあ、とりあえず、雅史の回復を願って乾杯!」 軽くコップを前に出し、わずかに舌に触るくらいに飲む……というのは、雅史とあかりで、浩之は豪快に一気で飲み干した。 「はーっ!! やっぱり少しぬるくなっちまった。あーあ…、もったいねー」 あれ? ところでお酒って20歳未満お断り…… 「うるせーよ」 はい……。 「ところで、あの女の子は?」 「あ、そうか。いや、オレもあまり詳しく知らないんだけどな、一学期に入ってちょっと過ぎた頃、彼女と階段の踊り場ですれ違ったときに、突然、『階段に気を付けてください』なんて言われちまってな、一応、ああ、って返事したんだけど、全く気にも留めてなかったんだ」 「でも、彼女の言うとおり、階段で転んじゃったんだよね」 「ああ、そしたら、ごめんなさい、って言われて、その後すぐ逃げられちまってな。何で『ごめんなさい』なのかわからなかったんだけどな…」 「彼女、超能力者で、予知が出来るらしいの。でも、その予知が、自分以外の誰かが不幸になってしまうだけで、幸福なことは何も予知できない、『不幸の予知』らしくって、どんなに気を付けていても100%当たるらしいの。それ以来、彼女に近寄ると不幸になるって事で、誰も近づかなくなっちゃたんだって」 「つまり、オレが階段で転ぶことを予知した時点でオレはどうやっても転ぶ運命にあったって事だな。避けようがない、しかも不幸な予知をされるのは、あまりいい気持ちはしないしな」 「うーん……でも、僕も調子が悪かったし、後ろからつっこまれて、体制崩したのはたとえ予知がなかったとしても、かわせなかったと思うけど…」 「まあ、オレが知っている範囲といえばこれくらいだ」 「浩之ちゃん、もう一杯飲む?」 「お、あかり、サンキュ。お、そうだ、つまみつまみ…ここはやっぱ、チー鱈だよな!」 チー鱈、とは、チーズ鱈のことで、ビールのおつまみで定番ともいえるものだ。 「あかりちゃん、彼女の教室ってわかる?」 「あ、うん。志保と見に行ったから…。確か、1−Bだと思ったよ」 「わかった、ありがとう」 「うーん、チー鱈があるからいいけど、やっぱぬるいのはあんまり美味くねーなあ…」 ……なんだかんだ言いながら、結局、殆ど浩之が二本開けてしまった。 |