あちゃらかの歴史




1992年夏、kansaiとpooが、いつものように酒を飲んでいた。
ふと、あることに気が付いた。「天才が2人もいるのに、何も
しないで、酒飲んでるとはどういうことだ。何かしよう!」

とりあえず飲んで暴れてみた。何か違う。

とりあえず歌ってみた。これじゃバンドだ。

とりあえず飯でも食うか。ああ食った食った。

1ヶ月後、劇団を作った。

しかし突然「芝居やろっ」って言っても「うん」と言う人は
なかなかいない。しかし天才kansaiの恐るべし人脈の
広さにより、10人の凡人を集めた。しかし自分が旗上げで
やりたい芝居は役者が15人必要だった。
するとある筋から情報が入った。

「とある焼肉屋に演劇部の女の子がバイトしている。」

その週末、ダッシュでナンパしに行った。しかも、むさい男3人で。
しかも結果は二つ返事でOK。「嘘だろ、おい!」11人目ゲット!
あと4人だ。困っていると、ある筋からまたしても情報が。

「太田にうちがやりたいような芝居をやっている劇団がある」

その週末、ダッシュで行った。そこは「劇団ヤングブラット」の稽古場。
緊張したが、即OK!マジかよ!代表の田島師匠が広い心により
一気に3人レンタル!その後kansaiは田島師匠から盃をいただき
師弟関係に。今でも世話になってます。

さあ問題のあと一人。もう有力情報もなく、「桐生が丘公園」の
ベンチで途方に暮れていると、目の前に猿の跡目争いに負けた
9代目親分(通称いの)が目の前で寂しそうにしていた。
その時だった、突然駆け寄って来た。

「裏方でも何でもしますから、きびだんごください」
っていうか、きびだんご持ってないし。

「モミリ・・・モギリでも何でもやるから入れてよ」
っていうか、言えてないし。

「役者やってやるから、刑事ね」
っていうか、入ってるし。

というわけで、15人になりスタートした「あちゃらかきっず」
ほとんどが芝居未経験者という無謀な出発だった。
しかし、今では14回も公演を重ね、団員一同ちょっと
いい気になっています。戒めの意味を込めて、今年は
いろいろ考えています。これからも団員一同がんばって
いきたいと思います。では劇場で逢いましょう。